ボッティチェリ展を見てきた。Bunkamura ザ・ミュージアムで「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美 Money and Beauty」という長い副題がついている。
表題からはんだするとボッティチェリ(1445-1510)とその時代背景、フィレンツェの経済的繁栄についての展示と思われた。
確かに解説には、
「15世紀、花の都フィレンツェでは、銀行家でもあったメディチ家の支援を受け、芸術家たちが数々の傑作を生み出しました。ルネサンス期の芸術の誕生には、地中海貿易と金融業によって財を成したフィレンツェおよびメディチ家の資金力が不可欠でした。メディチ家の寵愛を受けたボッティチェリ(1445-1510)に代表されるフィレンツェ・ルネサンスは、フィレンツェ金融業の繁栄が生み出した代表的な文化遺産といえましょう。
本展では、ヨーロッパ全土の貿易とビジネスを支配し、ルネサンスの原動力となった銀行・金融業と、近代のメセナ活動の誕生を、ボッティチェリの名品の数々を中心に、ルネサンス期を代表する芸術家たちによる絵画・彫刻・版画や、時代背景を物語る書籍・資料など約80点によって、浮き彫りにします。」
と記されている。
また構成は、
序章 富の源泉 フィオリーノ金貨
第1章 ボッティチェリの時代のフィレンツェ-反映する金融業と商業
第2章 旅と交易 拡大する世界
第3章 富めるフィレンツェ
第4章 フィレンツェにおける愛と結婚
第5章 銀行家と芸術家
第6章 メディチ家の凋落とボッティチェリの変容
となっており、ボッティチェリを取り巻く社会的、歴史的背景が飲み込めるような展示となっている。
私は目黒区美術館からのハシゴなので、頭の中も足もだいぶお疲れモードであったが、会場に入るとそれを忘れて見て回ることが出来た。
一昨年イタリアに行ったときフィレンツェを訪れてウフィツィ美術館で2時間ほどを過ごした。そのときは「春」と「ヴィーナスの誕生」を見る機会を得た。その他の画家の作品も目に留まったのはギリシャ・ローマ神話に基づく作品であった。キリスト教絵画はあまり興味をひかなかった。
今回はボッティチェリの聖母子像に焦点を当てて見るということにした。
左上は、1.「聖母子と二人の天使」(1468-1469)。上の中は2.「ケルピムを伴う聖母子」(1470頃)、上の右は3.「聖母子と洗礼者聖ヨハネ」(部分、1477-80)、下の左が工房による4.「聖母子と6人の天使」(1500頃)、下の右が聖母子像ではないが5.「受胎告知」(1500-05)。
1はボッティチェリが独立する直前くらいの作品らしい。2は師のフィリッポ・リッピが亡くなり独立した年の作品。3は「春」を描いた頃の作品でメディチ家からの委嘱も多く、絶頂期の絵画にあたるようだ。この時期、宗教画も人間表現が豊かになり聖人や聖母・キリストも現実的な生気あふれる表情になっているといわれる。
しかし1492年ロレンツォ・デ・メディチの死後、神秘主義者サヴォナローラが力を得るようになるとその影響を受けるようになると、作品も精彩を欠くようになるといわれる。
この5枚の絵からそれらの変遷がたどれるのだろうか。確かに聖母マリアの顔は精彩はなくなる。それよりも赤子のキリストの眼や動きが不自然になるように思える。また聖母子の体の大きさがアンバランスになるようだ。もともとキリストをマリアより多少大き目に描いていたのがいっそう大きくなるように見える。天使も含めて登場している者の視線がかみ合わなくなってくる。
また最後に掲げち作品などは、受胎告知を受けるマリアよりも大天使ガブリエルの方が主役で目立っている。腕の上げ方、足の位置など躍動感がある。
こんなことを考えた。
この絵「受胎告知」(1481)はとても有名である。しかし私はいつもこの寝室と中にはが現実には同在出来ないのが不思議でならない。どうしてこんなにもあからさまな歪んで説明のつかない空間を許容したのかわからない。
そのことは問わないとして、この作品も大天使ガブリエルが躍動感にあふれている。ひょっとしたら衣の下=近国隆々とした筋肉美を備えているかもしれない。これに反して聖母マリアの表情は乏しく、生気が感じられない。戸惑い、驚き、躊躇い、不安、恍惚、至福‥さまざまな感情が想定される。それらの感情が宗教的な規制で禁じられているとしても、あまりに生気のない顔ではなかろうか。制作年が1481年ということはメディチ家も繁栄の最中であり、メディチ家との関係は良好だったと思われる。とすると先ほど掲げた受胎告知のマリアの表情と類似しているこの絵について、どのような解釈がなされるのであろうか。
私は赤子の状態の聖母子像の両者の表情・仕草については母性に対する信仰と相まって自由度が大きかったのかと思っている。かたや聖霊による懐胎というキリスト教にとっては神聖な教義に基づく受胎告知という題材では聖母の顔の表情に対する自由度はまだまだ低かったのかと想像している。
さて、大天使ガブリエルの躍動感と同時にもうひとつ私が今回気が付いたのは、天使のうしろからマリアに向かって聖霊が動きが少し放射状に数本の線によって表されている。これまでこの線については気が付かなかった。スキャナーではうまく取り込めなかったが、この線に今回初めて気がついた。
本当はこの展示ではもっといろいろなことを学ばなければいけなかったと思うが‥。