最近はブラームスにご無沙汰をして、モーツアルとのピアノソナタばかりを聴いている。いつもの癖である。誰かの曲を聴き始めたり、誰かの本を読み始めたらその人の作品ばかりを読み始める。念入りに読み込むということをしないで、わからないところなどはさっさと読み飛ばして次に行く。じっくり腰を据えて聴いたり、読みこんだりしない。何となく全体の印象がおぼろ気に出来上がればそれで満足する。悪い癖でもある。
何かの専門家になることのできない性格でもあると思っている。
このブログにさまざまな印象を記載するようになって、それなりに頭の中は整理できるようになってきたように感じている。印象を記載するということに面白味がある。あまり気負いすぎない方が整理しやすいということもわかってきた。
そして生真面目に原稿用紙に向かうよりも、ワープロソフトの画面に向かって片意地張らずに書き続けることの方が楽である。校正も書き直しも、付け加えも簡単にできる。
今、宿題として頭の中でどうにかしたいと思っているのが、高島野十郎の展覧会の感想。2回ほど書いて思考が停止している。
2010年の時の印象はすぐにかけた。今回ははじめにたてた「戦争をどのように潜り抜けたのか」という視点があまり意味の無いこだわりのように思えてきた。次の視点を探り始めてそのままになっている。頭の中で引っ掛っているものは早く出してしまいたいのだが‥
何かの専門家になることのできない性格でもあると思っている。
このブログにさまざまな印象を記載するようになって、それなりに頭の中は整理できるようになってきたように感じている。印象を記載するということに面白味がある。あまり気負いすぎない方が整理しやすいということもわかってきた。
そして生真面目に原稿用紙に向かうよりも、ワープロソフトの画面に向かって片意地張らずに書き続けることの方が楽である。校正も書き直しも、付け加えも簡単にできる。
今、宿題として頭の中でどうにかしたいと思っているのが、高島野十郎の展覧会の感想。2回ほど書いて思考が停止している。
2010年の時の印象はすぐにかけた。今回ははじめにたてた「戦争をどのように潜り抜けたのか」という視点があまり意味の無いこだわりのように思えてきた。次の視点を探り始めてそのままになっている。頭の中で引っ掛っているものは早く出してしまいたいのだが‥