Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

最近は次第にハードな業務量に‥

2016年05月13日 22時52分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく沖縄旅行のときの報告書を作り終えた。写真といくつかのリーフレットなどをちりばめて、辺野古基金からの御礼状を添えてA4版で6頁だて。
 旅行に参加した9人分は印刷する予定であり、退職者会のブログにもアップするつもりでいる。だが、全体への配布はどうするか、これからの相談である。
 10日に水戸・大洗・那珂湊まで行った日帰り旅行の報告書は今月16日の幹事会までには間に合わないが、来月の幹事会までには作成したい。

 スケジュール帳によると、明日は土曜日であるが、組合の会館に取材に行くことになっている。午後からはみなとみらい地区で講座がひとつある。
 土・日にかけて退職者会の私のブロックの会報(A4版で2頁)を作成する予定。

 最近かなりハードな業務量になってしまっている。


高島野十郎展

2016年05月13日 21時06分52秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 久しぶりに高島野十郎の展覧会を目黒美術館で見た。今回初めて見る作品もあり、期待どおりの展示であったと思う。2500円の図録も充実している。
 1941年の作品である「朝霧」。高島野十郎はこのような下草についても執拗ともいえる位に精緻に描いている。そしてとても懐かしく美しい作品であると思う。かといって写真とも違う独特のリアリズムである。



 まだ頭の中の整理が出来ていないので、今回はチラシと展示目録、年譜そして戦争中に描いた「朝霧」を掲載してみる。

      


ブラームス「ホルン三重奏曲」

2016年05月13日 11時31分45秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 ほぼ一年ぶりに取り出して来たCDは「ホルン三重奏曲&クラリネット三重奏曲」から、ホルン三重奏曲をかけながら、沖縄旅行の写真の整理を行っている。
 ホルンの曲は昔はモーツアルトのホルン協奏曲ばかり聴いていたが、このCDを購入してからはこちらの比重が高くなった時期もあったと思う。最近はちょっとご無沙汰足してしまったけれども‥
 昨年6月2日に私は以下のように記していた。

「この曲、ホルンの曲と思っていると出だしがバイオリンで始まりビックリする。しかしバイオリンとホルンの掛け合いが極めて自然に、そして美しい音の重なり合いで無限の波のように繋がっていく。第二楽章はよく聞く曲である。軽快で耳に心地よい。ピアノが全体をひっびっているような感じがする。トリオの少し哀愁を帯びたメロディーがスケルツォと対照的で面白味がある。第三楽章は母親を悼むエレジーだということだが、独立した曲としても聴きたい曲である。バイオリンとホルンが絡むように曲を紡いでいく。第四楽章はバルブがないと吹けそうもない技巧のように思われるような激しい動きのスケルツォである。狩りを思わせる曲というが、ヨーロッパの狩りというのはこのようなものなのだろうか。狩りと云うと息を潜めて一瞬のうちに生死の矢が放たれる緊張を強いられるものと思っている私のイメージとは随分と違う」

 緩-急-緩-急というバロック時代の古い教会ソナタ形式ということを聴いたが、いかにもブラームスらしい選択なのかもしれない。母親の追悼という第三楽章と狩りの情景を念頭に置いた第四楽章が並列というのがなかなか私たちには理解できない組合せではある。
 このホルンの響きを聴いていると、あまり肩肘を張らないで、ちょっと姿勢を崩し、寛いだブラームスを感じることがある。1865年の作品で、ブラームス32歳。ブラームスにしては早い時期の作品である。
 さてホルン、ヴァイオリン、ピアノという取り合わせは珍しいのだが、この曲を聴いていると違和感なくよく演奏される形式のように耳に入ってくる。さすがブラームスという思いがする。Wikipediaの記述によると「同じ編成の曲として、ハンガリーの作曲家ジェルジ・リゲティが1982年に作曲したホルン三重奏曲がある。この曲には『ブラームスを称えて』という副題が付けられている」と記されている。この形式の曲はこの2曲のみと考えていいのかもしれない。
 ホルンをヴィオラに変えての演奏もブラームス自身が認めているとのことだが、この曲のヴィオラ版はまだ聴いていない。今井信子のヴィオラで聴いてみたいものである。