様々なものが次第に「消滅」し、「消滅」したものは、存在し人々に知覚はされるものの人々の生活や意識の中で「意味」を失い、人々はそれまで生活上重要な意味を持っていたものが「消滅」してもそのものがない状態に速やかに順応して新たな生活に移行して、かつてそのものが存在したことを思い出さなくなるという「島」に住む「わたし」が、「消滅」したものへの記憶を失わなかった「母」や「R氏」ら異端の存在に親近感を持ち支援したりしながら、「消滅」や「消滅」したものが記憶に残ることを許さない「秘密警察」の「記憶狩り」等の横暴な振る舞いなどに翻弄されつつ過ごす様を描いた小説。
「消滅」や「記憶狩り」に順応できない、記憶を失わない者、権力・「秘密警察」に対するレジスタンスの側にいる者に対し、記憶が消えないことについて「どうにかしてわたしたちと同じように、あなたの心を薄めてゆくことができたら、そんな所へ隠れる必要もなくなるんですもの」と残念そうに言う「わたし」の言葉(159ページ)の希望のなさが、私には衝撃的でもあり、やるせなく思えました。
私の目には、権力者に都合の悪い記録や記憶を抹殺し抑圧する社会、権利や自由が次第に制約され、大多数の人々がその抑圧を意識さえできないままに従って行き、闘う者や従順になりきれない者が弾圧され拘禁・殺害される社会を描写しているものとしか見えません(本の帯には「現代の消滅・空無化願望」なんて書いているようですが)。まるっきり現在の日本の政治社会を描いているものと、もうすでにパロディとか皮肉っているレベルではなく感じてしまったのですが、この作品が安倍・菅政権下ではなく、遙か昔の細川政権時代に書かれていることに、作者の想像力を感じました。
小川洋子 講談社 1994年1月25日発行
「消滅」や「記憶狩り」に順応できない、記憶を失わない者、権力・「秘密警察」に対するレジスタンスの側にいる者に対し、記憶が消えないことについて「どうにかしてわたしたちと同じように、あなたの心を薄めてゆくことができたら、そんな所へ隠れる必要もなくなるんですもの」と残念そうに言う「わたし」の言葉(159ページ)の希望のなさが、私には衝撃的でもあり、やるせなく思えました。
私の目には、権力者に都合の悪い記録や記憶を抹殺し抑圧する社会、権利や自由が次第に制約され、大多数の人々がその抑圧を意識さえできないままに従って行き、闘う者や従順になりきれない者が弾圧され拘禁・殺害される社会を描写しているものとしか見えません(本の帯には「現代の消滅・空無化願望」なんて書いているようですが)。まるっきり現在の日本の政治社会を描いているものと、もうすでにパロディとか皮肉っているレベルではなく感じてしまったのですが、この作品が安倍・菅政権下ではなく、遙か昔の細川政権時代に書かれていることに、作者の想像力を感じました。
小川洋子 講談社 1994年1月25日発行