相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!
☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

相模原公園のシンボル「メタセコイア」早くも紅葉の兆し!!

2018-10-02 14:04:02 | 公園・庭園
相模原市南区下溝に都市公園の一つでいつも四季の花で彩られ市民の憩いの場となっている「県立相模原公園」はある。当園の目玉は何といっても噴水広場の中央にあるフランス風庭園の両サイドに並んだ100本の「メタセコイアの並木」である。「生きた化石」と言われ和名は「曙杉」である。早くも10月に入り秋の気配が感じられるようになってきた。今夏は例年にない猛暑続き、果たして紅葉の色づきにはどのような影響があるのだろうか。一般的には夏気温が高く、秋に一気に冷え込むことできれいに色づくと言われている。本日訪れてみるとまだ全体的には緑色であるが、陽当たりのいい右側のメタセコイアの上の方がかすかに茶褐色に色づき始めていた。やはり例年より早いような気もする。これから11月にむけ気温も下がり涼しさから寒さへ移行する。条件が整い一気に紅葉し始めるかもしれない。青空に向かってまっすぐ伸びる相模原公園のシンボル「メタセコイア」が茶褐色にあるいは真赤に染まり、幻想的で壮観な並木姿を披露してくれるのもそう遠くない時間である。(1810)






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かつて筑前国触頭で寺格高き「普賢山満行寺」

2018-10-02 11:46:21 | 寺院
福岡博多祇園の国体通りに面した所に京都の西本願寺に本山を置く浄土真宗本願寺派の寺院「普賢山満行寺」はある。享禄2年(1529)空性により開山。当初が普賢堂町に道場を建立後、寛文5年(1665)に当地へ移転した。慶長年中、本願寺東西分裂時に黒田長政の命で西派となり末寺70余の筑前国触頭であり寺格高き古刹である。本尊は阿弥陀如来。櫛田神社近く国体通りの先に金色の紋章輝く堂々とした重厚な造りの「山門」が構えられている。池や沢などに自生する水草で葉の形が矢に似ていて戦いに勝つことにかけていたという沢瀉の紋(毛利家の紋)が掲げられている。親鸞聖人御尊像が建つ「山門」を抜けると「寺務所」があり、境内に敷き詰められた美しい石畳の参道正面入り母屋造りの「本堂」が建つ。「鐘楼と太鼓楼」、寺宝として足利義昭、顕如の書状、寺内に貝原益軒高弟竹田定直と博多の名娼で往生譚の主人公「明月尼の墓」がある。(1809)













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