Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

多数の閲覧・訪問に感謝します

2015年01月19日 22時40分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 さて先ほど気がついたら、延べの閲覧数が101万を超えていた。延べの訪問者も28万9千を超えてあと2か月ほどで30万になる予定。
 最近は訪問者が少し減少しているが、順位はあまり変わらない。ツイッター等の方が身近になり、ブログ人口が減少しているのかもしれない。しかしツイッターなど140字未満というのはどうも意を尽くせない。ツイッターの良さもわかるが、どちらかというとブログの方が私には性に合っているようだ。

 たくさんのご訪問に感謝いたします。今後もよろしくお願いいたします。
 楽しいコメント、大歓迎です。

新しいマウスを購入

2015年01月19日 21時30分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は結局マウスを購入した。といっても一番安いものが一番手になじんだ。650円という製品である。
 他の製品よりはひとまわり大きい。ただし今まで使っていたものよりはひとまわり小さい。余計なボタンもなくシンプルであるのが嬉しかった。ひとまわり小さいことと、左右対称なので慣れるまでは多少は時間がかかるかもしれない。
光学式であるのは変わらないが、光の色がこれまでは赤であったが今回は青いLED。青色の方がこれまでのものより反応がいいということだが、使い勝手で違いがわかるのだろうか。あまり期待をし過ぎないで使ってみることにした。

 これまでと同じ形式のものを見たら2000円近い値がついていた。そんなに高価なものを使っているとは思わなかった。高価なものは親指と小指の部分がいづれもゴム用のものが貼りつけてあり、この部分が最初に劣化し始めて、最後にはべとべとになってしまう。そこまで使い込むことは想定されていないのかもしれないが、余計なものが貼り付けてあるように思える。

 本日ようやくホイッスラー展の感想のその1をアップした。あまくでも私自身が感じた感想を第一に記載してあって、当然ながら頓珍漢なものもあると思うが、これが現在の私の水準ということでお許しを乞うしかない。
 その2も早目にアップしたいがまだまとめ切れていない。


ホイッスラー展感想(その1)

2015年01月19日 20時06分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
「白のシンフォニー#1」(1862)


「白のシンフォニー#2:ホワイトガール」(1864)


「白のシンフォニー#3」(1865-67)


 ホイッスラーという画家の名をはじめて知ったのは、1863年のマネの「草上の昼食」とともにサロンで落選の憂き目を見て物議を醸した「白のシンフォニー#1:ホワイト・ガール」の存在を知った時である。マネの絵は印象派の出発点として取り上げられることが多いが、この作品と画家についての情報は残念ながら目にすることは少なかった。
 今回はこの「白のシンフォニー#1」(1862)は展示されていないが、「#2:ホワイトガール」(1864)と「#3」(1865-67)の2点が並んでいる。
 当初は同じ時期の作品として見ていたが、解説を読むとホイッスラーの一連の作品の大きな曲がり角に位置する3点であることが記されている。なるほど「#1」は生々しい現実を象徴的な意匠で描かれている。白い百合、結っていない髪、白い部屋着等は当時のタブーに挑戦するようなスキャンダラスな絵画であったらしい。また白いカーテンを背景に白のグラデーションもまた技法的な挑戦であったらしい。そして当時心酔していたクールベの影響を強く示唆するものであるという。
 「#2」はジャポニズム的な要素というよりもエキゾティズムとしての日本・東洋の調度品を配置している。陶器、漆器、団扇、前景にある一部だけ描かれた薄いピンクの花を配置した構図などがあげられる。クールベ的な世界からラファエル前派への傾斜をうかがわせるとのことである。
 同時に横向きのモデルの顔は、鏡に映った顔とは物理的に整合性がとれない。物憂げな表情を鏡に映らせるということは多分モデルの内面を写し出しているという暗喩なのであろう。西洋絵画特有の手法のようだ。
 「#1」と「#2」とでモデルと作者の関係が危機的になってきていることの暗示のように受け取れる。絵画に画家やモデルとの緊張関係、時間の累積を投影する意識を感じる。
 「#3」は団扇と前景の一部だけ描かれた花、絨毯の紋様などに日本趣味が窺えるが、「#2」ほどのくどさはなく、日本的エキソティズムがジャポニズムとして画家の中で昇華されつつあることを推察させてくれる。日本的調度と構図が画面の中に違和感なく融け込んでいるように思える。さらにモデルの表情や象徴的な調度という暗喩からは抜け出し、色彩と構図、人物の配置の妙に力点が移っている。そのためにはソファーの背もたれの左側は消えており、背景の黒っぽい壁の色で顔と服の白が強調されているようだ。またソファーは奥行きが希薄で左での人物の姿勢も物理的にはちょっとあり得ない。二人のモデルはお互いに関係が希薄である。また頭の上の空間が極端に狭く、全体の空間に広がりがない。この絵から感じるのは人物と色彩との不思議なバランスである。
 モデルでもあり愛人でもあったというジョーという女性の個性や感情は「#3」からは解説のとおり消失している。これが人物画として成功しているのかどうか、私にはわからないことがあるが、ラファエル前派の絵画ともまた違う側面のような気もする。



