Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨が予報どおりに‥

2015年01月26日 23時37分34秒 | 天気と自然災害
 横浜では、天気予報どおり先ほど23時頃から雨が降り始めた。明日の昼前まで雨が降り続くらしい。今週の予報では30日(金)あたりに雪が降る可能性があるらしい。
 明後日の水曜日から気温が下がり始め、金曜日は最低気温が0℃、最高気温が5℃ということで雪になるか雨になるか微妙ではある。降ってもちらつく程度にしてほしいものである。子供たちにとってはそれでは不満であろうが‥。

 明日は特に予定はないが、出かけるとすれば昼過ぎからの方が良さそうである。用紙の棚の整理用に板を数枚購入する必要が生じた。
 その他の時間は読書タイムにしたいものだが‥。

ベートーベン「Vln.Sonata9番クロイツェル&10番」

2015年01月26日 22時58分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 夕食後から先ほどまでかかってプリンター台と用紙棚の耐震用のオレフィン・ゲルを床面などに貼り付け作業を行った。ついでに用紙をだいぶ整理した。各種サイズの用紙、厚紙・カラー・写真用光沢紙、各種ラベルと実にいろいろあるが、自分でも購入した時のことをよく覚えている。

   

 作業中に聴いていた曲はベートーベンのバイオリンソナタ第9番「クロイツェル」と第10番。バイオリンはヨゼフスーク、ピアノはヤン・パネンカ。1966~67年の録音となっている。輸入盤なので解説の詳細は私にはわからない。
 さすがに私の好きなヨゼフ・スークである。誇張ではなく、クロイツェルソナタが私は初めて美しいと感じた。こんなにしっとりした曲かと認識をあらためた。
 第10番も同様に静かな気分で聴くことが出来る。

 確か仕事を退職した直後に購入したのではなかっただろうか。第1番~第10番までCD4枚組である。

震度2

2015年01月26日 11時33分04秒 | 天気と自然災害
 今朝7時20分頃地震があったらしい。ぐっすりと寝ていたのでまったく気がつかなかった。
 7時26分に市からの地震情報のメールできがついたが、ちらっと眼をとおしただけですぐに寝てしまった。8時過ぎに目が覚めてメールチェックをしてようやく「地震だったのか」と再認識。我ながら情けないものがある。
 震源は千葉県北東部で深さ40キロ、マグニチュード4.9。18分後には余震が起きてマグニチュード3.8。この余震では横浜は有感地震にはならなかった。特に心配はないようだが、よく発生する場所でもある。気分のいいものではない。

 今朝は3月に行われる古代史の講座の申込み、2月の山口二郎氏の講座の申込み、ある結婚披露パーティーの参加案内への返信、その他とまとめて4種の申込み・返信を行った。
 切手が切れてしまった。切手の買い置きをしないといけない。耐震用に家具の下に貼り付けるジェルもいくつかまとめて購入しなくてはいけない。ちょっと予定外の出費が重なる。

