〈肌色とピンクのシンフォニー:レイランド夫人(1871-74)>
1870年代のホイッスラーの作品は1860年代までに獲得した技法、構図、色調などを駆使して私などにはとても魅力的な作品が生まれたように思える。
人物画では手前に一部だけを描いた花をあしらい、人物のいる空間に奥行き感を与えているが、それ以外は奥行き感がない。もしもこの花を取ったらのっぺらぼうの平面に見えてしまう。そのかわり同色系統の微妙な諧調が美しい。これが落ち着いた雰囲気を醸し出している。このような色調の画面を「美」として認識することがひょっとしたらホイッスラーという画家の独自性なのだろうと思った。
同時に画家は人物の顔をはじめ、物の細部に対するこだわりをあまり重視していない。どちらかというと顔の表情は細かな描写ではなく、筆のタッチで大雑把にとらえている。それでいて一定の表情に見える。しかし他の人物像では顔の表情を描くことをはじめから放棄しているような作品も多い。スケッチではほとんどが顔の表情は描かれていない。
〈灰色と黒のアレンジメント:母の肖像(1872-73)〉
この作品は今回展示されていないが、〈灰色と黒のアレンジメント:トーマスカーライルの肖像(1872-73)〉と対になって(あるいはその先駆けとして)解説されることの多い作品である。私には「カーライルの肖像」の方が数段優れているように感じられる。「母の肖像」の方は母親の顔の先、画面の左端の黒いカーテン様の色彩が何ともうっとうしい。空間が狭すぎる。「カーライルの肖像」の方がこのように顔の視線の先に何もない分だけ広がりがある。
ともに灰色と黒色の、特に黒色のかたまりが直角三角形の人物のかたまりを示してとても安定感のある落ち着いた雰囲気を出している。これをカーライルという人物の性格描写と解釈するのがいいのか、ちょっと躊躇している。画家の興味はあくまでも構図と色調であり、人物の性格描写やそこに秘められドラマではでないようなのでそのような踏み込みは無用なのだと思える。顔の表情に力点が置かれていない不思議なそしてとても惹かれる肖像画である。
ただし「カーライルの肖像」の服の胸元の不自然な膨らみが何の目的なのか、どういう効果をもたらそうとしているのかわからない。
このふたつの絵で手前に花は描かれていない。たぶんそれがあればこの2枚の絵は成り立たないと思う。直後に描かれている〈灰色と緑色のハーモニー:シスリー・アレクサンダー嬢(1872‐74)〉ではごく小さいが左端に花が描かれている。
〈灰色のアレンジメント:自画像(1872)〉は不思議な絵である。筆を持つ手は明らかに右手であるが、見た目には左腕のような気がする。画家にとっては左右どちらかへのこだわりというより、ただ右手を書きたかっただけなのか?とまで思ってしまう。
前回取り上げた〈白のシンフォニー#2〉の鏡に映るモデルの顔と同じくあり得ない描写である。そこにどんな意図があったのだろうか。顔と違って意味は取りにくい。
この自画像も画家特有の顔の描き方で細かな描写で顔を描くというよりも筆のタッチで表情を表現しようとしている。画面を右上から左下に斜線をひいたようなとても安定した構図と配色である。実際のホイッスラーはかなり激高することもある性格であったらしいが、この自画像からはそのような激しい性格は伝わってこない。
〈ノクターン:オールドバターシーブリッジ(1872-75)〉
この絵は極端に橋脚を大きく描き、橋に反りをつけていかにも浮世絵的に描かれている。そこに虚仮脅しのような欠陥を見ることもできるし、逆に新しい視点への挑戦を見る向きもある。
写生ではあり得ない構図であるが、私はこの絵の眼目は靄っとした水気のたっぷりとふくんだ大気をこのような色調で表現したことに対する共感の方が強い。
そして手前の船とそれを操る船頭がこののちのノクターンシリーズのパターンだと思う。この小舟によって川の奥行きが広がっている。この小舟に情緒を感じてしまう向きもあるかもしれない。同時に街と船の微かな灯り、花火などの温かみのある描写も惹かれる。川瀬巴水などの作品に惹かれる心情と同じなのかもしれない。
歌川広重の「名所江戸百景〈京橋竹がえし〉(1857)に大きな示唆を受けていることは間違いがなさそうである。ホイッスラーは影響や示唆を受けてもそれを必ず英国などヨーロッパの風景に移し替えようとしている。また模倣やエキゾチズムの域を遙かに超えているように感じる。
〈青と銀色のノクターン(1872-78)〉は構図上の虚仮脅しのような強調は感じられずに、私はとても惹かれた。
町のあかりは極端に抑えられ、船のあかりもない。どんよりとした曇り空の元、多分微かな月明かりだけで営まれる艀の活動である。櫓をこぐ音まで遠慮しながら営まれる人間の活動が伝わってくる。喧騒の昼間とは違う夜間への注目もこの画家の視線として重要なのだろうと思う。
私がはじめて世田谷美術館の「ジャポニスム展」ではじめて見てとても惹かれた〈ノクターン(1875-77)〉や〈アムステルダムのノクターン(1883-84)〉などのように形体が大きく周囲に溶けていくもの、〈ノクターン『ノーツ』より(1878)〉などのように水墨画風になっていく作品などが目につくようになる。
共に水墨画の影響と考える向きもあるようだが、馬淵明子氏の指摘では水墨画が当時ヨーロッパに紹介されて大きな反響があったということは考えられないし、ホイッスラー自身が水墨画を研究したようなことはないと講演で語っていた。
限られた色彩の浮世絵の色調と構図は大きな影響を及ぼしたようだが、形が判然としなくなる傾向は晩年のターナーの絵の影響かと私は感じた。
今回の展示にはなかったが〈黒と金色のノクターン:落下する花火(1975)〉は当時有名な批評家ジョン・ラスキンと法廷で評価について争われた作品として有名である。この絵は歌川広重の「名所江戸百景「両国の花火」(1858)」を下敷きにしていると云われているらしいが、ちょっとこじつけと思わないこともない。
私には他のノクターンのシリーズからは少し異端のような気もするが暗い画面の中でこのような華やかさを感じさせる作品にも惹かれる。