Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「伝説の洋画家たち-二科100年展-」(東京都美術館) その2

2015年08月26日 14時48分07秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 坂本繁二郎の作品以外で目当てにしていたのは、佐伯祐三の作品「リュ・ブランシオン」と「新聞屋」。前者は以前にどこかで見たことはあるが、後者は私はまだ見たことがなかった。1927年の作品。翌年に亡くなっており、二科展では死後20日後に遺作として紹介された、と解説に書いてあった。
 見てのとおり佐伯祐三らしいパリのなんでもない一角を描いている。私は猥雑な街並みのごくありふれた一角を切り取って「美」として仕上げて呈示する姿勢が気に入っている。当然描かなかったもの、描き加えたもの、視点による取捨選択、強調‥画家の脳内でさまざまな転換や操作をした上での呈示である。この過程を逆にたどるのもまた楽しい鑑賞の仕方であろう。
 乱雑に置かれた新聞、フランス語なので何と書いてあるのかはまったくわからないものの、いづれゴミとして捨てられるだけの紙にあたかも大事件のようにセンセーショナルにかかれたトップ記事の見出し。しかしそれを置いてある店先には人はいない。センセーショナルな事件は都会に住む人とはどこか無縁なところで、そして画家はそんな事件にはまったく心を動かされずに、その街角の造形としてしか興味を惹いていない。
 佐伯祐三の私の知っている作品には人は出てこない。私の知っている例外は晩年では「郵便配達夫」だけだ。人が登場している作品でも点景としてしか人は存在していないのではないか。私はそこが気に入っている。都会の一角であるから、当然人間が省略されている。しかしいかにも人がいそうな雰囲気も漂ってくる。あるいは人の不在こそが鑑賞のポイントなのかもしれない。



 松本俊介の「画家の像」は1941年の作品。今の感覚からすると「女性は守られる立場」という批判も出てきそうだが、生身で立ちはだかろうとする意気は感じる。それが構図や描き方の観点から画業上のエポックとしてどう位置づけられるのか、興味のあるところである。他の展示されている作品と比べると完成度は高い方の作品であると私は思う。
 左下の子供の背中から右上の画家の頭までの画面を斜めに切る線と、女性の座る木箱の横の線がつくる三角形が、強い緊張感を画面にもたらしている。ちょっと生意気な雰囲気を持った、世間ずれしていない向こう見ずな若い青年に見える。サンダル履きというのが、日常生活に押し寄せる不条理に素手で対抗する不羈を感じる。そんな若さが羨ましく感じる年に私はなってしまった。



 この絵はとても懐かしい。萬鉄五郎の「もたれて立つ人」(1917)である。この絵はいまから18年前の1997年に東京国立近代美術館で開催された没後70年の追悼展である「萬鉄五郎展」のチラシの面を飾った作品である。このチラシは今でも鮮明に覚えていて、購入した図録の間に挟んである。当時はブログに感想を書くわけでもなく、図録などもそのまま本棚にしまうだけの鑑賞であった。だからすぐに忘れてしまうのだが、余程気に入ったのだろう。このチラシの記憶だけは新鮮である。
 実は隣りに展示してある「筆立てのある静物」もこの時の追悼展の図録に載っている。同じ年に二科展に出品されたものである。
 追悼展の図録の解説では発表当時は「静物」の方が評判がよかったと記載してあり、今回解説では「静物」の方が注目度が低かった、と反対のことが記載されている。
 私の好みで云えば「静物」の方は以下にもセザンヌ然としている。こちらの「もたれて立つ人」の方が人体が押しつぶされたようなデフォルメなど構図上もさんざん苦労した跡がそれとなくわかる。また「静物」と同じような色調ながら、色が散漫な感じの「静物」よりもこちらの方が赤に焦点があたり、存在感がある。緑の髪、黒い椅子と赤い人体、描く対象も整理されている。私はこちらがとても気に入っている。