 しかし朝日が部屋に差し込む中で、ブラームスのバイオリンソナタの第3番を聴いている。なんとも贅沢な朝である。これから外出の支度。

香月泰男の絵2

2015年01月25日 20時20分23秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 2010年に12回にもわたって「香月泰男のシベリアシリーズ」を掲載した。もうそれから4年半年も立ってしまった。
 その間に宮崎進展を取り上げたときにシベリア体験ということで比較として取り上げたことがある。
 シベリアシリーズの作品のような絵ばかりを描いていたわけではないのだが、私の頭の中ではシベリアシリーズを除いて香月泰男という画家は存在しない。
 本日取り上げている12枚の1967年一年間、雑誌「新潮」の表紙を飾って12点の作品もその作風が大きく反映している。
 7月から12月までの作品では3点の作品に赤色が効果的に配置されている。
 10月の「彼岸花」、11月の「巴里屋根」、12月の「West End Ave」の3点。シベリアシリーズでは初期の1948年の「埋葬」、そして1970年の「業火」という2点に鮮やかな赤が使われているが、他は特有の黒と茶色が主体のシリーズである。
 香月泰男という画家が戦後になって赤という色を画面に使い始めたのはいつの頃であろうか。私はそこまで詳しくは研究していないのでわからない。しかし生涯あまり赤い色を使っていなかったことは言えると思う。「別冊太陽188」にも掲載されているシベリアシリーズ以外の作品では1948年の「朝」、1949年の「ダリア」位である。
 あまり使われていない赤い色であるが、使われている場合は実に効果的な使い方だと思う。「生命」の暗喩として使われているとも思われる。重たい赤だと思う。
 また9月の「星座」はシベリアシリーズの「青の太陽」も連想させる。「青の太陽」では井戸の底から空をはるかかなたに仰ぎ見るのだが、こちらの黒い夜空の方が逆に明るい星空に見える。絶望に近い過酷な極限状態から見る空と、そこから生還して見上げる星空の違いを、星の輝き方に見てしまうのは飛躍しすぎだろうか。


香月泰男の絵

2015年01月25日 08時23分17秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日もさほど気温は上がらない模様。明日月曜日は再び天気が下り坂、火曜日は雨が降り、水曜日以降には気温も下がるという予報になっている。明日から一週間は太陽の顔をあまり見ない日が続くようだ。
 昨日に続き明日も昼間は組合関係の事務所に詰めることになっている。今のところ特にあわただしくはないが、年度末にかけて次第に忙しくなってくる予定。



 昨日からふとブラームスのバイオリンソナタを聞きながら、香月泰男の図版集をめくっている。
 香月泰男のシベリアシリーズは私の絵の体験のごく基層をなしている。しかしそれ以外の作品はあまり見ていない。最近時々それらの絵を見たいと思うようになり、いくつかの作品が頭を過ぎっていた。
 昨日の最晩年の遺作のような作品も、この「新潮」(1967)の表紙を1年間飾った作品もそのような作品である。今回は1月号から6月号までを掲載してみた。椿(3月)と薊(5月)が私は気に入っている。

 さて、ブラームスの室内楽曲と香月泰男、同時に頭の中に入ってくるのは不思議な気もする。香月泰男がクラシックを好んだという記述も知らないし、ブラームスへの言及も聞かない。私の頭の中では軋轢なく同時に入って来てお互いに無干渉である。へたに干渉しあわない関係がいい。両者にとっては迷惑かもしれないが‥。

久しぶりにブラームスのバイオリンソナタ

2015年01月24日 20時49分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 随分と寒かった一日、なかなか日が射してこなかった。夜になってさらに寒くなってきたようだ。
 先ほどから以前に紹介したブラームスのバイオリンソナタを聞いている。バイオリンは徳永二男、ピアノは伊藤恵のコンビ。柔らかいバイオリンの音が心地良い。気分がちょっと苛立ったかなというときに気分を落ち着かせてくれる。気分のいら立ちは特に直接的な原因がない場合の方が長引くことがある。直接の原因がわかっているときは元に戻りやすい。
 したがってブラームスでも聞いて気分を落ち着かせるときというのは、その原因が思い当たらない時が多い。鎮静剤のようなものかもしれない。
 同時にこのような絵を眺めていたらより効果的である。

「香月泰男 雪の朝(1974)」絶筆の作品。


「横浜美術館コレクション展 2014年度 第2期」

2015年01月24日 07時39分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
今回の展示については次のように解説されている。