 始めホイッスラーはクールベの写実主義=リアリスムに心酔していたということだが、確かに「ブルターニュの海岸(ひとり潮汐に)」(1861)などの作品では、海の波と空などにクールベを彷彿とさせるものがある。色彩の対比も鮮やかである。しかし一方で俯瞰的な構図などはどこか独特のこだわりが垣間見える。
 1960年代から70年代前半にかけて盛んに日本の浮世絵の模写や日本や東洋の調度品の模写、絵画への取り込みを試みている。当初はエキゾティックに耳目を驚かすような作品などを盛んに試みているが、決して私たちを満足させるような作品ではない。ただ凡庸な画家が室内調度やジャポニズム的な雰囲気の追及に終わらせた試みとは違うのは、モネやゴッホなどのようにジャポニズムの刺激を独自の技法として昇華し得た画家の一人であったということであろう。
 それは英国などヨーロッパの風景と浮世絵の風景を混在させようとしたのに始まり、結果としては、構図、淡い色調と微妙なグラデーションによる画面構成、俯瞰する視点、ルネッサンス以来の遠近法の再検討、平面的な画面構成、近景と遠景の混在、など独自の描法を獲得したように見えることではないだろうか。

   

 端的な例として挙げられるのが、「艀」(1861)である。広重の「東海道五十三次見附天竜川図」(1833‐34)である。西洋絵画の伝統にはなかったと云われる画面からはみ出す近景などの大胆な構図を描かれた空間の広がりを暗示するものとして獲得している。

   

同時にこれらの試みと並行してホイッスラーがクールベ的画風からの転移を果たすきっかけとなったのが、「肌色と緑色の黄昏:バルパライソ」(1866)や「ノクターン:ソレント」(1866)の風景画であると思う。クールベの影響からの離脱、クールベが絡む自身の愛人との三角関係などから逃れるように南米へ出向き、自身の描法獲得となった作品と私には思える。
 展示では前者を風景画の範疇に、後者をジャポニズムのコーナーに別々に展示している。解説で、前者は「自在な筆の動きと明るく鮮やかな色彩、精緻な描写」で「最も印象派的」とし、後者は「柔らかく滑らかな筆致が揺れながらカンヴァスを横切り」として対照的な作品として論じている。私にはよく理解できない解説である。
 これは対照的な作品というよりも後年の「ノクターンシリーズ」の先駆けとして位置付けられるものと理解した。対象がより淡く海と空とがあいまいになり、そこに溶けていくような船と溶けていくことに抵抗するような微かな灯りに主題が映っていく流れを私は重視したいと感じた。
 このふたつの作品からホイッスラーらしい画面がより色濃く展開していく記念碑的な作品だと感じている。
 この海(水)と空に溶け込んでいくような風景と淡い色調は、それこそ広重などの浮世絵の風景画から援用した微妙なグラデーションにヒントを得たように思える。さらに先駆者ターナーの影響も私は読み取れるのではないだろうか。