 この向井潤吉の「争へる鹿」(1934)は初めて見た。画家が1995年に94歳で亡くなった2年後の1997年に追悼展として横浜高島屋で開催された「向井潤吉展-心に残る絵筆の旅」では見ていない。購入した図録にも掲載されていない。
 この時に展示された向井潤吉のいわゆる戦争画は3点とも、街の上空を飛ぶ飛行機の不気味な大きな影、飛行機の編隊に圧し掛かる白雨、暗い地底の鉱夫などを描くことで、戦争という影が人々の生活に重くのしかかる現実を描いていた。見方によっては戦争に対する挑戦のような作品だと感じていた。戦後すぐに描いた「漂人」などこの時期の向井潤吉について私はもっと大きな再評価があっていいのではないかと思っている。
 向井潤吉は習作時代を終えて画風を確立するや否や従軍させられている。とても大きな影響を受けたと思う。この「争へる鹿」に描かれているササなどの下草の描き方が不思議であった。戦後に描いた民家などの周囲の植物描き方と随分違う。日本画のような丁寧な描き方である。この描き方がどのように変化したのか、不思議な思いがした。
 まだまだいろいろな画家の変遷について知らないことばかりである。

   

 私はどうも岸田劉生という画家はあまり見る機会のないままに来ている。あの「麗子像」などの一連の作品が私にはとても違和感があり、敬遠してきた。
 今回この「初夏の小路」(1917)には惹かれた。まだ若い26歳の時の作品である。こんな明るい絵もかいていたのか、と再認識した。
 同じように道を描いても、岸田劉生の4歳年下の中川一政の「春光」(1915)とはまるで違う。中川一政の方がさらに若い24歳の作品である。
 色彩も明るさもかなり強調し、細部に拘らない中川一政の描く風景と、岸田劉生の細部にこだわった描き方、空の占める割合の違いからくる指向性の違いなど面白く比べてみた。
 岸田劉生の方が空の割合が小さく、道の先にある何かしらに明るい期待を持たせるようだ。中川一政の作品は空が大きく明るさの対比が強調されているが、道の先よりも道の手前、画家の立ち位置の方に風景が吸い寄せられるようだ。
 画家の吸引力が後者の方が強いのだろうか。



 私は時々放浪の人といわれたり、自己破滅型の人にえらく惹かれることがある。そんな思いはある日突然に訪れる。特に芸術家と云われる人の生き方に憧れに近い何かを感じる。
 この長谷川利行も当時の東京市の養育院でなくなり、スケッチなどもすべて焼却処分されてしまった画家である。それを惜しむ、というのではなく、それこそがこの画家の生き様なのである。
 死ねば死に切り、という自分の生涯をあっさりと突き放すことはなかなかできることではない。あるいは自己に対する執着は人一倍強かったことの反動なのだろうか。
 そんな長谷川利行の作品は、似たようなタッチの絵ではあるが、人に作品ごとに好き嫌いもはっきりしている。私もこの絵は好みであるが、別の部屋に展示されている「女」には惹かれない。
 きっとまた別の気分の時に作品と接すると好みもガラッと変わるかもしれない。他人からみると近寄ろうとするとさっと身をかわして逃げていく、そんな感じをいつも持たされる。

 このほか、伊藤久三郎「流れの部分」(1933)、硲伊之助「室より(南仏のパルコン)」、古賀春江「二階より」(1922)、林倭衛「出獄の日のО氏」(1919)などに眼をとめた。

セザール・フランク「ヴァイオリンソナタ」

2015年08月25日 23時48分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 フランクの曲は昨日取り上げた交響曲と交響的変奏曲、そしてこのヴァイオリンソナタの3曲しか持っていない。
 この3人の作曲家のヴァイオリンソナタをおさめたCDは、いつ購入したか、そして聴いたことがあるのか、記憶がない。購入したからには1回は聴いていると思うが、どんな感じの曲だったか記憶にない。
 セザール・フランク(1822-1890)、クロード・ドビュッシー(1862-1918)、モーリス・ラヴェル(1875-1937)というフランスで活躍した年代の違う作曲家のヴァイオリンソナタである。3人とも私は普段は聴くことが稀な作曲家である。ちょっと苦手である。たぶん購入したのはいろいろな作曲家のヴァイオリンソナタを聴いてみたい時期があったから、その時だと思う。CDの記載によると2006年頃だから9年前ということになるだろうか。
 本日はフランクのヴァイオリンソナタだけを聴くつもりで棚から出してきた。

