Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ブラームス「弦楽六重奏曲第1番、第2番」

2016年05月28日 22時32分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 昨年末の大晦日に聴いたブラームスの弦楽六重奏曲第1番と第2番。その時には「聴くと内省的になる曲」と記載した。本日はあまりそのような雰囲気にはならなかった。ちょっと気分が落ち着いていない。落ち着けるためにかけてみたが効果はなかったようだ。
 しかし第1番の地の底から浮き上がってくるような低音の出だしは幾度聴いてもいい。ヴァイオリンの中音域のメロディに繋がる第1楽章はとても27歳の青年の作とは思えない。ものすごく老成したした人の感性のような気がする。第2楽章の甘いメロディーは昔は敬遠気味だった。今でもすこし胃もたれする甘さだと思うが、拒否反応まではない。甘いメロディーというとチャイコフスキーが挙げられるが、チャイコフスキーとどこが違うのか、という疑問はまだ私の中では解決していない。
 本日の気分からすると選曲を誤ったかもしれない。


日経サイエンス7月号から

2016年05月28日 20時38分58秒 | 天気と自然災害


 熊本地震の基本的なダイナミズムなどを知りたくてこの雑誌を購入してみた。まだ私に理解できる力が残っているか極めて心もとなかったが、取りあえず読み終わることはできた。いくつも理解できないところがあったが、あまり細部にこだわっても思考の迷路に入り込むことは目に見えているので、読み通すことを主眼にした。

 全体の印象としては列島西側のフィリピン海プレートのダイナミズム論へと積み上げる方式であった。そのことは大きな視点から熊本・大分の地震を見極めるために必要なことは十分理解できるのだが、私のようなもうすでに素人と化した頭脳にはかなり議論の飛躍が感じられた。もう少し入門者にもわかるような記述、丁寧な説明が欲しかった。限られたスペースですべてのことを説明することは不可能であることは承知をしているので、それは致し方ないということも理解しているつもりだが‥。
 プレートの運動、大陸側のトラフの成因について勉強し直さなくてはいけいなと思ったが、しかし今回の震源域が深さ10キロより浅いところに集中していることと、群発地震化していることの説明が欲しいと思った。
 プレートのダイナミズムと、今回の地震が発生している個所の深さが浅いということの説明がなかったように思う。
 理解できなかったことのもうひとつは、ブィリピン海プレートの「九州・パラオ海嶺」が大隅半島に衝突しているのが原因で、地表全体の動きがその衝突点を中心として反時計回りになっている、という点についてはなるほどと思いつつも、まだわからないことが多い。これは私の理解不足である。宿題のような感じを受けた。今回はこれ以上の深入りは断念したいと思う。

伊藤若冲のふたつの水墨画「売茶翁像」

2016年05月28日 11時30分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 この2枚の絵を見ながらこんなことを考えた。

 「若冲と蕪村」展では、2枚の「売茶翁像」が展示されていた。2枚とも水墨画である。1枚はだいぶ黄ばんでしまっているのだが、1757年42歳の作品。もう1枚は1789年74歳の作品。
 両者そのまま並べて見ると、前者は実に細かく描きこんでいることに気がつく。籠や衣、髪など丹念に描写している。
 一方後者は前者に比べて、墨の色がかなり濃い上に、筆使いはかなり大胆である。それほど細かいところには留意していない。籠の編目など筆の跡は太い。だが、的確な描写である。衣については裾の色が濃いために少し重い感じもする。それが風の強さを強調しているようでもある。衣が風に煽られている感じが強くなっていないか。
 顔に着目すると、前者は老いをきれいに描いているように感じる。髭は整えてはいないが白く清潔に見え、汚らしさはない。歯も、抜けてはいるが、口元にしまりがある。黒眼が生きている。顔全体が正面を凝視し、生気がある。
 後者は老醜も描いている。髭が黒く清潔さがない。歯の抜けている様が前者より強調されていて口元にしまりがない。黒眼が淀んでいる。全体に皺が深く、髪も弱々しい。顎が出っ張ることで少し下向きになり、凝視というよりも口をあけて力なく眺めている風情である。
 明らかに後者の作者が74歳の作の方が老いというものを見つめ、そして内に老いを囲っている。前者の42歳の作者は老いを理想化している。

 解説によると「売茶翁」とは黄檗宗の僧、月海元昭(1675-1763)。前者には売茶翁自身が83歳という高齢をおして書いた賛がある。
 後者は、売茶翁の没後に描かれたので、端正な字の賛は別人。しかし売茶翁83歳の像となっている。

 私は今64歳。現役の頃と比べて老いを実感はするが、まだまだ切実に思うことはない。自分が40歳代の時に83歳の老いをどのように想定していただろうか。そんなことはときどき考えるが、よくわからない。やはり、この若冲の作品のように自分なりの理想の像を想定したと思う。それだけは確かだと思う。
 若冲は後者の像を描く前年の73歳のときに天明の大火で家を焼かれ、信仰を寄せていた相国寺も焼亡している。かなりのショックを受けたらしい。描いた翌年の75歳の時にはかなりの大病を患っている。大火後、老いを感じたり体調が思わしくなかった可能性は大いにある。老いというのが身近に、そして我が身のこととして自覚した可能性は強い。
 このことが前者とは違う老いを描いたことに繋がっていると解釈してみた。
 当時は50歳を過ぎれば老境だったかもしれない。70歳代、80歳代というのはまた極めてまれであったろう。そこで感じる老いというのは今よりもさらに切実だった可能性はある。
 私がこれからごく近いうちに老いを実感せざるを得なくなった時、このように客観的に老いを描くことが出来るであろうか。画でなくとも文章で老いを綴ることができるであろうか。そんなことも考えさせられる。