伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

エヴァンゲリオン化する社会

2016-03-27 18:58:08 | 実用書・ビジネス書
 日本のここ20年の労働状況の変化、特に「若者に何でも過度に期待する、社会や会社の未来を背負わせてしまう、働く人を使い潰す、人が駒のように扱われる、ぼんやりとした不安が日常的にやってくる」様子を、1995年のアニメ作品「新世紀エヴァンゲリオン」が予言していたとして、新世紀エヴァンゲリオンと関連づけて論じる本。
 本を売るために人目を引くというだけの狙いなのだとは思いますが、この本のコンセプト自体が外れてると思います。新世紀エヴァンゲリオンが以後20年の日本社会の変化を「予言」したのでも、また新世紀エヴァンゲリオンの影響で日本社会が変化したのでもなく、たくさんのアニメの中で時代の雰囲気に合った作品が支持され、多くの人がこだわりを持ち続け、再放送や二次的作品の制作につながり、今も記憶されているということだと思います。
 若者の居場所をなくし逃げ彷徨わせ、「私の代わりはいるもの」と言わざるを得ず、そういった非正規労働者でも正規労働者並の責任と過重労働を課して使い潰す、労働者の敵は、漠然とした「日本社会」でも、ましてや「使徒」や使徒的なものでもなく、身勝手で強欲な経営者団体と企業経営者、そして経営者側の利益のみを追求する安倍政権のような政治家たちであるのに、それをぼかすために社会がエヴァンゲリオン化しているなどと論じているように、私には見えます。著者のこの姿勢は、過労死について「まさに『この仕事は自分しかできない』と思い込んでいた社員がいたのだが、ある日、過労で倒れてしまった。しかし、彼が倒れてからも、会社は普通に動いていた。残酷なことに。」(111ページ)とする、まるで過労死は労働者が自分で選択しているといわんばかりの記述に象徴されています。
 最後の第5章になって初めて、著者も、「この20年間、企業内での取り組みにしろ、国が行う政策にしろ、まるで『使徒』のように強力な攻撃力で、忍び寄ってこなかったか。それは常にアメとムチである。労働者の味方を装ってやってくる」(192ページ)と、企業や国に言及し、労働者を虐げる者が「労働者の味方を装ってやってくる」ことに触れています。しかしそれでもまだ著者は、残業代ゼロ法案などという批判は「何かズレているように感じる」(198ページ)というのです。それ以前の章では「若者はなぜ3年で辞めるのか。それは辞めても平気だからだ」(95ページ)とか、非正規雇用について「非正規雇用もプラスに考えるならば、特定の分野でスキルを磨くことができる、自分のやりたいことを、やりたい範囲ですることができるなどのメリットがあるはずだ」(131ページ)などとも述べています。こういう言説が、「労働者の味方を装って」いるものだと私は思うのですが。
 新世紀エヴァンゲリオンをリアルタイムで見なかったおじさん世代に基本的な内容を解説する一種の趣味・教養としての意味はあるかも知れませんが、労働者の置かれている状況の分析をするのにはあまり役に立たないと思いました。


常見陽平 日経プレミアシリーズ 2015年10月8日発行
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