 ところが聴いているうちにヴァイオリンの音色の美しさを充分引き出している曲だと感じた。出だしからメロディーは覚えていないのだが、終楽章の第4楽章になってどこかで聴いたような主題がながながと繰り返されるのに驚いた。結局誰かの曲に出てくる旋律を持ってきたのかといろいろ思い浮かべたがわからない。しかし随分親しみやすい旋律である。CDの解説やWikiでもわからない。気になって眠れなくなってしまいそうである。
 循環形式といわれるだけのことはあり、この第4楽章で繰り返される旋律は確かに第1楽章でも顔を出していることが2回目でようやくわかった。聴いたことがあるという思いは、最初から聴いているうちに自然と頭の中に植え付けられていたということなのだろうか。

 これはもっとじっくりと聴かなくてはいけなかった曲だったかもしれない。

   

涼しかった一日

2015年08月25日 21時47分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 8月にしてはこのような涼しい日は珍しいのではないか。本日は23℃というこの涼しい気温の中、上野の東京都美術館まで出かけた。自宅から横浜駅までは降りそうで降らなかったが、上野についてみると微かに雨が降っていた。上野駅から美術館までは傘をさすほどではなかったが、帰りに美術館を出たらそれなりに降っていた。自動販売機の横の椅子に座ってお茶を飲んでいたら、傘をささないで歩いている人も見え始めたので、傘はリュックに挿したまま再び上野駅までそのまま歩いた。
 2時間も展覧会場にいたためにさすがに疲れた。上野駅で生ビールを1杯飲んで電車に乗ったら、すっかり気持ちよくなり、あやうく横浜駅で乗り過ごすところであった。

 明日に「伝説の洋画家たち」展のその2を仕上げる予定にはしている。

「伝説の洋画家たち-二科100年展-」(東京都美術館) その1

2015年08月25日 21時13分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 二科会が結成されて100年を記念した展覧会「伝説の洋画家たち-二科100年展-」が東京都美術館で開催されている。
 二科会と云われてすぐに会の歴史や関係した画家の名が出てくるほど日本の絵画の歴史に詳しくはない。それでも二科会という名は幾度も耳にしている。折角だからそこらへんの勉強も兼ねて展覧会に足を運んだ。
 二科会の歴史年表などを丁寧に見ながらゆっくりと2時間少しかけて会場を回った。
 むろん目当てはある。坂本繁二郎の「海岸の牛」「放牧三馬」「帽子を持てる女」、佐伯祐三「リュ・ブランシオン」「新聞屋」、松本俊介「画家の像」。これだけでも1500円を払う価値はあると思って出かけた。
 会場は空いている。夏休みだから混んでいるかなと心配もしていたが、人気はないのだろうかと少々心配になった。雨が降りだしそうな天気だったこともあるのだろうか。
 私の目当ての作品以外にも私なりに気になった作品もいくつかあった。それを大きな収穫としようと思った。

      

 まずは会場に入ってすぐに目に入ったのが、坂本繁二郎の「海岸の牛」(1914)。もうここですっかり足は止まった。1970年3月の追悼展、2006年の坂本繁二郎展、2013年の「夏目漱石美術世界」展以来4回目の対面である。強い夏の陽射しを受けた海岸とそこに立つ牛、私が強い陽射しのもとで何かを見るとこのように見える。明確な輪郭が溶け出て周囲を合体するように境界があいまいとなる。そんな私の目に映る風景そのものである。高校3年の卒業間際の私が美術作品を見ることの楽しさを実感した作品である。
 他の作品を飛ばして同じ坂本繁二郎の「帽子を持てる女」(1923)、「放牧三馬」(1932)の3点の間をうろうろした。とくに「海岸の牛」「放牧三馬」は飽きることはない。「胞子を持てる女」と「放牧三馬」は3度目の対面となる。
 「放牧三馬」に描かれた3頭の馬の内、真ん中の馬は眼が青い。他の2頭は眼が描かれていない。構図としては空に浮かぶ3本の雲と地上の水溜りが平行、馬の脚と首が雲と水たまりに直行するように描かれ、横に伸びるリズムが心地よい。遺影のような3頭の馬を思い出しながら描く視線が印象的である。この馬は何の象徴だろうか。
 私が坂本繁二郎の絵に惹かれるのは、タッチが終生同じようなのだが、対象が馬、牛、能面とかわりつつ飽きることがないことだ。手馴れて同じような描き方を続けたという姿勢は感じない。どの牛にも、馬にも、能面にもどこかに作者が牛・馬・能面の向こうに佇んでいる。どれもが同じ表情をしているわけではない。牛も馬も静止しているポーズだが、静かで微かであるものの動きがある。
 この2点の牛、馬に比べて胞子を持つ女は完全に動きを封じられている。そして画家の面影が女性像の向こう側に見えるだろうか。背景の色に溶けてしまいそうな人物である。牛や馬の絵とどう違うのか、私には今のところそれがわからない。ヨーロッパでの体験が坂本繁二郎という画家の画業にどのような影響を与えたのか、もう一度勉強しなくてはいけないと思う。