 人物画については「三人の女性:ピンクと灰色」(1868‐78)のような試行錯誤は続いているが、私は本質的にホイッスラーという画家は風景画が本領のような気がする。
 この1860年代の試行錯誤と新しい表現様式を獲得して、魅力的な1870年代の諸作品が生まれてきたと理解したがどうであろうか。

         

パソコン回りの付属品が劣化

2015年01月18日 23時22分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は夕方近くなって1万歩ほどを歩いた。歩数は少ないがその内6000歩ほどはそれなりに汗が出るほどに早目に歩いてみた。
 横浜駅までに出向いてキーボードの手前に置くアームレストを購入。これまでのものがあまりに汚くなり、また覆っている布地があちこちすり切れてしまっていた。プリンターのインクの染み、手垢、ボールペンのインクの染みなどなど妻に言わせれば「匂いが漂ってきそうな雰囲気」なのだそうだ。10年近く洗いもしないで使い続けているのだからやむを得なかったかもしれない。弾力もあまりなくなっていた。
 ほぼおなじ仕様の製品で値段が1600円ほどになっていた。以前は2500円ほどだった記憶がある。

 さらに帰って来てから思い出したが、マウスも小指と親指の当たる部分のゴムの部分が劣化してきている。表面に粘りが出て来て指にくっつくことがある。光学式のマウスだが、マットと接する部分がかなりすり切れて来てもいる。このマウスも5~6年使っている。そろそろ買い替え時なのだろう。
 まだ値段を見ていないが、大きさ、重さなどを考慮すると意外と手になじむ商品は少ないことがわかる。電池式は私の場合は重く感じるのでワイヤレスは使っていない。明日はマウスを探して見ようと思う。購入するかどうかはまだ考慮中である。

 予定外の出費は痛い。

ないものねだり

2015年01月18日 21時15分16秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日はホイッスラーの気に入った作品、気になった作品をスキャナーで取り込む作業に終始した。年代順に並べ直してみたら少しは私なりの像が結べるかもしれないと思ったが果たしてどうだろうか。

 今回の展示が年代順ではなく、人物画・風景画・ジャポニズムという分類で並んでいることが頭を混乱させているかもしれない。いつもの私なりのパターンが崩れて対応できないでいるとも思う。
 もうひとつはジャポニズムというものに焦点が当たりすぎて、それに惑わされている可能性もある。またホイッスラーが日本の浮世絵等から何を取り込んだのか、というのがうまく説明できないでいた。
 さらに1980年代以降の作品の評価がわからない。
 限られた展示で研究者でもない私が数回見ただけでひとりの画家のすべてを理解しようなどということ自体が無理なことなので、わからないものはわからないものとして鑑賞するしかないのは重々承知をしているのだが‥。
 自分の理解の方法とちょっとずれただけで頭の中が混乱するというのも歳の所為なのかと思うと寂しい限りである。

(歌川広重 東海道五十三次のうち見附天竜川図(1833‐34))


(ホイッスラー 艀(1861))




インフルエンザ

2015年01月18日 12時32分43秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日はホイッスラーの図録をベッドで仰向けになって見ていたら、手で支え切れなくなって、重い図録を顔の上に載せたまま寝てしまった。
 23時に起こされたらしいが、返事はしたものの起きなかったという。1時ころ顔が重くなり、息苦しくて一端起きた。しかし寝る前に飲むことになっている薬だけは服用して、風呂にも入らずそのまままた寝てしまった。
 Eテレの「石牟礼道子」の番組はビデオに撮ってあるので、そのうちに見る予定。