一つは、「抽象画―戦後から現代」。横浜美術館は、2014年4月現在、約1万点以上の美術品や資料を収蔵しています。その中から、日本の戦後から現代に至る抽象画を辿ります。山口長男、斎藤義重、元永定正、白髪一雄、嶋田しづ、佐野ぬいから、辰野登恵子、中村一美など1950年代生まれの画家達まで、多彩な作品で戦後日本美術における抽象画の一端をご覧いただきます。
もう一つは、「光と影―都市との対話」。同時期開催のホイッスラー展に因み、光と影をとりあげました。特に都市景観や都市生活において、光や影を敏感に捉えた作品や見る者に光の在り方を意識させる作品をコレクションの中からご紹介します。
近代以降の都市には、太陽光や月光などの自然光やそれまでの灯籠や提灯に代わって、ガス灯から電燈へと、新たな人工的光源が登場し、従来にない夜の街の賑わいを生み出し、また人々は利便性の高い交通機関や街の恩恵に浴しています。都市は、震災や戦火によってまたたくまに解体し、また新たな再生を繰り返し発展しました。光と影を併せ持ち、風貌を変える都市のエネルギーと哀感は、美術家たちを触発し、多くの作品の題材となってきました。幕末に西洋画を学んで画面に明るい光を採り入れた高橋由一《愛宕山より品川沖を望む》、文明開化が生み出した都市景観を光と影によって効果的に捉えた小林清親の版画や、清水登之《ヨコハマ・ナイト》から奈良美智《春少女》まで、多彩な表現をお楽しみいただきます。
また、写真展示室においては、現代の都市における光と影を強烈に映し出した写真家たち、金村修、磯田智子、米田知子ほか、を展示いたします。あわせてご覧ください。

今回は2つの展示室をまわった。「抽象画-戦後から現代」そして「光と影―都市との対話」の部屋。



「山口長男 B(組形)」(1957)
抽象画としては今の時点ではちょっと古風に見えたが、赤い丸の位置が何とも言えず忘れられない。構図的には赤い丸はきっちりとおさまっているようでいて、どこか最後まで浮遊感を捨てきれないもどかしさがある。そんな不安感が漂ってくる。



「菅井汲 地獄の門」(1961)
これはロダンの地獄の門を思い出した。入ろうとしているのか、出ようとしているのか、方向性は描かれていない。白い道のような細い線の先には多分絶望が覗いてるのかもしれない。戦争の記憶を色濃く反映していると思ったが、考え過ぎだろうか。



「糸井俊満 赤」(1962)
17歳で敗戦を迎えた画家ということに考えると、この赤い噴出は、戦争の記憶というよりも、戦後の社会の不安と不信を暗喩しているではないだろうか。時代へ苛立ちが間欠的に吹き上がっている。赤が生命力の旺盛な発現には思えないのは、下向きの黄色のベクトルのためだと思った。



本永定正 作品」(1963)
本永定正の作品は不思議な形体をしている。キノコが胞子を内包して今にも吐き出しそうな一瞬なのかもしれない。明るい色が欠落しているにもかかわらず、旺盛な生命力を感じた。



「佐藤敬 神話の森」(1973)
佐藤敬の緑色の作品は安定感のある構図と色調がまず目をひいた。同時に縄文の時代から人間を包み込んできた自然との対話を追及しているような姿勢を感じた。馴れと対峙、いくつかの歴史の側面のひとつがこの緑に凝縮しているような錯覚を感じた。
日本の自然と云えどもこんなにやさしく描いてしまっていいのだろうか、という疑問と肯定とが同時に私には湧いてきた。



「中村和美 連差‐破房Ⅶ」(1995)
実に大きな作品である。大きいだけの作品ならばいくらでもあるが、描かれた年から類推してこの作品は阪神淡路大震災が何らかの反映をしてるのかと思った。
 関西で生じた大きな破壊が列島全体にもたらした破壊への不安は、災害だけでなく社会全体へ大きなインパクトを与えた。そんな巨大な不安をこの作品から感じた。



「辰野登恵子 UNTITLED96-3(1996)」
が印象に残った。特に辰野登恵子と佐藤敬、本永定正の3点に惹かれた。
 辰野登恵子の作品は赤の部分の重量感と二つに割れた緊張感、赤い部分が右上にあることで発生する不安定感、緑と青の色彩の対比、赤にまとわりつく霞のような緑。とても計算されつくされた色と質感の対比に興味を持った。

