
2014年10月に私は当時上野の森美術館で開催していた「北斎展」で次のように記載してみた。
もう一枚は、1832年の頃の「百物語 さらやしき」。百物語は当時はやった「怪談会」のことで、怪談をひとつ終わるごとに燈明を消していき、最後の明かりが消えるときに怪異現象が起こるといわれた。「さらやしき」は惨殺された下女のお菊が夜に井戸から現われ、皿を数えるという有名な話。
このシリーズの妖怪、怨霊はどの絵もどこかおかしみを誘う絵であるが、これもこれから数えはじめるのか、途中で草臥れたのか、霊気を吐きながら上目遣いで一息入れているとしか思えないポーズである。しかもろくろ首のように首が長くお皿を首にかけている。
若い頃はじめてこの絵を見て、私はキセルをふかして一息入れているろくろ首だと信じていた。遊び心満点の絵である。「怪談会」も北斎の手にかかるとこのように滑稽味も付加される。
昨晩本箱にあるポストカードの収納帳を見ていたら、この作品が目についた。目についたというよりもこの女性の妖怪の顔に惹きつけられた。随分と現代的な顔をしているな、と思った。これまで「おばけ」としてしか見ていなかったのだが、極端だが垂れた目の黒目の部分の描き方、鼻から唇、顎にかけての描写が現代的な感じでないだろうか。浮世絵の女性像からはとても想像できない横顔の女性像が妙に生々しい。額の張り出しは現代人とは違うが、顔の眼より下はとても現代的ではないだろうか。




例えば2015年8月に芸大美術館で開催された「うらめしや~」展での出品された女性の妖怪・幽霊図などの作品などには見られない像である。西洋画の影響を指摘するだけでは何か足りない。その時には明治以降の妖怪図も掲出されていたが、それらは江戸末期の妖怪図の範疇を超えない作品に思えていた。
有名な「伝円山応挙 18世紀 幽霊図」、「鰭崎英明 1906 蚊帳の前の幽霊」、「上村松園 1918 焰」などとはまったく違う女性像である。
私も含めて多くの人は、幕末から明治初頭の日本での写真を見て、「日本人の顔はずいぶんと変わった」と感じている。男女ともやせ形からふくよかになった以上に骨格も、目の表情も違いがある。ということはこの北斎の女性像は、描き方が西洋画の方法を取り入れただけでなく、当時の女性とは違う北斎の頭の中にある特別な女性像ということになるのかもしれない。誰がモデルだったのかは私などにはわからないが、当時の女性の化粧などを落とすと女性の顔はそれほど変化はない、ということなのだろうか。
いくら想像してもわからないのだが、この絵を見て当時描かれた女性像とかなり違うことと、現代の日本の女性像からは遠くないということだけは強く感じた。