地球の北半球は、国を問わず秋を迎えていますから取り立てて言うほどのこと
ではありません。 わが家の小さなベランダにも秋を感じて咲く花や、紅葉が始
まったり、赤い実をつけたり、ススキの穂も伸びて、蝶もシジミチョウの種類が
せわしなく飛び回っています。
空は澄み渡り、吹く風の爽快感に身を任せるこの心休まる時季は短いのですね。
今年は、物価高にあえぐ個人事業の皆さんには大変厳しい10月を迎えているわけ
で、このような悠長なことを言っている場合ではないのですが・・。
(2022.10.4)
このような状況の中で、私にとってさらに小さな、まことに小さなことに秋を
感じていることがあります。 それは“お風呂”なんです。
春から夏中はシャワーだけで済ませている“お風呂”が、今頃の日中は残暑が
強いですが、夕方にはぐっと気温が下がる頃に、湯船にお湯を張り肩までつかる
時のあの感触がしみじみと秋を思わせるのです。 夏場では、シャワーでも、浴
室から出てしばらくはエアコンの下や扇風機の前にすり寄る必要がありましたが、
この時期になると、夕方、植木たちの水遣りが終わって、汗ばむ身体を流し、最
後に湯船に身体を沈める時、全身が伸びるような感じを受け、約半年ぶりに浴槽
のお世話になると思わず、あぁ、今年も秋が来たな~としみじみと思うのです。
他人さまにはまことにつまらないことですが、こんな小さなことになぜか秋を
感じるのです。
現役の頃は、その日に帰宅してその日に出勤する繰り返しの毎日ですから、お
風呂は一つの義務工程みたいな感じでした。それでも、家に帰って誰にも気遣う
ことなく身体を休めるのはサッパリして、それはそれで気持ちの良いことではあ
りました。 しかし、年齢を重ねた今頃の気分は、その頃と違っていて生活の一
ページであるような存在感を持っているようです。
つまらぬことばかり書きますが、もう一つ秋を感じるのに私には紅茶があります。
いつ飲んでも紅茶は紅茶ですし、ふだんはコーヒー、緑茶、ほうじ茶が多いですが、
秋の午後の紅茶はなぜか独特の味わいがあるのです。
陽が落ちて窓から眺める今日この頃の澄みきった夜空に見る、上弦の月もやは
り秋ならではの風情を感じるのですね。
昨夜は、あいにく雲がありました。
(2022.10.4 20時頃)
A Comme Amour - Richard Clayderman (Official Video)
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