蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

江戸川乱歩  (bon)

2024-07-28 | 日々雑感、散策、旅行

   五輪開幕直前にフランスTGVで不穏な鉄道破壊行為がありましたが、雨の中これまでに見たことの
   無い形式の開会式が繰り広げられました。ライブでみたかったのですが、深夜でしたしなぜかこの
   日は眠気が差して床に就きました。周辺戦争が長引く中での、平和の祭典挙行も骨が折れるところ
   でしょうが、競技自体は熱戦が繰り広げられますね。 睡眠不足の中、不安を抱えながら観戦する
   ことになりそうです。

 

 

 今日(7/28)は、江戸川乱歩の命日にあたります。
 アメリカの1800年代の小説家、詩人のエドガー・アラン・ポーをもじって、自身
のペンネーム「江戸川乱歩」としていることはよく知られたところです。本名は
平井太郎で、三重県名張市生まれの推理作家、怪奇・恐怖小説家で1894年~1965年
(昭和40年)7月28日とあります。

          江戸川乱歩 (1954年)
          (ウイキペディアより)

 1936年に「少年倶楽部」に掲載された『怪人二十面相』は大評判であったそうで、
その後も54年には映画が公開され、ラジオドラマも長い間やっていたことを覚えて
います。『少年探偵団』や『小林少年』『明智小五郎』などの名前は、超有名で
私も当然知っていました。しかし、少年倶楽部などの雑誌があったのは、街の医院
に行った時や散髪屋などで見ることはあっても、我が家では見ることはなかった
のでした。恐らく、おふくろが、この手の雑誌を自宅に置くことを好まなかった
のだと思います。

 そのようなこともあって、だろうと思いますが私には一向強い興味というか関心
が向かなかったのでした。 漫画は割と読みましたが、いわゆる雑誌の類はほと
んど興味がなく、たまに『小学五年生』などの月刊誌を買うくらいでした。中学生
になった頃には、もっぱら「無線と実験」や「ラジオの製作」などの雑誌は毎月
といってよいほど買ってもらっていましたし、そのほか星座や昆虫など、いわゆる
自然科学分野に傾注していて、少し偏りのあった少年時代を過ごしていたのかも
しれません。

 高校時代には、選択科目は文学や歴史ものは避け、もっぱら人文地理、物理・
化学を専攻し、人文的なものを避けていたのでしょう。しかし、後になって自然
科学も人間の歴史や社会状況と切っても切れない関係にあることに気づかされ、
それからは、これらの避けてきた分野にも興味が移るようになったように思います。

          怪人二十面相
         (日本の古本屋より)

 江戸川乱歩から外れてしまいましたが、要は、少年時代にはこれらの有名な話題
を知りながらも、キチっと小説を読んだこともなかったのでした。これらの内容を
もじったドラマや映画を観ていたかもしれませんが・・。

 江戸川乱歩は大正から昭和期に掛けて活躍し、主に、推理小説を得意とし、黎明
期の日本探偵小説界に大きな足跡を残したとあります。1954年には乱歩の寄付を
基金とした『江戸川乱歩賞』を設立し、これが推理作家の登竜門となるなど、後世
にも大きな影響を与えたようです。

 数々の探偵小説を著すほか、フェティシズムや怪奇小説、残虐趣味などの要素を
含んだ通俗探偵小説も著わし、一般大衆に歓迎されたそうです。

 1965年の今日、くも膜下出血のため、東京池袋の自宅(立教大学に隣接)にて
70歳で他界されたとありました。

 怪人二十面相は、推理小説の架空キャラクターとしては、シャーロック・ホー
ムズ、アルセール・ルパン、明智小五郎、金田一耕助らと並んで時代を超えて
人々の中に溶け込んでいるのでしょう。(しかし、私はなぜか名前だけはよく知っ
ていますが、ほとんど読んだことが無いのです。)  テレビ番組だった『刑事
コロンボ』は面白く見ていました。また、最近は、あのヒッチ・コックの映画も
観るようになっています。

 自己分析が未だ十分に出来ていないようです。

          黒蜥蜴 (丸山明宏)
         (PAROCO STAGEより)

 

 

 

少年探偵団の歌

 

 

 

 

コメント (2)
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