蓼科浪漫倶楽部

八ヶ岳の麓に広がる蓼科高原に、熱き思いあふれる浪漫知素人たちが集い、畑を耕し、自然と遊び、人生を謳歌する物語です。

甚句  (bon)

2012-01-15 | 日々雑感、散策、旅行
普段、目覚まし時計は、ベルではなくその時刻から1時間ラジオがスイッチオンする
ように設定しているので、今日日曜日は、ナギラケンイチ氏の「あのころのフォー
クが聞きたい」の番組が流れています。これが終わった後もいつもラジオはそのま
ま点けた状態なのですが、特段気に留めることもなかった。 
 ところが今日は、小気味よい調べ・・相撲甚句が流れていた。 歌詞は、判別で
きないが何となくいい感じ、リズムが心地よかった。

 ここまでにしておけばよかったのに、「甚句」っていったいどうゆう種類の歌なのか?
・・・そうなってくると、民謡とか長唄とか端唄とか・・と次々と気になってきた。

朝食が終わって、この気になる部分を調べることにしました。 
ややくどいかもしれませんが・・手元の辞書からかいつまんで、以下に簡単に整理してみました。

甚句: 七・七・七・五の4句からなる詞型で、だいたい定まった旋律の骨組みを
 持った日本民謡の一種であるそうな。秋田甚句、米山甚句などが有名です。日本
 民謡の半分以上はこの甚句形式であるという。

民謡: 郷土の生活と結びついて生まれた民衆の間に口伝えにうたわれてきた歌謡。
 フォークソング。

謡曲: 能の詞章とその音楽。謡は登場人物が歌う役謡と地謡(じうたい)に分けら れる。
 
地謡: (じうたい)能または狂言の詞章の中で演技者が歌はない地(じ)の部分。
 地唄舞とは、京舞・上方舞ともいわれ、京都で発達した繊細優美な日本舞踊の一派

長唄: こちらは、能ではなく歌舞伎舞踊の伴奏として発達した三味線歌曲とある。

浄瑠璃: 江戸時代に栄えた三味線の伴奏による語り物、音曲の総称。一方、歌曲と
 しても発達し、常盤津(ときわづ)、清元(きよもと)などが派生し歌舞伎と結
 びついて、舞踊伴奏音楽となり 新内(しんない)などは遊里音楽として江戸情緒
 の花を咲かせた。

◇ついでにいろいろ・・・

端唄: 短い自由な形式を持った三味線歌曲。江戸末期、お座敷音楽として発達した
 江戸端唄。これは、浄瑠璃、民謡などには属さないそうだ。

小唄: 江戸末期の粋でシャレた三味線小曲である。 テンポ早く、渋い声でつぶ
 やくようにうたい、三味線は撥を使わずつまびきする。

俗曲: 賑やかな三味線伴奏で歌われる通俗的な歌。家元や職業的な歌い手が
 教える種類の歌は普通含まない。 広い意味では、端唄、小唄を含める。

都都逸: 七・七・七・五調26文字詞型の俗曲。 男女の情愛をうたいこんだも
 のが多い。 その語源は「ドドイツ・ドイドイ」という囃子言葉からという。

◇もう終わります・・・

歌謡曲: 民謡を除く日本ふうの流行歌。

演歌: 明治中期から昭和初期まで街頭などで普及した大衆歌曲。 そこから転じて
 情緒をうたうものに変遷してきた。

◇お付き合いありがとうございました。

相撲甚句の起源について、Yahoo百科事典に説明ありました。クリックしてください。
相撲甚句の一面


有名な相撲甚句シリーズ7曲







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3 コメント

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勉強になりました (RIN)
2012-01-15 12:46:50
いろいろ聞きますがこんなにあると頭に入らない。もしなぜ相撲取りが相撲甚句をうたうようになったのかわかったら教えて。
一時期相撲甚句を覚えようとした時期がありました。機会がなくあきらめたままになっています。謡曲と詩吟は昔ましたけど。
相撲甚句はいいですね。
ありがとう。
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心地よくなる相撲甚句 (mak)
2012-01-15 15:45:27
相撲甚句を聞いてると心地よくなり、癒されます。
Healing Musicですね。RINの質問への回答になるかどうか分かりませんが、Yahoo百科事典にちょっとした説明がありましたので、貼り付けておきました。
相撲甚句気に入りましたので、7曲のシリーズ貼り付けておきました。たっぷり聞いてください。
RINさん体の調子良くなってきたようですね。好きな音楽でも聞いて、元気になってください。

子供の頃に親父がくちずさんでいて、よく聞きました柳家三亀松の都々逸を聞きたくなりました。

我々世代の幼少期から青春期の最も感受性の強い頃に、ラジオを通じて、日本お伝統音楽、歌謡曲、さらには西洋から入ってきた、クラシックやアメリカンポピュラーソング、ジャズ、シャンソンなどなどあらゆるジャンルの音楽に自然に触れる機会があったので、脳の中にそれらを受け入れるDNAが植え付けられたのかどんな音楽でも楽しめます。まさに我々世代前後だけかもしれませんね。お蔭で、日本の昔にタイムスリップできました。ありがとう。
返信する
う~ん、相撲甚句の始まり・・? (bon)
2012-01-15 16:27:41
RINチャン久しぶりです。その昔、相撲甚句を覚えようとチャレンジされたとか・・? 確かに、相撲甚句は、楽器を使いませんから、どこでもイナセナ感じで周りを魅了する・・いい題材かも? しかし、これの始まりはというとなかなか難しいですね。 makが、うまく拾ってくれましたが、もう一つネットから次のような見方もありました。
つまり、
角力甚句は幕末明治時代に花柳界で流行した本調子甚句、二上り甚句を相撲取りが座敷で覚え地方巡業で流行らせた様で、これが名古屋甚句、熊本甚句、そして隠岐相撲取り節等に発展した。したがって、相撲甚句とは、単に相撲取りが花相撲とか、地方巡業で 唄うだけでなく日本各地の民謡との係わりが深いといっています。
また、相撲甚句には大きく分けると、「まくら唄」「本唄」「はやし唄」があり、「まくら唄」は「本唄」の前に唄う短い唄の事で、「前唄」「後唄」と続きますが唄い方は同じです。

本唄も歌詞はいろいろあり ますが節回しは同じです。 ・・とまあ、こんな具合です。
今年初場所も今日は中日ですが、今場所から国技館に32枚優勝力士の掲額の中に、平成18年に優勝した栃東関の額が下されて日本人の額がなくなったそうですね。

makのいち早いコメント対応や、記事への相撲甚句シリーズ、都都逸までu-tubeアップいただいてありがとサンです。



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