弥生三月は別れの季節。少し前のことですが、3月20日に僕の勤務する東海学院大学で卒業式(学位記授与式)が行われした。そしてその日は、一日中ずっと「なんていい子たちなんだろう」と感心するばかりの日でした。
卒業生たちは学長先生の式辞や来賓の方の祝辞、学生による送辞、答辞を私語一つなく真剣に聞いていました。そして、起立、礼もしっかりでき、国歌や仰げば尊し、校歌も一生懸命歌っていました。大人ですから当たり前のことです。当たり前のことが普通にできるのは社会人として当然のことです。しかし、なかなかそれができない若者が多いのも事実です。それだけに、東海学院大学の卒業生は僕たちの若い頃よりずっと立派だと思いながら、僕は卒業生たちを見ていました。
式のあとの子ども発達学科での最後の会でも、学科長の言葉に真剣に耳を傾ける姿は、社会人としての決意を感じさせるものでした。
午後からの謝恩会では、午前中の神妙な姿から一変し、思いっきり笑顔で、会を盛り上げていました。子ども発達学科の卒業生の多くは、小学校、幼稚園、保育園の先生になります。メリハリのある行動を見て、4年間の学びが実のあるものだったと、心からうれしく思いました。
謝恩会の帰りの送迎バスの車内での出来事です。突然数人の卒業生が校歌を歌い出しました。子ども発達学科の卒業生でした。僕自身、入学式と卒業式以外で校歌を聴いたことはありませんし、学生にとってはおそらく入学式以来歌ってないはずです。ひょっとしたら、1年の教養科目の音楽で歌っているかもしれませんが、それほど校歌にふれる機会は多くないはずなのでびっくりしました。歌い終わると、バスに乗っていた他学科の卒業生から大きな拍手。「オレたち、拍手されちゃったよ」。照れくさそうなつぶやきが聞こえてきました。
東海学院大学・・・一般的には岐阜県の地味な大学という程度の大学だと思います。少なくとも、赴任する前の僕はそういうイメージでした。しかし、4年間での成長の大きさはどこにも負けることのない素敵な大学です。子ども発達学科の学生たちは生き生きとした学生生活を送っています。みんな本気で教育・保育の勉強に取り組んでいます。きっとこの日に卒業した学生たちは教育・保育・福祉の世界で大きく羽ばたいていくことでしょう。
「辛いことがあったら、いつでもおいで。僕は、ずっとあなた方の先生ですよ。」
僕は、心の中でそうつぶやいていました。
卒業生たちは学長先生の式辞や来賓の方の祝辞、学生による送辞、答辞を私語一つなく真剣に聞いていました。そして、起立、礼もしっかりでき、国歌や仰げば尊し、校歌も一生懸命歌っていました。大人ですから当たり前のことです。当たり前のことが普通にできるのは社会人として当然のことです。しかし、なかなかそれができない若者が多いのも事実です。それだけに、東海学院大学の卒業生は僕たちの若い頃よりずっと立派だと思いながら、僕は卒業生たちを見ていました。
式のあとの子ども発達学科での最後の会でも、学科長の言葉に真剣に耳を傾ける姿は、社会人としての決意を感じさせるものでした。
午後からの謝恩会では、午前中の神妙な姿から一変し、思いっきり笑顔で、会を盛り上げていました。子ども発達学科の卒業生の多くは、小学校、幼稚園、保育園の先生になります。メリハリのある行動を見て、4年間の学びが実のあるものだったと、心からうれしく思いました。
謝恩会の帰りの送迎バスの車内での出来事です。突然数人の卒業生が校歌を歌い出しました。子ども発達学科の卒業生でした。僕自身、入学式と卒業式以外で校歌を聴いたことはありませんし、学生にとってはおそらく入学式以来歌ってないはずです。ひょっとしたら、1年の教養科目の音楽で歌っているかもしれませんが、それほど校歌にふれる機会は多くないはずなのでびっくりしました。歌い終わると、バスに乗っていた他学科の卒業生から大きな拍手。「オレたち、拍手されちゃったよ」。照れくさそうなつぶやきが聞こえてきました。
東海学院大学・・・一般的には岐阜県の地味な大学という程度の大学だと思います。少なくとも、赴任する前の僕はそういうイメージでした。しかし、4年間での成長の大きさはどこにも負けることのない素敵な大学です。子ども発達学科の学生たちは生き生きとした学生生活を送っています。みんな本気で教育・保育の勉強に取り組んでいます。きっとこの日に卒業した学生たちは教育・保育・福祉の世界で大きく羽ばたいていくことでしょう。
「辛いことがあったら、いつでもおいで。僕は、ずっとあなた方の先生ですよ。」
僕は、心の中でそうつぶやいていました。