 夕食時に飲んだ生ビール1杯半が効いたらしい。この程度ですっかり酔ってしまうのは安くていいのだが‥。朝のシャワーは妻には不評である。しかしシャワーを浴びないことには気持ちは悪い。

 知人が年末に胃腸炎に罹った上に正月明けにはインフルエンザにも罹ったという。ともに回復したとのことであるが、インフルエンザはかなり辛かったようだ。私の場合は年が明けてからの胃腸炎がとても長引いてつらかった。
 インフルエンザが全国的にも猛威を奮っているとの報道である。A香港型というのだそうだ。これは遺伝子情報に活発な変異が行われ、免疫が効きにくいとの報道での説明があるという。
 この「免疫」という言葉が、以前に罹患した場合のことなのか、予防接種のことなのか、そしてそれがどのような仕組みなのかは、わかったようでわからないのがこの手の報道である。また変異が起きやすい、起きにくいという概念もわかりにくい。報道する方も問題意識なしにどこかの発表をそのまま横流ししているようで私にはスッキリしない。
 まぁ50年前の理系の、それも物理をちょっとだけかじっただけの人間の理解力だからやむを得ないのかもしれないが‥。かといって自分の周囲を見渡す限り今の社会全体の理解力が、向上しているとも思えない。かえってカルト的な科学技術歪曲、思い込みは悪意という衣すら纏って平然と広がっているとすら思える。世界の先端の水準と社会全体の理解力との格差は、医療だけでなくどんな分野でも広がっていくだけなのだろうか。

 私は予防接種をした効果なのだろうか、今のところインフルエンザの兆候はない。これをもってとりあえずホッとしている。

Eテレで「石牟礼道子」

2015年01月17日 19時47分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやくホイッスラーの像が出来上がりつつある。本日中にまとめたいと思ったがそれほど簡単にはいかない。

 本日は23時からNHKEテレで「日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち『石牟礼道子』」が放送される。先週の吉本隆明に続いて録画しながら見ることにしている。

 追悼式典に続いて本日は追悼番組が多数放映されているが、しかし20周年の本年、安倍首相は追悼式典にも出席せず、「外遊」である。地震災害、自然災害の大きさという点で、伊勢湾台風に続く戦後の災害の大きな節目の災害である。法整備の点でも行政の関わりとしても記憶されるべき災害であったことは論を待たない。
 私には一国の首相として常日頃からあまりに不適格な判断をする人間であると思っているが、今回も私には信じられない判断である。

阪神淡路大震災から20年

2015年01月17日 10時36分49秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 私にとって忘れられないのは、この震災を契機に労働組合、特に自治体の労働組合にとって震災へのかかわりとは何かを考え、具体的に実践するとてもいい勉強の機会となったことである。
 ひとつ目は実際に起きている現地への支援活動への取組みの仕方。人の派遣からカンパ、支援物資の集め方や送り方、受け手との意志疎通などなどのノウハウを身につけることが出来た。全国レベルの組織対応と個別の単組との対応との線引きなども体を動かしながらわかったような気がする。
 ふたつ目は自治体とのかかわり。人の支援などは労働組合としての派遣もあるが、自治体としての職員派遣、支援物資の収集と届る作業には職員である組合員もむろん関わる。緊急時の様々な労働条件の確認などのほかに現地との連絡などの業務も重なる。さまざまな課題を整理しながら膨大な業務の体系化、教訓化にかかわることもできた。
 三つ目が、自分の働く自治体での防災対策や人員体制への適応の仕方である。労働組合としての立場から、防災対策を軸に業務体系を見直したり、人手の確保や資器材の確保などをとおして様々な課題を交渉事項のテーブルに載せることが出来た。労働組合の関わる課題の拡張につなげることが出来た。
 ひとつ目とふたつ目の課題が一段落するまでの1年間の多忙は今でも忘れることが出来ない。三つ目の課題は私が定年退職するまで、それ以降も交渉課題として重要なポイントとなった。
 これらのことが、東北の大震災の時に100%生かされたわけではない。しかし多少の教訓化は生きていたと思う。教訓が体系だてて次の世代に引き継がれたか、当局に考え続けさせることが出来ているか、ということは心もとないところはある。多数派ではない私たちの支部ではあっても具体的な取り組みをとおした発言は大きな力を持つことが出来たと思う。当時に被災地の先端で事態を体験して私たちの活動に貢献してくれた組合員には今でも感謝の気持ちでいっぱいである。
 そこで交流した神戸の方々にも実に多くのことを教わった。その方たちの現在も少しだけだが伝わってきている。

