アメリカでキャンピングカー、トレーラーハウスの車上生活を送り、移動しながらさまざまなところで働く人々(ワーキャンパー)の生活を綴ったノンフィクション。
車上生活者たちの自ら選択してそうしているというプライド、明るさなどを描きつつ、著者は、車上生活者に関する記事の大半は「ワーキャンパーという生き方を、楽しく明るいライフスタイルか、変わった趣味であるかのように報じていた。アメリカ人がやっとのことで生活賃金を稼ぎ、伝統的な住宅から閉め出されつつある、そんな時代を生き延びるためのぎりぎりの戦略だと報じる記事は、ほとんど見当たらなかった」「その他の報道もやはり、車上生活のわくわく感と連帯感を強調するものだった。これほど多くの人に生き方を根本的に変えさせる原因となった困難については、話題にするのを避けていた」(231~232ページ)と、著者の問題意識を明らかにしています。「私が何ヵ月にもわたって取材してきたノマドの人々は、無力な犠牲者でもなければお気楽な冒険者でもなかった。真実は、それよりはるかに微妙なところに隠されていた」(233ページ)という、車上生活者の強さ、したたかさを見つつも、それはやはり追い込まれた人々でありその原因を見据え政治と社会が対応すべきことを忘れてはいけないというあたりに著者のスタンスがあることを見逃さないようにしたいところです。
車上生活者が白人ばかりだということについて、著者は「白人であってさえ、アメリカでノマドでいるのは並大抵のことではない。とくに住宅地でステルス・キャンピングをするのは、キャンプの主流から大きく外れている」「白人であるという特権的な切り札をもってしても、警官や通行人とのいざこざを避けられない場合があるのだ。であれば、丸腰の黒人が赤信号で止まっていただけで警官に撃たれるような地域ではとくに、人種差別的な取締りの犠牲になりかねない人が車上生活をするのは、危険すぎるのではないだろうか」(254ページ)と、思いをはせています。一面で追い込まれた人々でも、まだ恵まれているともいえるわけです。
恒常的な人手不足に悩み、高齢者が多いワーキャンパーを社会経験があり几帳面でまじめな労働者であり、短期雇用で必要なときだけ使える労働力として使いたがる企業も出てきており、その典型がアマゾンだということのようで、この本で登場するワーキャンパーの多くはアマゾンで繰り返し就労しています。移動を繰り返しながら生活費を稼ぐために短期間の就労を希望するワーキャンパーとは持ちつ持たれつということではありますが、その重労働ぶりが繰り返し描かれ、揶揄されています。登場するノマドの1人、パティは「ねぇ、ウォルマートやアマゾンで買い物するのはやめましょう。町を歩いて、小さい昔からのお店で買いましょうよ。巨大企業の儲けを減らしてやるのよ」と語り(296ページ)、この本で中心的なノマドのリンダは「アマゾンで働いていると、こんなことばかり考えちゃうの。あの倉庫の中には重要なものなんてなに一つない。アマゾンは消費者を抱き込んで、あんなつまらない物を買うためにクレジットカードを使わせている。支払のために、したくもない仕事を続けさせているのよ。あそこにいると、ほんとに気が滅入るわ」と著者にメールしてきます(331ページ)。著者自身も短期間アマゾンでの就労を経験していますが、著者はアマゾンに対して批判的な視点を持ち続けているように思えます。謝辞(347~349ページ)でもアマゾンへの感謝の記載はありません。
映画では、車上生活へと人々を追い込んだ原因への著者の問題意識は、まったく描かれていないとは言いませんがかなり薄められた感があり、アマゾンへの批判的な視点はほぼ覆い隠されています。それを棘として抜いたからアカデミー賞作品賞が取れたのかも知れませんが、本を読んだ印象は、映画の印象とは違うように思えました。
原題:NOMADLAND Surviving America in the Twenty-First Century
ジェシカ・ブルーダー 訳:鈴木素子
春秋社 2018年10月20日発行(原書は2017年)
