青法協攻撃の中で行われた1971年の裁判官再任拒否と1990年代から2000年代にかけての一連の司法改革について、前者の当事者であり後者の日弁連側の実務の中枢を担った著者(宮本康昭氏)に対して青法協元議長の著者(大出良知氏)がインタビューしたものと従前書かれたものを合わせて出版した本。
再任拒否の経緯については、当事者の話であり具体的な経過についての貴重な資料ではありますが、50年前の話のため、本人もよく覚えていないというところ(覚えていても関係者の迷惑になりかねないから言ってはいけない話もあるのでしょうけれども)もあり、ちょっともやっとしたところが残ります。
司法改革については、当時日弁連官僚(広報室嘱託)として脇で見ていた私には、宮本康昭氏が中坊会長に便利に使われて運動の中心であった司法問題対策委員会と板挟みになり刺抜きの悪役を担わされて苦しめられていたように見えましたが、本人は、自分自身の判断でよかれと思ってやった、司法改革で日弁連があのように振る舞わなければどれほど酷いことになったかということを語っています。運動を自分が担う立場になると、原則論では闘えない、情勢と彼我の力量を見て相対的に良い道を選ぶしかないということでありますが。
読んでいて、話がなぜ今?という印象のところがあり、またこの本がなぜ今出版されるのという気がしましたが、あとがきを見るとこの本の企画とインタビューは10年以上前に始まったのだとか。いろいろあって中断していたものが、人事による支配を目論み、最高裁判事選任も前例も無視して恣意的に行う権力者が出現して1970年代の司法の危機と類似の状況が来たという認識で今出版されたということのようです。
宮本康昭、大出良知 日本評論社 2021年4月13日発行
再任拒否の経緯については、当事者の話であり具体的な経過についての貴重な資料ではありますが、50年前の話のため、本人もよく覚えていないというところ(覚えていても関係者の迷惑になりかねないから言ってはいけない話もあるのでしょうけれども)もあり、ちょっともやっとしたところが残ります。
司法改革については、当時日弁連官僚(広報室嘱託)として脇で見ていた私には、宮本康昭氏が中坊会長に便利に使われて運動の中心であった司法問題対策委員会と板挟みになり刺抜きの悪役を担わされて苦しめられていたように見えましたが、本人は、自分自身の判断でよかれと思ってやった、司法改革で日弁連があのように振る舞わなければどれほど酷いことになったかということを語っています。運動を自分が担う立場になると、原則論では闘えない、情勢と彼我の力量を見て相対的に良い道を選ぶしかないということでありますが。
読んでいて、話がなぜ今?という印象のところがあり、またこの本がなぜ今出版されるのという気がしましたが、あとがきを見るとこの本の企画とインタビューは10年以上前に始まったのだとか。いろいろあって中断していたものが、人事による支配を目論み、最高裁判事選任も前例も無視して恣意的に行う権力者が出現して1970年代の司法の危機と類似の状況が来たという認識で今出版されたということのようです。
宮本康昭、大出良知 日本評論社 2021年4月13日発行