Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「野哭」(加藤楸邨)から 5

2020年04月11日 21時43分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 引続き句集「野哭」所収の「野哭抄」(1946.9~1947.12)から。

★わがための一日だになし寒雀
★凩や焦土の金庫吹き鳴らす
★咳つのる目を日輪のゆきもどり
★墓碑もなき幾万にかく冬枯れし
★寒雷や今は亡き目を負ひて生く
★掌をみつつさびしくなりぬ冬の雁
★火の記憶牡丹をめぐる薄明に
★宙にわく雪片一縷ののぞみつづく

 第1句、教員組合の役員として奔走していたころの句であろう。
 第2句、焼け野原の東京、焼けた一角に金庫が放置されている光景。大切な金庫がまだあるということは、そこに住んでいた人とその家族は空襲ですでに皆亡くなってしまったのだろうか。あるいは扉がこじ開けられ残骸だけが残っているのか。敗戦も一年以上がたっても、放置されている土地である。焦土の情景を詠んであまりに有名な句。
 第3句、詞書に「全官公労ゼネストを前に委員会出席、その後病臥」とある。戦後のあの有名な、不発となった全官公2.1ゼネストの前夜の行き詰る緊張感が私には伝わってくる。その時はわたしはまだ生まれていなかったが、小学生の時にも当時のことを生き生きと語る方が近くに住んでおられた。日本中が固唾を飲んで注視していたのである。
 第4句、第5句、第7句、戦争や空襲で亡くなった友人や親族の目を意識しながら戦後の時間を過ごしている。
 第6句、啄木の「一握の砂」の「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり/ぢっと手を見る」が念頭に当然ある。戦後の「革命期」、その挫折が見えてくる。啄木の運動体験と重ね合わせている。
 第8句、「挫折」はしても、どこかで雪片ひとつにのぞみを託す、あるいは若い人のエネルギーに何かの期待をする、そんな私自身の燃え尽きない熾火のような何かを重ね合わせて読んでしまう。


公園の散歩

2020年04月11日 20時55分07秒 | 山行・旅行・散策

   

 外出自粛ということで、電車に乗ったり、地下の繁華街を歩く気はさらさらないのだが、近くの住宅街の中の少し遠めの公園に二人で出かけた。ついでに生活必需品の買い物ということで、スーパーにも立ち寄った。
 外はとてもいい天気、この天気で家に引きこもっているのはつらい。昨日見かけたヤエザクラも見てきた。ソメイヨシノとヤエザクラが並んで咲いているのを見るのは不思議な気がするものである。横浜では同時に咲いているというのはあまりないのではないか。


7月末まで講座は中止

2020年04月11日 10時45分11秒 | 思いつき・エッセイ・・・

 いつも市民向け講座を受講している神奈川大学KUポートスクエアより「緊急事態宣言を受け、7月末までの講座をすべて中止」とのハガキがきた。
 大学のホームページでは8日付けで「8月1日(土)まで大学構内への立ち入り禁止」となっている。KUポートスクエアでも「8月1日(土)までの講座は中止」の表示。

 この期間に行われる講座をひとつ申し込んでいた。5月中旬から7月上旬までの5回、それも横浜キャンパスなのですぐ近くで開催される予定であった。
 現役を退いた人ばかりと思われる受講生にとっては、会場に足を運び、頭の体操になる貴重な時間であるので残念である。世の中と自分を結び付けたり、過去に学びたかったことなどの機会は大切にしたいものである。
 家に閉じ込められると刺激のない世界に籠ってしまって決していい結果にはならない。心して思考の刺激になるような読書に邁進するしかない。

 一方で、私などの市民向け講座は中止はやむを得ないとは思うが、現役の大学生はこの期間はすべてオンライン授業に移行、とのことである。こちらは可哀そうというよりは深刻である。授業というものは、講義するものと学生との1対1で完結するものではない。神奈川大学ばかりではなく、他の大学でも同じ状況であると思われる。
 授業というものは、講義する者と複数の学生との対話、学生相互の関係の構築が必須である。さらに若い学生にとっては友人の獲得が大切である。私などは授業よりもこの友人の獲得がもっとも大学での収穫であった。はっきり言ってこれがなくて何の学生生活か、と思う。
 多くの人にとっては学生時代の友人は生涯の友人になれる可能性が大きいのである。損得抜きの付き合いというのは、モラトリアムの期間に得た友人である。

 現下の状況では休講やオンライン授業というものはやむを得ない措置であることは十分に理解できる。私などの年寄りが心配するのは余計なことであるのは重々承知している。そして新しい学生は新しい手段で友人関係を獲得しているとは思う。
 だがひと言、閉じられた友人関係から、より開かれた人間関係に移行できる可能性を自覚的に見つけてもらいたいものである。講義で教える者は、そこまで自覚的に配慮できる人は多くない。