   

空疎な論議

2015年08月24日 22時37分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評


 昨日国会前庭和式庭園で蝉の抜け殻を見つけた。空蝉、国会内の議論というなの空疎な日本語の応酬をそのまま見ているような思いであった。
 日本を取り戻すという人の言葉がもっとも空疎である。見え透いたはぐらかしの答弁は、情緒的にただただ空中に浮遊している。蝉の抜け殻の方が幹をしっかりとつかんで、確固として存在している。蝉に対して失礼だったろうか。
 日本を取り戻すと言っている人には是非とも、日本の古典と言われる文学や、そこまで言わずとも明治以降の文学に親しんでもらいたいと思う。言葉の持つ力を身をもって示してもらいたいといつも思う。あるいは戦後の文学がたどった言葉の重みを味わってもらいたい。
 日本の言葉をもっとも悪い実例として垂れ流しているのが、今の国会の場というのがとてつもない背理ではないか。
 もう一方で、空疎な答弁に対して堂々巡りの応答をする側は、またそれらの政治的言語を伝えられる側が、果たして同じ轍を踏むことはないか。空疎な敵に対して発する言葉が、空疎で実体のない、最初に発せられた空疎な言葉を否定するために、強い打撃だけを目的とした言葉へと純化する悪循環に陥らないか。
 戦後の日本の反体制派の空疎で攻撃的な言葉は、そのようにして作られた。同じ轍を踏まないか、極めて危うい段階に来ていないか。私は強く危惧している。

フランク「交響曲ニ短調&交響的変奏曲」

2015年08月24日 21時16分32秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 久しぶりに交響曲を聞いてみたくなって今の本棚のCDの棚を物色していたら、フランク「交響曲ニ短調、公共的変奏曲」を見つけた。
 カルロ・マリア・ジュリーニ指揮、ウィーン・フィルハーモニー、ピアノはポール・クロスリーとある。1993年の録音である。解説の最後に指揮者ジュリーニについて「1998年に指揮活動から引退」と記されているので、1998年以降に購入したようだ。
 フランクの交響曲は購入以降も幾度か聞いている。CD購入以前にも演奏者は覚えていないがレコードを持っていたので幾度も聴いている。しかし一番初めの第一主題以外どんな曲だったかすっかり忘れてしまっていた。
 フランク(1822-1890)の晩年1886-88年に作曲されたフランク唯一の交響曲である。同時期にマーラーが第1番の交響曲を、チャイコフスキーが第5番の交響曲を作曲しており、それらに比べると「古風」だというのはわからなくもない。解説ではブルックナーと並んで評価される作曲家のように記されている。ただし私はブルックナーの曲は食わず嫌いで聴くことがない。複雑な構造を持つ構造美の交響曲というイメージがあり、構成的な美しさがあるらしいが、空虚な構造物と云う風に勝手に思い込んでいて、聴いたとたんに耳を塞いでしまう。
 第1楽章の出だしの主題、そして第3楽章で繰り返し現れる第1主題が大変印象的に耳に残る。聴きながら思い出してきた。不思議に大まかにだが旋律を追うことができる。
 交響的変奏曲はまったく記憶になかった。初めてのつもりでじっくりと聴いてみた。こんなにもピアノが美しい曲だとはまったくわからなかった。最近チェロの音色に魅せられているが、この曲でもピアノのソロの背後で美しいチェロの低音の響きが印象的である。
 ピアノ協奏曲の一部という感じではなく、ピアノと管弦楽の対等なソナタというような曲だと思う。なかなか美しい。

   

腕時計は必要か?