 これらの抽象画の部屋から、次の部屋の明治以来の都市風景が描かれた部屋に一気に変化する。高橋由一の絵や、小林清親の版画世界であるが、今回、私の頭はそこの世界はちょっと遠慮したかった。また小林清親がちょっと私には馴染めなかった。日本の作家の戦後の具象画の部屋で2点気になった作品があった。



「遠藤彰子 街(street)」(1963)
 遠藤彰子の作品は1963年という時点を考慮すると街自体はかなり未来的なものでもあるが、描かれている人間や建物のあり様は戦前のものを引きづっているようでもあり、過去と現在と未来が不思議な捩れをもって混在している。空気もどこか淀んで澄んでいない。不思議な作品であるが、同時に私にはちょっと違和感があった。



「中上清 Untitled」(2005)
 中上清の作品は湧き上がる雲の間から顔を出す太陽であろうが、そういうような断定だけではおさまらないようにも思えた。光の中心から真っ直ぐに直線が天に向かって伸びている。これは何の暗喩であろうか。具象のようでもあり、抽象のようでもあり、私なりの想像の飛躍を楽しめる作品である。



荘司福「原生」「春律」

2015年01月23日 21時48分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は久しぶりに晴れの穏やかな日となった。さっそくお昼前に最寄り駅近くやみなとみらい地区まで歩いて出かけた。汗が出ない程度の軽いウォーキングで往復。
 みなとみらい地区では「横浜美術館コレクション展 2014年度 第2期」の2度目の観覧。気に入った作品の写真を撮影してきた。
若干の感想と作品の掲載は明日に‥。

 さて、横浜美術館のミュージアムショップで荘司福のポストカード2種を見つけた。2枚で100円という値段。
 荘司福は仙台ゆかりの日本画家として宮城県美術館で展示されているものを見て以来気になっていた。

      

 神奈川県立近代美術館葉山で2009年に「生誕100年 荘司福展 花、大地、山-自然を見つめて」展の解説がネットで検索したら出てきた。

生誕100年を記念して、日本画家 荘司福(1910-2002)の回顧展を開催いたします。
荘司福は、1910(明治43)年に父の仕事の関係で赴任していた長野県松本で生まれました。青春時代に東京の女子美術学校で日本画を専攻しましたが、卒業後、若き数学者荘司篤と結婚し、東北の仙台に新居を構えました。しかし、夫は結核にかかり、若くして命を失います。二人の乳飲み子を抱えながら、荘司福が生きる目標としたのが日本画の創作活動でした。
画家として仙台でスタートさせた前半生と、その後に過ごした東京、横浜での後半生を通じて荘司福の創作活動は、戦後の日本画の歩みをそのまま体現したといえます。戦後の洋画を貪欲に吸収していった1950年代の作品から始まって、荘司福は、徐々に東北の生活や信仰に共感を寄せていきました。1960年代から1970年代にかけては、海外への取材にも意欲的に取り組み、インドやネパール、さらにエジプトやケニアといったアフリカにまで足を延ばします。仏教遺跡やオリエントの神々に接することで、古代への思いを創作に生かそうとしていきました。そして、若き日に東北の土俗的な神々を題材にした素朴な美意識に彩られた作品から、1980年代に入ってくると、静謐で玄妙な画風を経て、日本画の世界に独特の深遠な境地を生み出すようになっていきました。1980年に70 歳を迎えた荘司福は、さらに亡くなる92 歳までの晩年の20年間を、自然との対話に努め、苔むした石が連なった《刻》(1985)や清々しい早春をとらえた《到春賦》(1987)といった傑作を生み、さらに自然と交感し、ついには自然と融和した精神状態で《明け行く》(1999)や《春の海》(1999)などの絵画を描く境地に至ったのでした。
今回の展覧会は、荘司福の没後初めての大規模な回顧展で、代表作約90点を通して、荘司福の雄大で厳粛な世界を展観します。戦後の日本画の質の高い到達点の一つを示す荘司福の芸術をご堪能下さい。」

