伊東良徳の超乱読読書日記

雑食・雑読宣言:専門書からHな小説まで、手当たり次第。目標は年間300冊。2022年から3年連続目標達成!

善医の罪

2021-05-13 00:04:51 | 小説
 くも膜下出血で意識不明となり搬送された患者からそれ以前に無益な延命治療は受けたくないと言付けられていた医師白石ルネが、家族に助かる見込みはなく延命治療を続けても多臓器不全、下血で状態が悪くなっていくだけと説明して家族の同意を得て気管チューブを抜くが、患者が警笛のような声を上げ続けて小さな子どもたちが動揺する中、声を止めるために焦りながら筋弛緩剤を点滴して声を止め患者がそのまま死亡したところ、3年後になりルネを嫌う麻酔科医大牟田と看護師堀田がそのときの看護記録を発掘して問題にし、遺族に知らせるなどして大騒ぎになり、白石が逮捕され刑事事件となるという小説。
 あまりにも「終の信託」と似ていることが気になりましたが、「終の信託」も、この作品も、どちらも川崎協同病院事件(1998年11月患者死亡、2002年12月医師逮捕)を題材としたものなのですね。作者の属性に従い、「終の信託」が司法の側から、この作品が医師・病院の側からみているという違いなのでしょうか。この作品の方が、告発者と病院側の悪意・悪辣さが強調されている感じがします。同時に、医者側をクライアントとする弁護士への強い不信感が目に付きました。いくら何でも(私が好まない金持ち側の弁護士でも)病院の依頼を受けながら医師個人に医師には不利になる助言をして騙そうとしたり、ボス的な弁護士の意向には逆らえないと自分の依頼者を売るようなまねをする弁護士がいるとは、私には思えないのですが。医師出身の作者が、医者をクライアントとする弁護士よりも患者側の弁護士を誠実な弁護士と描いているのが、目を引きました。医師側の弁護士の不誠実な対応を経験したのでしょうか。
 冒頭の場面で、延命治療を継続することが患者の状態を悪くし、悲惨な状態にするということが、病院サイドの共通認識として、明言されています。ちょっとここが、ある意味で新鮮、ある意味で疑問に思えてひっかかりました。医療従事者にとってはそれが常識で間違いないのなら、延命治療に対してもっと広汎に否定的な意見が拡がるのではないでしょうか。医療の不確実性というか、ケースによりさまざまなことがあり得、確実な予測というのは難しいというところで、そんなに明確には判断できず、延命治療の是非もケースによるし、それぞれのケースでの判断・評価も分かれうるのではないか、現場はもっと悩ましいのではないかと思います。そこを、医療従事者にとっては延命治療など百害あって一利なしだが法律家連中と家族がうるさいからやっている、それでいいのかという単純な図式に持ち込むのは、かえって問題提起の正当性を曇らせてしまうような気がしました。
 また、事件の発生時期について設定の説明がないため、当然に現在を起点に読んでしまうのですが、そうすると、裁判の場面で、なぜ殺人事件として起訴されたというのに裁判員裁判じゃないんだろうという疑問を生じます。実際の事件は裁判員裁判制度開始前の事件ですから当然裁判員裁判ではありません。その資料をベースに作ったからそれを裁判員裁判に書き直すなんていうのはそれこそ本当の法律家でないと無理ということなんでしょう。でも読者が当然に感じる疑問に配慮すれば、それなら事件設定を実際の事件が起こった頃にしておけばいいのにと思います。作者が、なぜ今頃になってこの作品を書き下ろしたのか、「終の信託」がすでにあるのになぜさらに書いたのか、そこに意味があるのなら、(最後に川崎協同病院事件の医師の著書を「参考文献」として示すだけではなく)もう少し説明していただいた方がいいように思いました。


久坂部羊 文藝春秋 2020年10月25日発行
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする