Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「野哭」(加藤楸邨)から 4

2020年04月09日 21時50分43秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 「野哭」におさめられている「野哭抄」(1946.9~1947.12)から。

★何がここにこの孤児を置く秋の風
★日の中に死なざりしかば野分満つ
★死ねば野分生きてゐしかば争へり
★ある夜わか吐く息白く裏切らる
★昆虫のねむり死顔はかくありたし

 第2句から第4句までは「述懐(5句)」とある中から3句。
 第1句、戦争孤児の悲惨な状況を見て、為すことのできない自身への苛立ちが伝わる。
 第2句、戦争末期の東京へのいくたびもの大空襲の中を生き延びた作者である。それらは句集「火の記憶」に求められており、すでにここで取り上げた。
 第3句、第4句、この頃加藤楸邨は教員組合の闘争委員として、寝る間もなく活動していた。対政府の場面でもなかなか統制も取れず、そして方針を巡ってさまざまに内部対立を孕みながら活動していたものと思われる。どのような立場だったかは私には今のところわからない。
 第5句、人は疲れたり、ホッとしたとき、自然に自分を投影し、そいて一息つく。どのような時代もどのような人も、自然は拠り所になる。特に緊張がつづくとき、また人と人との諍いに翻弄されるとき、それは切実である。ただし「昆虫」は季語ではない。この句は無季の句。「昆虫採集」であれば夏の季語にはなる。

 第3句~第5句、わたしの心がよく共鳴する。実感としてとてもよく理解できる。

 


腑に落ちないこと‥

2020年04月09日 21時06分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 埼玉県から茨城県にかかっていた雨の区域が18時くらいから突如として南下し始め、20時過ぎに我が家の周辺でも弱いながら降り始めた。横浜市のほぼ全域まで雨の区域が広がっている。そして北風が吹き始め冷えてきた。天気予報では触れていなかったのでびっくり。
 現在は横浜の湾岸部で停滞してしまった。なかなか雨の区域は東に去って行かない。

 神奈川県でも感染者が急激に増加し始めている。毎日感染者数がニュースで明らかになるが、わたしがどうしても腑に落ちないのが、「検査数」が公表されないことである。「検査数」と「感染判明数」とは同時に発表されない限り、統計の意味がないと思うのだが、いかがなものであろうか。
 感染数/検査数の割合の推移が今後の増減や拡大・収束の大きな指針になるのではないだろうか。また用意すべき病床数の目安にもなるのではないか。基本的な統計処理に問題があるとしか思えないのだが、わたしだけの意見なんだろうか。

 


ウォーキングを兼ねて

2020年04月09日 20時02分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

   

 午後の読書タイムはわずか30分程度。その他はパソコンのデフラグやさまざまなデータのバックアップをしているうちに夕方近くなってしまった。17時少し前に近くの私鉄の駅の近くまで若干の買い物を頼まれてウォーキングを兼ねて出かけた。買い物客はそれほど多くなかった。いつものパターンならば18時くらいからスーパーも混雑するのだが、本日はどうなるのだろうか。

 明日は横浜駅近くの家電量販店へ出かけなくてはいけなくなった。「不要不急」とは言い切れないものが必要になった。人によって切実さの加減や優先順位は違う。


病院と薬局の付き添い

2020年04月09日 16時35分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評



 午前中は親の病院の付き添い。近くの病院で、しかも待合室はがらんとしていている。同じビル内のかかりつけの二つの病院。いづれも薬の処方が主な目的。今回からは2カ月分を処方してくれた。薬の処方の上限の取り扱いが変わったのであろうか。自分や身近な家族が病状を管理できる患者はいいが、そうではないと一律では危険な面もありそう。
 心配だったのはこのビルの一階にある薬局。普段から待合室がとても狭くて、人が道路にあふれてしまう。本日も心配して、歩いて20分ほどの薬局で私が代わりに薬を貰うつもりで、妻と3人で病院に来た。しかし薬局で待っている人は少なかった。5人ほどが室内で待っていただけであった。薬の処方が長期間可能になったことで薬局が混雑しなくなったのであろうか。

 近くのスーパーでの買い物にも付き合い、ついでに私は焼酎を買い物かごにそっと忍ばせた。レジで妻に睨まれたが、無視。無料での配達カウンターに無事運び終えた。

 さて、昨日眺めたサクラ、すっかり花弁が落ちて赤い蘂ばかりとなった。これが散るといよいよ連休、そして夏となる。