 ここに掲載されている「北辺春」(1997)は宮城県美術館で見た記憶が蘇ってきた。
 また昨年3月東京都美術館で開催された「世紀の日本画展」でも「風化の柵」(1974、宮城県美術館蔵)も記憶に残っている。
 宮城県美術館、神奈川県立近代美術館、横浜美術館で作品が見られるようである。

   

 今回購入したポストカードは「原生」(1984)と「春律」(1986)の2枚。「春律」の冬芽の微かな赤と、左右から伸びている異様に長く描いた細い枝の絡み合い、細い滝の流れがまず目に入った。そして次に凍てつく寒さの中にそそり立つ巨大な岩のボリュームに圧倒された。凝灰岩のような緑色がかった岩肌が美しい。
 荘司福の生涯を辿ってみたい。この次に神奈川県立近代美術館葉山に行ったら2009年の時の図録を購入したいものである。残部があればうれしい。

ホイッスラー展感想(その3)

2015年01月23日 09時51分48秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 展示作品の偏りのためか、作家自体の内発的なことなのか、私の鑑賞が限界なのか、よくわからないが、1980年代以降は油彩画等で惹かれた作品が見当たらなかった。たとえば〈小さな赤い帽子(1892-96)〉や<ライム・リジスの小さなバラ(1895)>などは人気があったようであるが、私には50歳代の新たなホイッスラーらしさを感じなかった。
 表現上の新しい試みや新たな転移を試みたようにも思えなかった。技法と表現意欲の停滞なのだろうか。ラスキンとの裁判に勝利したものの破産などを経験した後、それなりの評価を得、さらにはこれまで子は設けても法律上の婚姻関係を結ばなかったホイッスラーが結婚をする。
 どん底から生涯の安定期、そして回顧展などを開催するものの新たな表現にはたどり着かないのかな、などと無責任な感想を持っていた。

   

 しかし若くして亡くなった妻を描いた作品〈バルコニーの傍で(1896)〉には引き込まれた。
 前者は早い線描で大まかな感じがするが、末期癌の妻の最後の時間を捉えたことになっている。喪失感に溢れた雰囲気に何とも言えず惹かれる。
 窓の外の円形のテムズ川の遠景の霞んでいる具合がいい。描かれた背景がわかっている分、見る方に思い入れがついて回ってしまって高評価になっているのかもしれないが、それだけではないとも思える。
 同時期の〈テムズ川(1896)〉も同じく妻との最後の時間を過ごしたホテルの部屋で制作されたという。1870年代のノクターンの雰囲気がよみがえったような作品に思える。



 これらの版画作品が気になったので、版画作品だけに限って再度みてまわったりした。シリーズものとしていくつかにまとまっているが、ヴェニスで描いた「ヴェニス、12点のエッチング集(ファースト・ヴェニス・セット)」と「26点のエッチング集(セカンド・ヴェニス・セット)」が印象に残っている。いづれもが1879年から翌年にかけて描かれている。
 上の作品は「セカンド・ヴェニス・セット」から〈ノクターン:溶鉱炉〉(1879-80)である。夜に浮び上がる街中の鍛冶屋か金属を生産する小規模な溶鉱炉を描いている。明るい室内と外の闇が強いコントラストで描かれている。人間もこの風景の点景として描かれている。人間の存在が闇に溶け込んでいる。

   