 現地では街の形の復興は出来たが、高齢化・過疎化・地域の人々のつながりの解体などの課題が浮上していると盛んに報道されている。
 現代日本の課題が大きな災害があった地域に集中的に、先端的に表れている。様々な地震災害、ことに東北の被災地でもこの現象は顕著であるようだ。神戸という人口の集中している歴史ある政令指定都市でも起きている事態が、今は全国化している。
 横浜でも、もしもあのような震災が起きれば、都市のあり方そのものが大きく揺らいでくる。災害だけではなく現代の日本の病理が集中的に表れるのが被災地である、ということは忘れてはならないことだと思う。

 ひとりひとりの関わり方は小さいが、それをつなげることの大切さも体験した。当時のそれぞれの関わり方を思い出し、次につなげる意義のある日にしたいものである。

 そして私の支部の立ち上げからの約5年、この阪神淡路大震災の支援行動が一段落するまでの約1年は連続してあり、この約6年の連続した時間は私の生涯にとっても忘れられない期間であると思う。もうひとつの忘れることの出来ない時期というのは学生時代の5年間の体験である。

久しぶりに長距離を歩いた

2015年01月16日 23時47分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年に入って初めて1日で24000歩あまりを歩いた。といってもウォーキングスタイルで歩いたのではなく、家からJR石川町駅の先にある組合の会館までを散歩より早い程度の速さで往復した。今年に入って初めての長距離なので、途中横浜駅や関内駅などでコーヒータイムを取ったり、市庁舎内のロビーで椅子に座ったりしながら歩いた。
 早く歩けば片道80分ほどのところを100分程をかけた。組合の会館で3時間余り作業をした後で再び家に向かって歩いた。往路と同じくらいの速さで歩いた。

美術館を出た頃には横浜方面の空には黒く低い雲が垂れ込めてほんの少し冷たい雨が落ちてきた。すぐに上がったが当初の予想にはなかった黒雲にビックリ。

 しかしこの程度の速さでも体を動かすことはいいものである。ほんの少しの汗が出ただけのように思っていたが、思ったよりは汗はかいていた。体に溜まっていた老廃物が抜けたように感じた。体が軽くなったような気分である。

 写真は本日の横浜美術館前。


ホイッスラー展の図録を購入

2015年01月16日 20時32分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日は出かけた帰りに横浜美術館でホイッスラー展の三度目の訪問。1時間程の時間を過ごした。本日は版画作品を重点的に見たうえで、図録2300円也を思い切って購入した。上に掲載した作品は「テムズ川」(1896)。妻のビアトリクスが死の直前に療養した期間に制作した最後の作品。

 本日と明日にかけてホイッスラー展の感想をまとめようと思っている。取りあえずは気になった作品をチェックすることから始める。
 しかしいつものとおりなかなかまとまらない。

 下に掲出した作品は「黒と金色のノクターン 落下する花火」(1875)。残念ながらこの作品は今回は展示はない。


雨風が強くなってきた

2015年01月15日 19時48分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕方は雨もほとんど止み、風もなくなっていたのだが再び雨・風が強くなってきた。風は昼間より強く感じる。

