夕べ少々飲みすぎたようで、本日はそれを口実に休養日とした。というか、こんな暑さの中ずっとウォーキング&ジョギングを続けてきたのだが、いくらなんでも休養日を定期的に設けないといけないはずなので、ちょうどいい折だと感じたからだ。
こうも残暑が厳しいと、体が悲鳴を上げて夏疲れが涼しくなった頃どっと出てもこまるので、定期的にきちんと休養日を設けないといけないと思う。「通りがかり人」氏の言うとおりだと思う。
しかし1日中家にいるとこれまた頭痛がしてくるので、午後ゆっくりとあるいて近くのターミナル駅まで往復した。電気製品の量販店でニッパー型爪切りと鼻毛切りの値段を調査。ニッパー型爪切りはドラッグストアで見ても東急ハンズで見ても2000円くらいもする。この量販店でも同じような値段。思っていた以上に(私の認識不足だが)高いのでびっくり。鼻毛切りはこの量販店では670円から3600円までいろいろ。この店で後日購入することとした。
途中ではソーダ味の「ガリガリ君」を頬張りながら歩いた。このガリガリ君、なかなか気に入っている。ウォーキングの途中でも水分補給の一環として、コンビニで時たま購入している。始めは「C1000」、小さなペットボトルの水、レトルトパックの緑茶ないしウーロン茶ばかりだったが、8月中旬以降にこのねガリガリ君もレパートリーに取り入れた。体を冷やすには手ごろだ。ちょっと恥ずかしいが。
さて、本日の本題。
昨日の記事にコメントをいただき、私のお返事でも触れたが、私は小さい頃から正座や胡坐が出来ない。正座をすると極端に座高が高くなる。もともと高い座高が一層高くなる。足がうまく折りたためないのだ。踵とお尻がくっつかない。お尻が宙に浮いている感じだ。胡坐をかこうとすると足を組む以前に後ろにひっくり返ってしまう。江戸時代そして戦前に生れなくて良かったと思っている。
この体質というか体型は父から受け継いだようだ。父も苦手だった。父は大正年間の生まれだったから、学生時代・軍隊時代と、このことでは多分随分と苦労というか、嫌な経験をしたのではなかろうか。晩年になって座禅を組むことに苦労しながら挑戦していたが、こういう嫌な経験を晩年になっても克服したかったのかと推察している。
私は中学・高校で柔道を習ったが、正座がとてもつらかった。3分もしないうちに痺れてしまう。正座から立ちあがってよく捻挫や骨折に到らなかったと不思議な思いだ。
そしてその柔道の教師はこのことについてまったく無理解というか、無関心というか、「正座に慣れろ」としかいわなかったし、「罰」としての正座を強要されたことも多々あった。血がかよわなく変色した足先を見ていつもぞっとしたことを鮮明に覚えている。まして父の時代の学生時代は、それが教師によるひどいいじめに発展していなかったか、と推察している。
いまでも座敷で食事が出されたりするが、正座が出来ないので座布団を3枚くらい重ねたり、旅館などでは座椅子をお願いしたり、壁に寄りかかって足を投げ出させてもらう。それでも腰がとてもつらい。時々店の人から「今の若い人は正座は無理なのかね。」といわれて腹が立つこともある。体質的に無理な人、腰を痛めて座れない人はいっぱいいる。正座が「日本人の正しい座り方」なんぞはたかだか江戸時代だけのしきたりだったはずだ。
最近ではようやく設備にお金はかかるが、旅館でも畳での食事も椅子・テーブルになったり、座敷でも掘りごたつ式の居酒屋が多数派になっている。お寺でも正座させられるところは減ってきている。正座できる人にとっても、骨格的にけっして楽な、そしていい形ではないという。かえって悪い影響を与えると教わったこともある。
お寺も、古い伝来当初もそして、禅宗の渡来の頃も、僧侶は椅子に座っていたということを聞いたことがある。武道もこの正座の「罪」について考慮してもらいたいものだ。特に学校体育に武道が取り入れられるということを聞いて、私はまたこの正座で嫌な思いをする生徒が特段に増えることを危惧している。