 このような版画が10年後の1989年にも作成されていた。
 〈ダンス・ハウス:ノクターン(1889)と〈小さなノクターン、アムステルダム(1889)〉である。
 前者は建物を輪郭で表現するのではなく、部屋から漏れ出る灯りで表現している。
 後者は闇に浮かぶ、明かりの漏れた家を水面にも浮かび上がらせでいる。
 いづれもの版画は光を実に効果的に表現しようとしており、私はとても惹かれた。版画もホイッスラーにはなくてはならない表現方法だったのであろう。
 浮世絵に大きな影響を受けた画家であるが、このような版画は日本の江戸末期の版画にはない世界である。

 最後に気付いたこと、浮世絵の人物画については鳥居清永の作品が挙げられているが、結局はホイッスラーは鳥居清永の作品からの影響は受けなかったと私は思う。歌川広重の風景画からは実に多くのものを取り入れている。構図、近景の処理、色調、風景の中の人物の捉え方等々。広重の影響は極めて大きいと言っていいのではないだろうか。

 ホイッスラーという画家、魅力あふれる画家である。

一歩も家を出ず

2015年01月22日 22時28分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 横浜は終日冷たい雨が降っていた。今も微かだが5階建の屋上から繋がっている雨水管を滴り落ちる雨水の音がしている。
 この雨の音を部屋の中で終日聞いていた。結局家からは一歩も出なかった。保険の切り替えを検討したり、スケジュール表の追加・訂正をしたり、配達された郵便の整理をしたり、ホイッスラー展の感想を書いていたらいつの間にかこの時間となってしまった。
 いろいろなことをしたようでもあり、していないようでもあり、落ち着いて何かを仕上げたという気持ちになれない。
 時間配分、気分の切り替えなどをしなくて、何となくメリハリのない時間の過ごし方をしたような気分である。

 明日は天気が回復するという。天気と気分はやはり相関関係にあるようだ。明日は昼からはとりあえず家からから外に出たいものである。

ホイッスラー展感想(その2)

2015年01月22日 14時26分09秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


〈肌色とピンクのシンフォニー:レイランド夫人(1871-74)> 
 1870年代のホイッスラーの作品は1860年代までに獲得した技法、構図、色調などを駆使して私などにはとても魅力的な作品が生まれたように思える。
 人物画では手前に一部だけを描いた花をあしらい、人物のいる空間に奥行き感を与えているが、それ以外は奥行き感がない。もしもこの花を取ったらのっぺらぼうの平面に見えてしまう。そのかわり同色系統の微妙な諧調が美しい。これが落ち着いた雰囲気を醸し出している。このような色調の画面を「美」として認識することがひょっとしたらホイッスラーという画家の独自性なのだろうと思った。
 同時に画家は人物の顔をはじめ、物の細部に対するこだわりをあまり重視していない。どちらかというと顔の表情は細かな描写ではなく、筆のタッチで大雑把にとらえている。それでいて一定の表情に見える。しかし他の人物像では顔の表情を描くことをはじめから放棄しているような作品も多い。スケッチではほとんどが顔の表情は描かれていない。

   

〈灰色と黒のアレンジメント:母の肖像(1872-73)〉
 この作品は今回展示されていないが、〈灰色と黒のアレンジメント:トーマスカーライルの肖像(1872-73)〉と対になって(あるいはその先駆けとして)解説されることの多い作品である。私には「カーライルの肖像」の方が数段優れているように感じられる。「母の肖像」の方は母親の顔の先、画面の左端の黒いカーテン様の色彩が何ともうっとうしい。空間が狭すぎる。「カーライルの肖像」の方がこのように顔の視線の先に何もない分だけ広がりがある。
 ともに灰色と黒色の、特に黒色のかたまりが直角三角形の人物のかたまりを示してとても安定感のある落ち着いた雰囲気を出している。これをカーライルという人物の性格描写と解釈するのがいいのか、ちょっと躊躇している。画家の興味はあくまでも構図と色調であり、人物の性格描写やそこに秘められドラマではでないようなのでそのような踏み込みは無用なのだと思える。顔の表情に力点が置かれていない不思議なそしてとても惹かれる肖像画である。
 ただし「カーライルの肖像」の服の胸元の不自然な膨らみが何の目的なのか、どういう効果をもたらそうとしているのかわからない。
 このふたつの絵で手前に花は描かれていない。たぶんそれがあればこの2枚の絵は成り立たないと思う。直後に描かれている〈灰色と緑色のハーモニー:シスリー・アレクサンダー嬢(1872‐74)〉ではごく小さいが左端に花が描かれている。



