



昨日は、横浜開港資料館「生麦事件 激震、幕末日本」と横浜市歴史博物館「生麦事件と横浜の村々」を見学した。1862年9月14日(文久2年8月14日)から150年を記念した、同時開催の企画展である。
生麦事件の場所はほぼ現在の国道15号線と旧東海道の分岐に当たる地点で、私は幾度もウォーキングで歩いたことがあり、事件の記念碑やその説明を幾度も見る機会があった。
事件の概要は、当時の薩摩藩主の父・島津久光の行列が生麦村を通行中、馬に乗って行列に紛れ込んだ4人の外国人が警護の薩摩藩士に切りかかられ、英国商人リチャードソン(29)が殺され、2人の英国人が重症を負った事件。この殺傷事件は、賠償問題から薩英戦争にまで発展。その後の日本外交に大きな影響を与えた。
当時2人の英国人の治療に当たったのが、日本語のローマ字表記で有名なヘボンがあたった。横浜の居留外国人の間では、事件後保土ヶ谷宿に滞在していた島津久光一行への攻撃なども主張されたり、賠償問題の拗れから開港した港の「鎖港」も論議されるなどのことがあり、薩英戦争に至り、譲位から開国への大きな転換点ともなった事件である。
明治16年、鶴見の黒川荘三がリチャードソンの死を悼み、事件の風化を防ぐために私費を投じ、生麦事件碑を建立。現在でも地元顕彰会が毎年8月21日に記念祭を行っているという。
開港資料館の展示は、日本全体の歴史の流れでの位置づけを主眼として、内容は大人向け。歴史博物館は周辺の村々への事件後のさまざまな波及(江戸・横浜近郊での英仏艦隊による砲撃のうわさなど)などにも言及し、中学生も対象としたような内容。
犠牲者のリチャードソンの経歴や、事件現場で犠牲者の追悼を行ってきた地元の動きなど私には始めての知見も多くあった。特にびっくりしたのは、薩英戦争でイギリス艦隊にもかなりの人的被害があったことや、艦隊が鹿児島市街地を砲撃し焼き払った行為に対し、イギリス国内で「一般市民を対象にした砲撃」として非難の声がパンフレットとして発行されていた、などの資料が展示してあったこと。これにはびっくりした。
横浜市歴史博物館 9.23まで 300円。
開港資料館 10.21まで 200円。
この入場料金でこれだけの資料展示はなかなか見ごたえがある。


さらにもうひとつ、横浜ユーラシア文化館にて、「モンゴル~シベリアを歩く-鳥居・江上の大陸探検-」展が開かれていたので、開港記念館のすぐ近くのため立ち寄ってきた。
鳥居龍蔵、江上波夫、共に名前だけは聞いているが、詳細はしらない。江上波夫は「騎馬民族征服王朝説」を提唱した人であることは知っている。その批判についてはいろいろな本で接しているが、江上波夫自身の著作やその学説を読んだことはない。
展示自体の解説も、展示された収集遺物の解説もいまひとつ私の頭にはインパクトはなかったが、それでも遼時代の美しい緑色の陶器などには心惹かれた。
横浜ユーラシア文化館 9.23まで 300円。
この横浜ユーラシア文化館と同じ建物にある、日本新聞博物館で10月6日~12月16日までの会期で「世界遺産 高句麗壁画古墳報道写真展」が開催されるとチラシがあった。これはちょっと惹かれる。2010年と2011年に共同通信社が平壌周辺の古墳を取材撮影したものの展示とのことである。