 実は本日水星を見ようかと期待していたのだが、こんなに天気が悪くなるとは思わなかった。一週間前から無理そうだとは分かっていたがほんの少しだけは期待していたので残念。もっともこの一週間で二度ほど目にしたので満足はしている。日没後すぐであるし、金星と並んでいるので目につきやすい。直ぐ上には火星も見えていたと思ったが‥。
http://www.astroarts.co.jp/alacarte/2015/01/15/

シベリウス「クッレルヴォ&フィンランディア(合唱付)」

2015年01月15日 18時11分43秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 本日案内のチラシが日本シベリウス協会から届いた。3月3日のすみだトリフォニーホールでの演奏会のチケットを予約してすでに手に入れている。宣伝をしてほしいということなのだろうと解釈して、チラシと案内をアップしてみることにした。

 一昨年、昨年と午後から夜にかけての演奏会は小ホールであった。今回は合唱団もあり、大編成のオーケストラでもあり大ホールになったので、人が入らないと寂しい。たぶんそんな状態にはならずに盛況だろうと思うが‥。

 当日は退職者会の取組みと重なってしまったが、そちらは申し訳ないが断ってこちらの演奏会に行くことにしている。

本日から始まる講座

2015年01月15日 09時07分44秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日からの講座は「くらべて楽しむ美術鑑賞」。12月までの「美術館めぐりを楽しむためのルール」に続いて同じ講師で中村宏美美術Academy&School講師。
 美術をとおしてユーラシア大陸の東西の端の同時代の文化比較とはなかなか刺激的な取り上げた方である。
 大いに期待をして受講を申し込んだ。3回と回数が少ないのが残念なような気もする。ただし通常90分の講座時間だが、前回と同様120分の講座である。少々受講料は高いが‥。

明日は雨の予報

2015年01月14日 23時05分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
ウェザーマップ社の予想によると、

★九州から本州の南を進む低気圧の影響で、15日にかけて大気の状態が非常に不安定となり、太平洋側を中心に、局地的に激しい雷雨のおそれがある。急な激しい雨や落雷、竜巻などの激しい突風に注意が必要だ。
 東シナ海にある低気圧は前線を伴って東北東へ進んでいる。低気圧は15日にかけて発達しながら、九州南部から四国の南を通って関東の東の海上に進む。
 低気圧や前線に向かって暖かく湿った空気が流れ込むため、大気の状態が非常に不安定となり、西日本と東日本の太平洋側を中心に激しい雷雨となる所がある見込みだ。
 また、この低気圧の影響で、関東地方の北部山沿いや甲信地方を中心に、大雪のおそれがある。15日夕方までに予想される降雪量は、多いところで20センチから30センチの見込み。大雪による交通障害やなだれ、着雪にも注意が必要だ。

と記されている。最高気温の予想は横浜で7℃で風も強い。

 10時からの講座受講の後、久しぶりにウォーキングを兼ねて歩こうと思っていたが、止めた方が良さそうだ。コートを着た方が良さそうである。帰りに横浜美術館を再度訪れようと思っていたが、残念ながら明日は休館日であった。
 おとなしく喫茶店で読書ということにでもするしかなさそうである。
 インフルエンザの勢いが少しでも和らぐといいのだが、すでに発症している人や潜伏期間中の人にはあまり意味はないかもしれない。

楽しいひととき

2015年01月14日 18時20分13秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 友人と2人、馬車道の傍で新年会を開催。安くすませることが出来た。実に久しぶりに焼酎を飲んでみた。お腹に持たれず気持ちよく酔うことが出来た。

 友人との待ち合わせ前に有隣堂で「ゴッホ<自画像>紀行」(木下長宏著、中公新書)を購入。しばらくはこの本で楽しめそうである。
 今年は少し読書に時間を割きたい、と思っている。まずは美術関係の本から挑戦してみるつもりである。少しでも不勉強を解消したい。

明日は天気がよくないようだが、久しぶりに10時からみなとみらいでの講座がある。遅刻しないよう早寝しよう。