Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

これから雨の予報

2016年05月29日 23時37分56秒 | 天気と自然災害
 弱い雨が神奈川県の西部で降り始めているようだ。「レインアイよこはま」を見ると、一時間当たり5ミリ未満の雨の表示がしだいに県西部から次第に横浜に近づいている。
 明日の天気予報は、雨がやや強くのち曇り。雨は15時くらいまで降り続くようだ。最高気温の予報が20℃。

 明日は特に予定はない。家でおとなしくしている予定。


「パウル・クレー:皮肉が効いている」展(パリ)

2016年05月29日 20時16分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「芸術新潮」を生まれて初めて購入したのだが、先ほど何となく眺めるようにページをめくっていた。126頁に上記の記事が目に入った。
 クレーはとても好きな画家なのだが、この作品は初めて目にしたと思う。青と黄の配色と人物像が気に入った。解説には「ピカソはライヴァルであり、下手をすれば自分が潰されるかもしれないと脅威をおぼえる存在だったようだ。」と記載されている。ピカソとは違いシンプルな曲線で描いているが、描き方はキュビズムそのもののように思えた。記事のように負けず嫌いであったかもしれない、また皮肉屋であったらしいことは伝わってきていたが、「潰す・潰される」という表現にまで踏み込んでいいのかは私には判断はつかない。しかしこれは見に行きたいと思ったものの、末尾に記載されていたのは「パリ、ポンピドゥーセンター」とある。
 日本の開催ではなくパリでの開催であった。このページ、何とグローバルニュースの頁であった。すっかり騙されてしまった。
 しかしこのような作品、またパウル・クレーを気に入ってしまった。




モーツアルト ピアノソナタ「#10、#13、アダージョ外」

2016年05月29日 16時51分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 #10は1781年、#13は1783年の作品である。1781年25歳のモーツアルトはザルツブルクからウィーンに移り、教会や王侯のお抱え作曲家からフリーの作曲家として演奏会、オペラ、レッスン料で生活の糧を得るという自由の身となる。翌年にはコンスタンツと結婚。もっとも充実していた頃の作品である。1785年の弦楽四重奏曲集「ハイドンセット」、1786年ふたつのオペラ「フィガロの結婚」「ドン・ジョバンニ」、1788年には「交響曲#39、#40、#41」(3大交響曲)を作っている。
 しかし次第に人気に陰りが出、収入が減り、借金生活を続けるようになる。しかし最晩年の1790年、そして死の年1791年は数々の名曲が生み出される。ピアノ協奏曲#26(戴冠式)、同#27、オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」「皇帝ティートの慈悲」、「魔笛」などのいわゆる名曲群が残されている。
 私の好みから言うとこのふたつのソナタはあまり頭の中に残ってこなかった。だいたい第2楽章がまず気に入って全体が好きになるパターンが多いのだが、切れ切れの曲想に思えてピンとこない。第1、第3楽章はいかにもモーツアルトらしい、とは思うがインパクトが感じられない。私の聴き方がどこか欠陥があるのかもしれないと思っている。
 いつかひょっとしたら心に響いて忘れられなくなる日があるかもしれない、と期待している。

 このCDの録音は1784年。例によって演奏者の内田光子が書いている。
「モーツアルトはどのような演奏をしたのであろうか。もしもタイムマシーンが本当に使えるなら、第1に飛んで行きたいのは、1784~5年頃のウィーンである。」
「楽器も時代も演奏家も超越してモーツアルトは居る。」