車上生活者たちの自ら選択してそうしているというプライド、明るさなどを描きつつ、著者は、車上生活者に関する記事の大半は「ワーキャンパーという生き方を、楽しく明るいライフスタイルか、変わった趣味であるかのように報じていた。アメリカ人がやっとのことで生活賃金を稼ぎ、伝統的な住宅から閉め出されつつある、そんな時代を生き延びるためのぎりぎりの戦略だと報じる記事は、ほとんど見当たらなかった」「その他の報道もやはり、車上生活のわくわく感と連帯感を強調するものだった。これほど多くの人に生き方を根本的に変えさせる原因となった困難については、話題にするのを避けていた」(231~232ページ)と、著者の問題意識を明らかにしています。「私が何ヵ月にもわたって取材してきたノマドの人々は、無力な犠牲者でもなければお気楽な冒険者でもなかった。真実は、それよりはるかに微妙なところに隠されていた」(233ページ)という、車上生活者の強さ、したたかさを見つつも、それはやはり追い込まれた人々でありその原因を見据え政治と社会が対応すべきことを忘れてはいけないというあたりに著者のスタンスがあることを見逃さないようにしたいところです。
車上生活者が白人ばかりだということについて、著者は「白人であってさえ、アメリカでノマドでいるのは並大抵のことではない。とくに住宅地でステルス・キャンピングをするのは、キャンプの主流から大きく外れている」「白人であるという特権的な切り札をもってしても、警官や通行人とのいざこざを避けられない場合があるのだ。であれば、丸腰の黒人が赤信号で止まっていただけで警官に撃たれるような地域ではとくに、人種差別的な取締りの犠牲になりかねない人が車上生活をするのは、危険すぎるのではないだろうか」(254ページ)と、思いをはせています。一面で追い込まれた人々でも、まだ恵まれているともいえるわけです。
恒常的な人手不足に悩み、高齢者が多いワーキャンパーを社会経験があり几帳面でまじめな労働者であり、短期雇用で必要なときだけ使える労働力として使いたがる企業も出てきており、その典型がアマゾンだということのようで、この本で登場するワーキャンパーの多くはアマゾンで繰り返し就労しています。移動を繰り返しながら生活費を稼ぐために短期間の就労を希望するワーキャンパーとは持ちつ持たれつということではありますが、その重労働ぶりが繰り返し描かれ、揶揄されています。登場するノマドの1人、パティは「ねぇ、ウォルマートやアマゾンで買い物するのはやめましょう。町を歩いて、小さい昔からのお店で買いましょうよ。巨大企業の儲けを減らしてやるのよ」と語り(296ページ)、この本で中心的なノマドのリンダは「アマゾンで働いていると、こんなことばかり考えちゃうの。あの倉庫の中には重要なものなんてなに一つない。アマゾンは消費者を抱き込んで、あんなつまらない物を買うためにクレジットカードを使わせている。支払のために、したくもない仕事を続けさせているのよ。あそこにいると、ほんとに気が滅入るわ」と著者にメールしてきます(331ページ)。著者自身も短期間アマゾンでの就労を経験していますが、著者はアマゾンに対して批判的な視点を持ち続けているように思えます。謝辞(347~349ページ)でもアマゾンへの感謝の記載はありません。
映画では、車上生活へと人々を追い込んだ原因への著者の問題意識は、まったく描かれていないとは言いませんがかなり薄められた感があり、アマゾンへの批判的な視点はほぼ覆い隠されています。それを棘として抜いたからアカデミー賞作品賞が取れたのかも知れませんが、本を読んだ印象は、映画の印象とは違うように思えました。
原題:NOMADLAND Surviving America in the Twenty-First Century
ジェシカ・ブルーダー 訳:鈴木素子
春秋社 2018年10月20日発行(原書は2017年)
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