 〈灰色のアレンジメント:自画像(1872)〉は不思議な絵である。筆を持つ手は明らかに右手であるが、見た目には左腕のような気がする。画家にとっては左右どちらかへのこだわりというより、ただ右手を書きたかっただけなのか?とまで思ってしまう。
 前回取り上げた〈白のシンフォニー#2〉の鏡に映るモデルの顔と同じくあり得ない描写である。そこにどんな意図があったのだろうか。顔と違って意味は取りにくい。
 この自画像も画家特有の顔の描き方で細かな描写で顔を描くというよりも筆のタッチで表情を表現しようとしている。画面を右上から左下に斜線をひいたようなとても安定した構図と配色である。実際のホイッスラーはかなり激高することもある性格であったらしいが、この自画像からはそのような激しい性格は伝わってこない。



〈ノクターン:オールドバターシーブリッジ(1872-75)〉
 この絵は極端に橋脚を大きく描き、橋に反りをつけていかにも浮世絵的に描かれている。そこに虚仮脅しのような欠陥を見ることもできるし、逆に新しい視点への挑戦を見る向きもある。
 写生ではあり得ない構図であるが、私はこの絵の眼目は靄っとした水気のたっぷりとふくんだ大気をこのような色調で表現したことに対する共感の方が強い。
 そして手前の船とそれを操る船頭がこののちのノクターンシリーズのパターンだと思う。この小舟によって川の奥行きが広がっている。この小舟に情緒を感じてしまう向きもあるかもしれない。同時に街と船の微かな灯り、花火などの温かみのある描写も惹かれる。川瀬巴水などの作品に惹かれる心情と同じなのかもしれない。



 歌川広重の「名所江戸百景〈京橋竹がえし〉(1857)に大きな示唆を受けていることは間違いがなさそうである。ホイッスラーは影響や示唆を受けてもそれを必ず英国などヨーロッパの風景に移し替えようとしている。また模倣やエキゾチズムの域を遙かに超えているように感じる。



〈青と銀色のノクターン(1872-78)〉は構図上の虚仮脅しのような強調は感じられずに、私はとても惹かれた。
 町のあかりは極端に抑えられ、船のあかりもない。どんよりとした曇り空の元、多分微かな月明かりだけで営まれる艀の活動である。櫓をこぐ音まで遠慮しながら営まれる人間の活動が伝わってくる。喧騒の昼間とは違う夜間への注目もこの画家の視線として重要なのだろうと思う。

     

 私がはじめて世田谷美術館の「ジャポニスム展」ではじめて見てとても惹かれた〈ノクターン(1875-77)〉や〈アムステルダムのノクターン(1883-84)〉などのように形体が大きく周囲に溶けていくもの、〈ノクターン『ノーツ』より(1878)〉などのように水墨画風になっていく作品などが目につくようになる。
 共に水墨画の影響と考える向きもあるようだが、馬淵明子氏の指摘では水墨画が当時ヨーロッパに紹介されて大きな反響があったということは考えられないし、ホイッスラー自身が水墨画を研究したようなことはないと講演で語っていた。
 限られた色彩の浮世絵の色調と構図は大きな影響を及ぼしたようだが、形が判然としなくなる傾向は晩年のターナーの絵の影響かと私は感じた。

   

