
笹岡了一「帰郷」(1960)は、頭部の無い白い服の人間と赤い布を頭に被った男と思われる人間が描かれている。赤い布をかぶった男は足の曲がり具合が少しおかしい。背景は街中と思われる。最初は何を描いているのかわからなかった。画家の興味は人体像かと思ったが、赤い布が何の象徴なのか引っ掛った。眼を凝らして画面を見ていると右下の白い枠の中に描かれているのが車輪付きの大砲のように私には見えた。それが正しいとすると右側にある黒っぽい塊は座り込んだ人間と見ることも出来る。
横を見ると同一作者による戦中(1942年)の作品がある。これは目黒区美術館の所蔵作品である。戦車と思われるものの後ろに日本の兵隊数人と日の丸が描かれている。多分従軍画家として描いた作品と思われる。これと比較した時、何となく私はこの「帰郷」という題の絵がわかったような気になった。
赤い布の人間と黒い塊はひょっとしたら傷痍軍人と中国ないし南方からの、あるいはシベリアからの復員兵ではないか。そうすると白い服装の頭のない人間は、街を闊歩する人の象徴かと思えた。キリットした姿からは白い服の人は帰還兵でもなく傷痍軍人でもないはずだ。
私は自分の1960年頃のことを思い浮かべた。当時小学校3年生、北海道の南端の函館に住んでいた。街中には旧日本軍の軍服を着た人もまだいた。まだ傷痍軍人の格好をした人も数多く駅前にいた。その横では新しいファッションで街中を闊歩する若い女性やサラリーマンも多く、対照的な場面が現出していた。当時はまだそのことに気も留めず、当たり前の光景として見ていた。
高校生となってその頃のことを回想するたびに、当時の貧富の差、戦地から帰還した元兵隊の生活のむずかしさなどに思いが至るようになったことを覚えている。
おそらく戦地から帰還した元兵士は、帰還が遅ければ遅いほど社会への適応は難しかったと思われる。また仕事が見つけるのも困難であったに違いない。国策で兵隊として生死の境をさまよった挙句に、引揚げても快く受け入れてくれる社会ではなかったと思われる。疎外感、違和感も大きかったと思われる。
そんな時代状況を私は思い出した。この絵にはそんな不条理な状況が描かれているのではないか。白い服の人物は明るい街を明るく闊歩する人間の象徴、あるいは社会全体の象徴のように思える。赤い布を被った人物、人物らしき黒い塊はギクシャクとして折れ曲がった身体をしている。
大砲と判断したり、黒い塊を人間と見たりという仮定の積み重ねだから、心もとないのだが、戦中の表現から大きく飛躍した画家の表現を見たような気がする。2点しか見ていないでこんな想像をしてしまって間違いがあるかもしれないが、あくまでも私の感想・思い付きとして許してもらいたい。

布川勝三「北の海(しけ)」(1960)も惹かれた。先の笹岡了一「帰郷」と同じ1960年の作である。当時の私なりの記憶による社会状況と重ね合わせながらこの絵を見ていた。
図録からスキャナーで取り込んでみたが、うまく取り込めない。この絵の下部の黒い塊は漁船、多分木造の漁船が並んでいる。日本海の荒れた海を前にたたずむ漁船の群れが描かれている。暗く立ち込めた空の下の荒れた海が画面をひっかいたような強い線で描かれている。そしてほんのわずかな青が海であることを主張している。この青にもまた惹かれた。
画面の暗さは、日本海の冬の厳しさを表現するだけでなく、戦後の日本の社会そのものの暗喩のように見ていた。

最後の「3.二つの美術館、二つのコレクション」では草間彌生の「線香花火」(1952)に惹かれた。現在の草間彌生の諸作品は私には馴染みが無いが、20代前半の作品である。若い頃のさまざまな模索の中のひとつの作品だと思われる。しかしこの作品のような感性の延長線上には今の作品はちょっと想定できない。この作品の延長戦というものはどんなものになるのか、という想像も面白いと思った。