いよいよ12月に入りました。 何があっても着実に日は巡ってくるのです・・。
あの元日の穏やかに明けた新年の夕方、突然襲った石川県能登地方の大地震で始まっ
た2024年も、12月となりました。この間豪雨の襲来があり、復興の出鼻をくじかれ
散々な一年が終わろうとしています。 石川県だけでなく、全国各地で、異常気象に
よる災害は一層深刻さを増して来ている感じがします。
(長円寺より)
今年は、多くの国で首長の選挙が行われた「選挙イヤー」と呼ばれた年でした。
中でもアメリカ大統領選挙は、早くから注目が集まる激戦の予想でしたが、結果は
トランプの大勝利に終わり、上・下院とも過半数を制した“トリプルレッド”として、
来年1月の就任を控えて、次々と人事予定を発表しています。
ウクライナとロシアの長引く戦争に、休戦提案をもくろむウクライナ特使を新設
しました。 どのような展開になるでしょうか?
日本では、石破政権が発足しましたが、少数与党で慎重な舵取りが強いられるのは
やむを得ないところですが、臨時国会は召集され、先ずは補正予算、そして次年度
予算審議の大場を乗り切る必要があります。
103万円や106万円の壁は、個人的には最早どちらも無関係の身でありますが、多く
の人の関心事であるでしょう。 そして、未だ冷めやらぬ先の兵庫県知事選挙での
出来事は、選挙制度そのものが揺らぐ要素が露呈し、何とか是正しなくては真の民主
主義の根幹にも触れる重大な問題が含まれているのではないでしょうか。
まず、当選を目指さない立候補の是非ですね。齋藤知事を応援する形で立候補して
いますから、いわば2馬力の勢力?となり公平性が問題となります。夏の都知事選
では、選挙ポスターを選挙目的外に使用させていました。これなども、選挙用掲示板
の意義を正す必要があるでしょうね。そして、兵庫県知事選や名古屋市長選での
SNSのあり方についても放置できない問題が含まれていると思います。
なんだか愚痴っぽくなってしまいましたが、12月1日は、「映画の日」だそうです。
拙ブログにも取り上げていました。
日本で初めて映画が上映された日については、いろいろの説があるようですが、
1896年(明治29年)11月25日~30日まで神戸の港クラブで “キネトスコープ” が公開
されたのが最初という説が一般的で、その60年後の1956年(昭和31年)に映画界の
総意によって12月1日を “映画の日” と制定したのだそうです。
しかし、厳密には、「映画」は、スクリーンに映像が投影される形式のものをいう
とありますから、この意味でいえば、神戸で公開されたキネトスコープは、一人ずつ
覗き込ん観るタイプ(発明はエジソン)のものだったので、本当はもう1年後(明治
30年)に 大阪難波の “南地演舞場” でのスクリーンに上映し、入場料を取って映画
興行が行われたのが日本では最初だということになるのですね。
映画は、1895年12月にフランス人 リュミエール兄弟がパリのオペラ座そばの建物
の地下サロンで、約100席の椅子を並べて映写機を設置し、1分弱の“シネマトグラフ”
と呼ばれる映画を数本、有料で観客に見せたのが映画の誕生なんですね。
日本上陸は、1897年ですから、フランスの最初からわずか2年足らずで導入された
ということになります。
(雑学ネタ帳より)
少し横道に入りますが、私は高校を卒業する頃まで「映画」は好きではなかった
です。まだ小学校にも上がらない小さな子供の頃、誰か(おそらく家族)に連れられ
て映画館に行ったことを覚えています。というより、暗い中で、「フクちゃん」が
潜水艦に乗って、海中を進んでいる時、前方にそれから先は進めないための網がある
のですが、その網を切るためのノコギリ状の刃が潜水艦の先端についている・・、
そんな今でいうアニメ映画(モノクロ)で、トーキーはなく弁氏による語りだった
ように記憶しているのです。この1シーンだけ記憶の底にあり、なにしろ暗い館内に
いることが何となく怖い感じで・・いやだったのです。
後になって調べましたが、1930年代には、すでにトーキー映画が製作されていた
(1936年には小津安二郎監督の映画)そうですが、1938年になっても日本では3分の
1の映画が無声映画だったそうですから、この「フクちゃん」アニメはまだトーキー
ではなかったのでしょうね。
小さい頃の、このような体験は、ずっと払拭できず、小学あたりで「鐘の鳴る丘」、
中学あたりでは、「二十四の瞳」など学校からの観賞で行った程度でした。高校時代
には「青い山脈」や後には、洋画やディズニー映画などを見るようになっていました。
しかし、何十年かを投影してみれば、大人になってから映画を見るうようになり、
リタイアしてからは、テレビでも放送されますから楽しみにしています。歴史もの、
人間ドラマ、ドキュメンタリー、文芸作品ばかりではなく西部劇や娯楽映画も好んで
見ています。
小津安二郎監督の映画「秋刀魚の味」(昭和37年、松竹映画)が、つい先日、
BS1で放送がありましたので録画して、何度目かでしたが見てしまいました。
妻を亡くして、一人娘を嫁にやる初老を演じる笠智衆の心境、当時の会社人間模様
などじっくりと鑑賞しました。
(松竹株式会社より)
拙ブログに一部引用していましたが、「しわす」について・・
江戸時代、新井白石の説として「年中事物考」に『シハスとは、これも漢に十二月
を歳終といひしが如く、歳の終りをいふなり。古語に年をトシともいひ、またチとも
いひし事、前に注せし如く、そのチといひしは、トシといふことばの一たび転じて
シとなり、シといふことばの再び転じてチとなりし也、シハスといふがごとき、シと
いふはハツなり、スといひ、ツといふも、その語の転ぜし也、我が国の語に、すべて
の終りをハツとも、ハテともいふなり、されば万葉集に極の字を読んでハツともいへ
ば、俗に極月の字を用ひてシハスともいふなるべし』などもありました。
タイトルを「しわす」としておきながら、映画の話に道草しているうちに、つい
忘れてしまいそうになりました。
このひと月、風邪など引かぬよう 無事に過ごしたいものです。
1947(昭和22)川田正子が歌う古関裕而の名曲『とんがり帽子』戦災孤児を描いたNHKラジオドラマ『鐘の鳴る丘』主題歌
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