ブッダの青年時代、ブッダの息子ラーフラの青年時代、その息子のティッサ・メッテイヤの青年時代を描いた小説。
ブッダ自身のその後には関心を向けず、幼くしてブッダに見捨てられた息子、その息子にまた幼くして見捨てられた孫が、しかし特に父親を恨むこともなく淡々と独自の道を歩む姿を追っています。この3代の男たち、特にそう育てられたわけでもないのに、殺生は嫌いで獣にも虫にもさらには器や道具にも命があると考え、しかし人間関係には執着がなく簡単に家族を捨て去るところが共通点。
これを軸に、他方に隣国の武力に走る野心家のマガダ国王に親子間の相克の悲劇を演じさせることで、ブッダ親子の執着心のなさを際だたせています。
しかし、そのブッダ親子も栄達の姿は描かれず、どちらかといえばラーフラ、ティッサ・メッテイヤと次第に落ちぶれていく様が描かれ、その先にラストの解放された心象風景があるとはいえ、生き方については考え込んでしまいます。3代を見てティッサ・メッテイヤが一番無我の境地で(無我夢中というべきか)極楽に近づいたという評価なんでしょうかねえ。
少し一文が長めの古いのか新しいのかちょっと不思議な感じの文章。その文体と相まって、軽い非日常感に浸れます。
磯憲一郎 河出書房新社 2007年11月30日発行
初出「文藝」2007年冬号 第44回文藝賞
ブッダ自身のその後には関心を向けず、幼くしてブッダに見捨てられた息子、その息子にまた幼くして見捨てられた孫が、しかし特に父親を恨むこともなく淡々と独自の道を歩む姿を追っています。この3代の男たち、特にそう育てられたわけでもないのに、殺生は嫌いで獣にも虫にもさらには器や道具にも命があると考え、しかし人間関係には執着がなく簡単に家族を捨て去るところが共通点。
これを軸に、他方に隣国の武力に走る野心家のマガダ国王に親子間の相克の悲劇を演じさせることで、ブッダ親子の執着心のなさを際だたせています。
しかし、そのブッダ親子も栄達の姿は描かれず、どちらかといえばラーフラ、ティッサ・メッテイヤと次第に落ちぶれていく様が描かれ、その先にラストの解放された心象風景があるとはいえ、生き方については考え込んでしまいます。3代を見てティッサ・メッテイヤが一番無我の境地で(無我夢中というべきか)極楽に近づいたという評価なんでしょうかねえ。
少し一文が長めの古いのか新しいのかちょっと不思議な感じの文章。その文体と相まって、軽い非日常感に浸れます。
磯憲一郎 河出書房新社 2007年11月30日発行
初出「文藝」2007年冬号 第44回文藝賞