Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

鉄道事故が頻発した日

2016年05月18日 23時00分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は昼前に出かけて整形外科に通い、その足で横浜線の古淵まで出かけて、「井上雅之展-水鏡-」を見てきた。その後おにぎりを頬張りながら聴く名に出て、東横線-日比谷線経由で上野まで。
 高崎線のトラブルにともない東海道線・横須賀線・湘南新宿ラインが止まったり遅れたり。さらに人身事故で京浜東北線・山手線がストップ。東武東上線の脱線事故は特に私には影響はなかったものの、日比谷線経由という、安いが時間のかかる選択をした。そして上野駅の傍で「若冲展」の混雑の状況がツィッターで報告があり、結局上野駅構内から外に出ることなく、菊名駅に引き返した。しかも図録は3000円らしい。チケットを購入していても100分待ちというのも信じられない混雑である。

 そして帰る時は、菊名駅から自宅まで歩いた。少しずつ足を慣らすために遠出をしないと、夏の登山に支障をきたす。体重減と足腰の再度の訓練は夏山の最低限の準備である。本日の歩数は18000歩。腰の方には影響は出ていない模様。ホッとしている。

 明日は10時から講座がある。早目の就寝としたいものである。


井上雅之「水鏡」展

2016年05月18日 21時07分40秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 本日はお昼前に横浜線古淵駅傍の「ギャルリー ヴェルジェ」を訪れて、「井上雅之展-水鏡-」を見てきた。
 すでに5月5日(木)にもこのブログにアップさせてもらった展示である。
 本日は井上雅之氏はギャラリーには見えていなかったが、20分ほど今年の新作をじっくりと見てきた。
 これはまではオレンジ色に近い赤色や、赤味がかった紫色が中心の作品であったが、今回は緑ないし青の色を中心に黄色が効果的に配置された画面になっている。いくつかの習作を経て大きな作品に仕上げている。大きな作品は4点あったが、どういうわけか携帯のカメラで写したものには3点しか記録されておらず、ちょっと残念である。しかし私の一番のお気に入りは、「See Through 78.2016 MIZUKAGAMI」~「See Through 80.2016 MIZUKAGAMI」のうちの2点目である。
 どの作品も雁皮紙によるコラージュということで、アクリル板と雁皮紙を使っている。私の眼にも、実に丁寧に作っている。その丁寧なこだわりが私の好みに合致している。発色の具合をさまざまに工夫を凝らしながら微妙な色の効果などを追及しているようだ。
 そして色のバランスというか、色の配置や模様の持つ固有振動が私の気分にぴったりと寄り添ってくれる。
 今回の作品は青ないし緑を主体としているので、水鏡というシリーズの名称は作品とぴったりである。どこか静かな池にそっと波紋を描いて見せたような雰囲気が出ている。黄色に特徴的な点のような模様が何を象徴しているのか、しばし考えてみるのも面白い。私には光が水面に踊っている様にも見えるし、池の中から何かの小さな芽が出てきて、光を一手に集めている様子にも見える。昔から私は広大な宇宙に点在する銀河系の重力場を想像していたが、銀河系に現われる超新星爆発のような輝きにも見えてくる。
 展示は21日まで。

   

モーツアルト「ピアノソナタ#6、#16」

2016年05月18日 11時03分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 昨日とは違って気持ちの良い天気となった。久しぶりに特に用事もないのに7時台に起きた。朝の内に聴いていたCDは、昨日と同様内田光子の演奏の「モーツアルトピアノソナタ#6(K.284)、#16(K.570)、ロンド(K.485)」、1986年の録音。
 #6は1775年19歳の頃の作曲らしい。この曲には「デュルニッツ」という名がついているとのことだが、これはデュルニッツ男爵の依頼による作曲によりつけられたという。モーツアルト自身が好んで演奏した曲らしい。
 #16は1791年35歳最後の年の作曲。作曲後10か月後に亡くなっている。解説には「表面はただ可愛らしい感じがするが、その裏はモーツアルト最後期にしか無い清浄さに満たされている」と記されている。解説にもあるように第2楽章アダージョは心に残る。

 このCDのシリーズの嬉しいところは演奏者の内田光子の言葉が添えられているところである。
「バルトークは中部ヨーロッパの広原、ルーマニアの赤土の広野を心に浮かべるが、モーツアルとの音楽からは自然のイメージが浮かぶことは全くない」
「バルトークにあるごつごつとした岩の感触はモーツアルトには皆無である」
「岩の感触のあるのはベートーベンであるが、‥理想に変換したムラムラとした肉体の爆発に向かう力を感じる」
「ブルックナーになると天に昇るというよりもよりも神とのエクスタシーとしか呼べない世界が有る」
「ショパンのようにモーツアルトに近いアリアの歌心にあふれた人にもポーランドの熱情の裏には、怜悧で覚めきった頭を感じる」
「(モーツアルトには)頭の閃きはあっても覚めてはいない。神とも特に深い関係があったとも思えず、自然の匂いもしないとる」
「ただ心から心に語りかける音とでもいおうか。心とは何かなどと考えるのはやめにして、モーツアルとの音楽を心に響かせよう」
 いづれも内田光子氏の作曲家論とモーツアルト論になっている。演奏家の思いが伝わるのが嬉しい。