2015年08月24日 19時07分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は休養日。といっても14時過ぎには横浜駅まで出向いて家電量販店にて名詞用紙を購入した。その後は喫茶店でコーヒー1杯で1時間半程時間を過ごした。
 先日の八甲田山で転んだ拍子に3000円で購入して3年近く使った時計の裏蓋が外れた。宿について詳しく見てみると、転んだ衝撃で裏蓋が外れたのではなく、4箇所を細い小さなビスで止めていたが、それがすでに腐食して折れていた。4本とも錆びていて茶色に変色、ボロボロになっていた。
 実はすでに壊れる1週間ほど前からウォーキングで汗をかくと、画面が水滴で見えなくなる現象が生じていた。その時点で裏蓋は外れかかっていたらしい。
 多少高い時計を購入するか、2000~3000円の時計を買い替えながら理由するか、悩みどころである。家電量販店では10000円以下で、歩数計などの機能を備えたものは販売している。ただしこれを有効活用できるか自信はない。また限られたボタンの操作を考えると操作性は良くないようだ。
 携帯電話があるので、腕時計は特に必要ないという意見もある。喫茶店で時計のカタログを見ながら、いろいろとつまらないどうでもいいことで頭を悩ましていた。時間つぶしをしていた。途中からは、購入すること自体が面倒になってしまった。

左腕の痛み

2015年08月23日 23時12分29秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 3週間前の8月1日に八甲田山で傷めた左肘の痛み、少しずつであるが回復しているのがわかる。まだ急に動かしたり、重いものを持つときに痛みが走る。しかし薄らいできた。また普段ものをつかむ程度ではそれほど意識しなくなった。風呂で体を洗うときなども時に意識しなくなった。
 左ひじの小指側の痛みがまだ完全にひかない。押すと痛みが走る。以前ほどの痛みではないが、筋肉の痛みがなくなった分だけ楽になっている。
 同じ左ひじの親指側は筋肉の痛みが少し残っている。ただ神経を伝わる痛みはほとんどない。こちらは外傷の瘡蓋がほぼ取れている。しかし筋肉の痛みがまだあるということはかなりの衝撃を受けたのだと思う。「ミシッ」「メキッ」というような嫌な音を聞いた気がしたのはこちらである。
 左ひじの小指側は強くぶつけた記憶はないのだが、骨に直に衝撃を受けたのだと思う。

 左の腰の内出血はほとんどわからなくなった。押すと微かであるが筋肉の痛みがまだあるが、意識することはまったくなくなった。


パブロ・カザルスのチェロ

2015年08月23日 22時19分29秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日はやはり疲れたようで読書する気分にもならず、パブロ・カザルスの1951年から1962年にかけての録音でベートーベン、バッハ、ハイドン、ファリャ、クープラン、鳥の歌などの小品を聞くことにした。
 CDの表紙の画像データは保管してあるので、すでにこのブログで一度取り上げたようだが、いつだったか記憶にない。
 1950年代の録音であるが、艶やかで豊かな音が十分に味わえる。ただしピアノの高音はまだしもチェロの高音は一部かすれて聞こえる。たぶん録音上の問題に思える。


宮城県産の牡蠣をたらふく

2015年08月23日 21時28分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は、朝6時半に起床、あわただしく用意をして、連合主催の国会包囲行動に参加。朝8時の横浜駅集合にやっと間に合った。昨夜は結局朝3時過ぎに布団に入ったので、正味の就寝時間は3時間ほどでさすがに眠かった。駅のコンビニで慌ただしくヨーグルトと蒸しパンを飲み下した。
 朝から気温が上昇して最高気温31℃を超える陽射しの下で9時過ぎから12時過ぎ過ぎまで立っていた。日焼けの上、かなりの汗をかいたようで、さすがに疲れた。私の属する単組退職者会からも18名が参加した。
 集会終了後は12名で新橋駅のガード下で牡蠣を中心としたメニューの居酒屋で3時間ほど、過ごした。宮城県産の牡蠣ということであった。今年は随分と牡蠣を、しかもすべて岩手・宮城県産のものを食べたことになる。焼き牡蠣と蒸し牡蠣を合わせて8個ほども食べて、ご満悦。

 帰宅後はシャワーはあびたものの、夕食も食べずにそのまま寝てしまった。

 先ほど起き出して、ホームページに報告と写真をアップ、さらに明日送信する参加者名簿を清書した。これでとりあえず本日の行動の作業は終了。



ようやく作業終了

2015年08月23日 01時50分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく作業終了。ふたつのブログに記事をアップした。同じ記事なら楽なのだが、基本は同じだけれど、対象者が違う分文章かなり変えた。写真も少し違う。
 これ以上は頭が疲れて間違いを冒す可能性もあるので、取りあえず終了。これからお風呂に入って就寝。明日の朝6時起床できるだろうか?

