Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

藝大コレクション展・上野動物園・西洋美術館etc

2016年05月07日 22時34分12秒 | 読書
 本日は、正月に購入したパスポート(UENO WELCOME PASSPORT)が妻の机の上にあった。まだ使えるということがわかり、二人で藝大コレンション展、上野動物園、国立西洋美術館常設展に行ってきた。
 先ほど藝大コレクション展の感想はアップした。ここは空いていてゆっくりと見て回ることが出来た。
 昼食は藝大から歩いて20分ほどかけて東大農学部内にあるアブルボアというレストランでを食べた。奮発して980円のランチだった。新聞で情報を得たようだ。

   

 上野動物園は家族連れや若いカップルでいっぱいであったが、中には我々のような中年・熟年、はたまた後期高齢者のカップルも混在していた。妻の目的はハシビロコウ。この「動かない」大型の鳥は、それでもじっと見ていると時々片目だけつぶったり、首を90度動かす。そして5分も見ていると足で首を掻いたりする。こちらもじっと動かずに見ているので、人間とハシビロコウの我慢比べのようになる。ハシピロコウを見ているのも面白いが、それを見ている人間を観察しているのもまた楽しい。動くたびに発せられる歓声も面白い。
 国立西洋美術館の常設展を一周してきた。特にルネサンス期の作品を中心に1時間ほどかけた。
 行き帰りに東京都美術館前を通ったが、若冲展でチケットを持っている人の列は最後尾で90分待ち、その前にチケットを購入するためにさらに多くの人が並んでいた。チケットは事前に手に入れる方法もあるが、それでも90分待ちというのは見て出てくるまでに少なくとも3時間近くはかかるということになる。私には気が遠くなる時間である。

 三つの施設をまわるという欲張った1日であった。ただしパスポート券のおかげで3施設いづれも無料で入場できた。

 自宅に着いて歩数計を見たら2万2千歩。ゆっくり歩くというのも疲れる。

藝大コレクション展

2016年05月07日 21時21分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「藝大コレクション展-春の名品選-特集展示 藝コレの「60-70's」」を見に行った。
 事前に調べた情報では、狩野芳崖の「悲母観音(下図)」、曽我蕭白の「群仙図屏風」、下村観山の「仏誕」、高橋由一の「鮭」を見ることが出来るのが判ったので期待をしていた。
 実際にこれらの作品を見て満足したが、「群仙図屏風」が思ったよりも保存状態がよく、鮮明であったことに驚いた。また「鮭」を実際に目にするのは2回目か3回目だと思うが、つるしてある縄の実在感にあらためて見入った。
 面白かったのは「羅漢図」(13c.南宋時代)。これが日本画の羅漢図の原型なのかという思いで見た。狩野一信の羅漢図に登場する羅漢のイメージはここに始まるのかと想像してみた。青木繁と萬鉄五郎の「自画像」も両者の性格がなんとなく滲み出ているようで興味深かった。特に萬鉄五郎の何となく人を食ったような表情に親しみを感じた。
 「金錯狩猟文銅筒」(1-2c.後漢時代)の細かな紋様に見入ったが、紋様を鑑賞できる照明の明るさが確保されているのが下の方四分の一くらいでしかなかったので、暗くて全体の紋様を見ることが出来なかったのはとても残念であった。最下部に描かれた鹿と孔雀の絵はわずか1~2センチの大きさだが、精緻で躍動的に描かれていた。是非とも上部の紋様も見せてほしかった。伝統的な饕餮文とは違う紋様であり、どのような云われなのか、是非とも知りたいと思った。
 また尾形乾山の「銹絵染付山水図鉢」も気に入った。尾形乾山の陶器を展覧会などで見かけることが多いが、いつも眼を奪われる。陶器というものは不思議なもので、つい手に取って肌でその手触り、感触を味わってみたくなるものではないだろうか。

 「60-70's」は当時の卒業制作や教員の作品が並んでいたが、特筆すべきは有元利夫の1973年の作品「私にとってのピエロ・デラ・フランチェスカ」全10点が並んでいたこと。他の作品群と比べても出色の作品。初期はこのように鮮明な色彩と明確な形体で描いていたのかと驚いた。後年の淡い色調で人物の輪郭が曖昧な作品とは違い、私にはこの方が好みかな、と感じた。大天使ガブリエルが受胎告知する場面の作品に特に惹かれた。
 さらにチラシにも登場している杉全直の「 と題して」(1961)と、工藤甲人の「野分」(1964)が印象に残った。





ベートーベン「ヴァイオリン協奏曲」(ミンツ、シノーポリ)

2016年05月07日 09時19分33秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 一昨日の夜から聴いたベートーベンのヴァイオリン協奏曲の演奏が今ひとつ私の好みから遠かったので、昨晩遅くなってから、シュロモ・ミンツのヴァイオリン、フィルハーモニア管弦楽団、指揮ジュゼッペ・シノーポリのCDを聴いて「耳直し」をした。録音は1986年。同梱のロマンス2曲は1987年の録音である。
 演奏は私の持っているヨゼフ・スークの演奏よりも遅く感じるくらいである。特に第1楽章は1分も遅い。それだけたっぷりとヴァイオリンの音色を楽しませてくれる。ただ私の好みから言えばスークの方がまだ音の厚み、豊かさがあって私には好ましい。ユックリした演奏の分、メロディの扱いが空回りしている、という評価があるかもしれない。これはあくまでも私の好みの問題であるが‥。
 オーケストラの方は弦楽器の刻みの部分が明確で、メリハリは聴いている。ソロもオーケストラもともに情感たっぷりに演奏してしまっては、甘くなる。オーケストラが伴奏となる個所ではキチンと律儀にリズムを刻む方がソロは情感たっぷりに演奏ができる。ソロ楽器の旋律の自由度、伸び縮みの幅が広がると私は思っている。基礎がしっかりしているほうが元に戻りやすく、応用も聴くのである。
 そんなことを思わせてくれる演奏だと思った。
 具体的にいうと、第1楽章の出だしのティンパニーの4つの音、このCDでは聴きようによってはそっけない4つの音である。ところがその直後に奏でられる木管楽器と弦楽器が奏でる旋律は、ソロヴァイオリンが登場するまで実に細やかな表情を見せてくれる。この部分の美しさは特筆に値するのではないか。そして翻って出だしの4つのティンパニーの音が頭の中に生き返ってくる。これはベートーベンの作曲法の優れた点を強調しているような演奏なのかもしれない。
 一転してソロヴァイオリンが登場するとオーケストラの音色や表情が一変する。先ほど述べたように刻みの音が正確に明瞭に生き生きとした表情に変わる。ソロとオーケストラの息が合っている、ということの意味が分かるような気がする。
 ミンツというヴァイオリニスト、線が細そうではあるが実に美しい音を紡いでくれる。細かな音も丁寧に弾いているようだ。第2楽章で特にそれを感じた。
 しかしこの第2楽章、これより遅くなるとおかしくなる。その限界に近いテンポだと思う。そして第2楽章の最後の場面から第3楽章に移行するまで、弓を弾き絞るように貯めた力で一気に第3楽章になだれ込む場面、ソロヴァイオリンの力量が問われる場面があるが、私の思いからするとソロヴァイオリンの低音にもっと厚みと力強さが欲しいと思った。
 その思いは第3楽章全体をとおしていえることであった。
 シュロモ・ミンツは1957年生まれというから、この録音の時は30歳になるかならないかの年である。いくら優れた演奏家として有名であっても、円熟期の優れた大家の演奏のようにすべてを求めるのは、私のような年寄りの欲張りなのかもしれない。