この記事は本日5月21日付の朝日新聞の夕刊である。このオレンジで囲った下の記事に注目してほしい。
まず、「防衛相が抗議」という見出しがある。しかしその記事を読むと「言語道断で抗議する。綱紀粛正に務め、実効性のある具体的な再発防止策の徹底をお願いする」と記載されている。
抗議する、と最初に延べ最後は「お願いする」である。これが本当の抗議なのだろうか。
実はテレビのニュースでも中谷防衛相が「きつく抗議した」の次にやはり「お願いしたい」とアナウンサーが言ったのを「おかしなニュースだ」と記憶していた。それを確かめるべく先ほど新聞を見て愕然としたのだ。
「きつく抗議」したのなら言葉の最後は「求める」である。
この政府を代表して米軍の在沖米軍トップと会談した防衛相は本当に政府の代表なのか、あるいは国民の代表なのか。ここまで米軍にへりくだるというのはどういうことなのだろうか。
しかも日本政府の代表たる防衛相がなぜアメリカの代表のアメリカ大使ではないのか?
在日米軍のトップ(トップが調整官というのもよく理解できないが‥)ではなく「在沖米軍」なのか。そんなに日本政府の閣僚の地位は低いものなのか。交渉相手が違ってはいないか。在日米軍のトップが機構上ないのであれば、やはり大使への抗議が防衛相の役目ではないのか。
私も労働組合の役員であった。当局が交渉ルールを間違えたり、交渉の最中に不適切な回答をした時には何回か抗議を行った。支部長が交渉に出ていくときは交渉相手の総責任者でなければならない。そして抗議の時は「抗議する」からはじまる私の言葉は「○○とすよう求める」である。「お願いする」と甘くみられる言動など断じて行ってはいけない、と先輩からきつく教わってきた。「お願いしたい」などというようでは組合員が怒るのは当然である。組合の立ち上げ直後は当局も交渉相手を多数派に比して私たちの組合には地位の低い管理職で対応しようとした。これに抗議しながら、多数派と対等の交渉相手を指名して、それを幾度か繰り返し多数派と対等の交渉を実現できた。対応の仕方によって相手は姿勢も、回答も変えてくる。国と国との交渉、初めから嘗められてはいけない。
さらにこの記事の扱いにも私は首を傾げたい。この記事は社会面、いわゆる3面の下段である。政府の責任者が抗議に行ったのに1面ではない。これはマスコミも政府と同じように日米の上下関係を当たり前のように考えていると判断してもいいのだろうか。
自国の国民に示しがつかないことをする政府を果たして批判できるマスコミなのだろうか。
何度でも云いたい。
殺人という犯罪に「政治日程から見てタイミングの良し悪し」があるなどと閣僚や国会議員がいったり、政治日程や自らの予定が優先する「政治家」の言動が、日本の政治のあまりの劣化と貧困、そして「安全保障のために沖縄に犠牲をしている」ことのうしろめたさをひとかけらも持たない政治思想の退廃が横たわっている。