こうも残暑が厳しいと、体が悲鳴を上げて夏疲れが涼しくなった頃どっと出てもこまるので、定期的にきちんと休養日を設けないといけないと思う。「通りがかり人」氏の言うとおりだと思う。
しかし1日中家にいるとこれまた頭痛がしてくるので、午後ゆっくりとあるいて近くのターミナル駅まで往復した。電気製品の量販店でニッパー型爪切りと鼻毛切りの値段を調査。ニッパー型爪切りはドラッグストアで見ても東急ハンズで見ても2000円くらいもする。この量販店でも同じような値段。思っていた以上に(私の認識不足だが)高いのでびっくり。鼻毛切りはこの量販店では670円から3600円までいろいろ。この店で後日購入することとした。
途中ではソーダ味の「ガリガリ君」を頬張りながら歩いた。このガリガリ君、なかなか気に入っている。ウォーキングの途中でも水分補給の一環として、コンビニで時たま購入している。始めは「C1000」、小さなペットボトルの水、レトルトパックの緑茶ないしウーロン茶ばかりだったが、8月中旬以降にこのねガリガリ君もレパートリーに取り入れた。体を冷やすには手ごろだ。ちょっと恥ずかしいが。
さて、本日の本題。
昨日の記事にコメントをいただき、私のお返事でも触れたが、私は小さい頃から正座や胡坐が出来ない。正座をすると極端に座高が高くなる。もともと高い座高が一層高くなる。足がうまく折りたためないのだ。踵とお尻がくっつかない。お尻が宙に浮いている感じだ。胡坐をかこうとすると足を組む以前に後ろにひっくり返ってしまう。江戸時代そして戦前に生れなくて良かったと思っている。
この体質というか体型は父から受け継いだようだ。父も苦手だった。父は大正年間の生まれだったから、学生時代・軍隊時代と、このことでは多分随分と苦労というか、嫌な経験をしたのではなかろうか。晩年になって座禅を組むことに苦労しながら挑戦していたが、こういう嫌な経験を晩年になっても克服したかったのかと推察している。
私は中学・高校で柔道を習ったが、正座がとてもつらかった。3分もしないうちに痺れてしまう。正座から立ちあがってよく捻挫や骨折に到らなかったと不思議な思いだ。
そしてその柔道の教師はこのことについてまったく無理解というか、無関心というか、「正座に慣れろ」としかいわなかったし、「罰」としての正座を強要されたことも多々あった。血がかよわなく変色した足先を見ていつもぞっとしたことを鮮明に覚えている。まして父の時代の学生時代は、それが教師によるひどいいじめに発展していなかったか、と推察している。
いまでも座敷で食事が出されたりするが、正座が出来ないので座布団を3枚くらい重ねたり、旅館などでは座椅子をお願いしたり、壁に寄りかかって足を投げ出させてもらう。それでも腰がとてもつらい。時々店の人から「今の若い人は正座は無理なのかね。」といわれて腹が立つこともある。体質的に無理な人、腰を痛めて座れない人はいっぱいいる。正座が「日本人の正しい座り方」なんぞはたかだか江戸時代だけのしきたりだったはずだ。
最近ではようやく設備にお金はかかるが、旅館でも畳での食事も椅子・テーブルになったり、座敷でも掘りごたつ式の居酒屋が多数派になっている。お寺でも正座させられるところは減ってきている。正座できる人にとっても、骨格的にけっして楽な、そしていい形ではないという。かえって悪い影響を与えると教わったこともある。
お寺も、古い伝来当初もそして、禅宗の渡来の頃も、僧侶は椅子に座っていたということを聞いたことがある。武道もこの正座の「罪」について考慮してもらいたいものだ。特に学校体育に武道が取り入れられるということを聞いて、私はまたこの正座で嫌な思いをする生徒が特段に増えることを危惧している。