明日は昼過ぎまで屋外

2015年08月22日 23時03分38秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやく本日のイベントの速報用の写真の整理が一段落した。明日はまた東京まで出かけなくてはいけないので、本日中に速報としてイベントの報告記事を作り上げる予定にしている。時間的にはこれから2時間と思っている。明日の朝起きられるかどうか不安になってきた。
 少しねじを巻いてスピードを上げないといけないようだ。受験生のように気合を入れなくては‥。

 明日は曇りのち晴れというような予想。気温も32℃と高そうである。本日は日中はずっと屋内にいたのに、明日は一日日に当たることになる。熱中症が心配にもなる。

島袋純琉球大学教授の講演「沖縄・島ぐるみ会議のめざすもの」

2015年08月22日 21時50分34秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 本日は12時30分から16時30分までイベントの写真撮影をしながら、琉球大学の島袋純教授による講演「沖縄・島ぐるみ会期がめざすもの」を拝聴する機会に恵まれた。教授は「島グル会議」の事務局次長という立場でお話をされた。
 「島ぐるみ会議」の正式名称が「沖縄『建白書』を実現し、未来を拓く島ぐるみ会議」であること、
 『建白書』の内容は2013年1月に作られた... 沖縄県民大会実行委員会、沖縄県議会、沖縄県市町村 関係4団体、市町村、市町村議会の連名の「1、オスプレイの配備を直ちに撤回すること。及び今年7月までに配備されるとしている12機の配備を中止すること。また嘉手納基地への特殊作戦用垂直離着陸輸送機CV22オスプレイの配備計画を直ちに撤回すること、2、米軍普天間基地を閉鎖・撤去し、県内移設を断念すること」の2点であること、
 世界一危険な基地と云われる普天間基地の問題、
 翁長知事の誕生や辺野古の新吉建設に反対する運動
などについて現地の声を伝えてもらった。
 さらに「沖縄の海、空、土地はわれわれの事故決定権の下にある。ヤマトゥ政府に陳情するのではなく、世界に発信し構造的差別を撤廃する方向性を追求する」と結ばれた。

 大変わかりやすく講演をしてもらったと思う。

 講演の後は、廣東獅子舞、琉球舞踊、和太鼓、フラ、ピアノ演奏、女声合唱団の演奏と続き、最後に芹洋子さんのミニコンサートと続き、充実したイベントとなった。


久しぶりに三脚の出番

2015年08月22日 08時51分59秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は広い屋内での集まりの写真撮影担当になったので、久しぶりに三脚をひっぱり出してきた。必要ないかもしれないが、一応持参してみる。しかし重いものである。1.2メートルほどの高さがあり、一眼レフとストロボを装着出来るものの中では一番軽いものを購入したが、やはり重い。いつもの17リットルのリュックには入らないので25リットルのリュックに入れた。登山に行くよりは軽いが、ちょっと仰々しい格好である。

 レンズも広角ズームと常用のズームの2本。ミラーレスカメラももとりあえずリュックに入れた。ミラーレスは使わない可能性大。


ブラームス「ヴァイオリンソナタ第1番」

2015年08月21日 23時32分08秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 今夜もブラームスを聞きながら就寝の準備。今夜はすでに何回も取り上げたヴァイオリン徳永二男、ピアノ伊藤恵によるソナタ全曲のCD。このCD以外はもっていないので、他の演奏者と比較したことはない。また残念ながら他の演奏者のコンサートも聴いたことがない。これほど好きな曲なのだが、どういうわけだろうか。
 録音は1996年となっているから比較的最近の演奏である。
 本日は第1番の身にする予定。

 第1番については「雨の歌」といわれるが、これは第3楽章の冒頭がブラームスの歌曲「雨の歌」に由来するためとのことである。解説者は第1楽章からすでにイタリアをこよなく愛したブラームスならではの「イタリアでの印象が溢れている」。「明るい雨の降る午後のフィレンツェといった感じ」の曲であると記している。「雨の降る午後のフィレンツェ」という印象が私にはわからないが、雨と云っても日本のような内省的な思考を誘う雨ではないらしい。それでも私は、日本の雨の日にも似つかわしいのではないかと思っている。第1番は充分に内省的な曲である。