 今回の展示にはなかったが〈黒と金色のノクターン:落下する花火(1975)〉は当時有名な批評家ジョン・ラスキンと法廷で評価について争われた作品として有名である。この絵は歌川広重の「名所江戸百景「両国の花火」(1858)」を下敷きにしていると云われているらしいが、ちょっとこじつけと思わないこともない。
私には他のノクターンのシリーズからは少し異端のような気もするが暗い画面の中でこのような華やかさを感じさせる作品にも惹かれる。


横浜は終日冷たい雨の予想

2015年01月22日 10時49分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日に続いて弱い雨が続く横浜となった。ただし昨日とは違って霰や雪混じりではない。昨日は9時半頃には霰は止んでいた。それでも時折雨が降り、終日地面が乾くことはなかった。
 昨晩は中華街からゆっくりと歩いて帰ってきた。さすがに寒かったが、それなりに酔っていたので早目には歩かず、コートのボタンをすべてとめた上で寒い空気に身を浸すようにしてのんびりと歩いた。さいわい歩いている間は雨がばらつくこともなく傘はささないですんだが、首から上が随分と冷えたような気分となった。
 天気予報では横浜は終日雨で最高気温は6℃程度らしい。横浜にしては寒い気温である。さいわい風はない。
 本日・明日と特に予定が入っていない。のんびりと過ごすことが出来るだろうか。

横浜では霰が降ってきた

2015年01月21日 09時29分31秒 | 天気と自然災害
 横浜の最高気温の予想は5℃。午後から雨が降るという予想であったが、早目に降り始めた。小雨の割には音が大きいような気がして、8時ころに玄関のある北側に出て見ると霰がコンクリートの三和土やツツジの葉にあたって音を立てていた。早くも30分ほどで砂場や落葉樹の根元などが白くなっている。9時ころにはさらに強く降ってきた。

 セキセイインコは朝7時ころに風呂敷の覆いを取り除いたが、ベランダに出してくれというような活発な鳴き声を出さない。日が当たらなくて雨模様だと窓越しの明かりの具合で天候が悪いと分かるのであろうか。寒さや何らかの異変を察するのであろうか。不思議なものである。
 確かにこの寒さではセキセイインコを長時間ベランダに出すわけにもいかず、籠の掃除と餌の取り換えはベランダで行ったが、10分ほどで早々に部屋に戻した。それでもおとなしくしている。普段ならばすぐに部屋に戻すと抗議するように大きな鳴き声をつづけるのだが‥。

「欲望の美術史」(宮下規久朗)

2015年01月21日 07時52分42秒 | 読書
   

 昨日電車の中で読んだ本は「欲望の美術史」(宮下規久朗、光文社新書)。
 先に購入した「ゴッホ〈自画像〉紀行」(木下長宏、中公新書)をリュックに入れ忘れたので急遽横浜駅で購入。
 電車の行き帰りと喫茶店で読み終わってしまった。
 参考になったのは第7話「風景への憧れ」、第8話「空間恐怖」、第20話「アート・ブリュット」、第22話「「母なるもの」と聖母像」、第23話「保守か前衛か」あたりだったか。

昼酒を少々

2015年01月20日 21時10分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は昼食時にビール中生を1杯、そして夕方からごぼうサラダをつまみに日本酒を2合ほど。先ほど家に着いて夕食を少しだけ。気分の上では午後からずっと飲んでいたように思える。少々反省。
 帰宅してみると昨年末に受信した癌検診の結果が来ていた。癌については異常なし、という診断と、血液検査での中性脂肪、肝機能等の結果も異状なしと記されていた。

   

 明日は午前・午後ともに講座がある。午前は源氏物語の明石の巻、午後は同じく源氏物語の夕顔の巻の購読。3月末までは源氏物語三昧ということになりそうである。

 夕方からは退職者会の宣伝のために現役の頃の組合の支部の行事に押しかける予定。今年度退職予定の仲間との久しぶりの懇談ができるので、毎年楽しみな行事である。
 またまたホイッスラー展の感想のその2のアップが遅れてしまうのが悔やまれる。本日お酒を飲まなければ問題なかったのだが‥。