2024年も早や7月に入りました。元日早々にあの能登半島地震で驚かされ、大き
な被害が起きてから、すでに半年が過ぎたのですね。しかし、今なお生活再建の
展望が持てない被災者の実情が報じられています。
7月は和名で、「ふづき」や「ふみづき」と呼ばれますが、その昔7月7日に、
牽牛、織女の二星に、詩歌の文を備えるところから「文月」といったとあります。
また、賀茂真淵の「語意考」では、稲穂がふくらむ季節であることから、“穂見月”
や“穂含月(ほふみづき)”、などが、“ふみづき”に変化したという説もあり
ます。
さらに、書物のことを“文”といい、7月7日の七夕の夜に、書物を開いて夜気に
さらし、書の上達を祈る風習があったことから、文披月(ふみひらきづき・ふみ
ひろげづき)と呼び、これが省略されたとする説などもあります。
(ネット画像より)
旧暦の7月といえば、暑さが残っているというか、暑さの真っただ中であったと
思われますが、現代ほどの猛暑ではないにしろ・・この「文月」などという風流
とも思える名前が付けられていることに驚きを覚えました。
江戸時代あたりの夏はどのように過ごしていたのでしょうか? ネットに、次の
記事がありました。『江戸時代、暑い夏を人々はどのように乗り切ったのでしょう
か。 家では、窓を開け放ち、葦簀や暖簾で日よけをしました。 行水をして汗を
流し、昼過ぎには打ち水をして、蚊遣火をたき、寝るときには蚊帳の中に入って
うちわで扇いで寝たそうです。』
私も、子どもの頃に、たらいに水を張って「行水」をした経験があります。もち
ろん、家の前の道路などに、水を撒いたこともあります。 蚊帳も経験があり、
蚊帳に入るとき、下端をもって振るい、蚊をよけてから・・などと教わったこと
を覚えています。
(ネット画像より)
7月1日は、「国民安全の日」というらしいです。内閣府のページによりますと、
昭和35年(1960年)に閣議で決定したとあります。
昭和31年ころから、生産や輸送が活発化し、これらに携わる人々の工場、鉱山、
事業場での事故(産業災害)が多くなる傾一方、火薬関係の爆発災害が相次ぐ状態
にあり、これを減少させるために種々の対策を立てるとともに、その後においては
交通事故に対する安全対策も含めて、広く国民各層を含めた自主的な安全運動を
一層発展させることとなったのです。
厚労省では「全国安全週間」を、経産省では「全国鉱山保安週間」(昭和25年
から)さらには、人事院でも「国家公務員安全週間」などを設けていたようです。
しかし、安心安全の問題は、こればかりではなく、デジタル社会における新しい
「安全」や「安心」を守る重要性、必要性は誰しも経験するところとなっています。
さらに、心配を拡大させれば、地球規模の「温暖化」問題は、世界中にすでに、
高温、豪雨、暴風、干ばつ などの大災害が頻発していますし、各地の戦争そのもの
の不安も勿論ですが、それによる食糧問題への影響、大国間の新しい圧力の激化
などの国際不安も惹起されています。
このように見てきますと、「国民安全の日」は、産業や交通などの対象だけでは
なく、今日的な視点で、取り組むべきことがあるのではないか! 過去の流れだけ
ではなく、もっと今日的な大きな問題が山積しています。
次期総理大臣のポストを詮索するのも、直近の課題ではあるかもしれませんが、
もっと高次元に立った見識のある世論作りにジャーナリズムの役割があるのでは
ないかなどと・・。口が止まらなくなりそうですので・・。
(ネット画像より)
7月は山開きがあります。富士山も山開きが行われたのでしょうか? 今年から
富士山入山人数制限や有料および協力金を徴収するなどの施策がとられたようです。
立山雄山も山開きがあったのでしょうか? かって(40年ほど前ですが)立山室堂
の山開き(7/1)に、行ったことがありましたが、神事も当然行われましたが、
それよりも、長いアルプホルンの音色や、チーズホンジュを振舞っていたり・・の
印象深い山開きがあったのを記憶しています。
さぁ、暑さに向かって突進・・ですね!
吉村藤園 上方唄 文月