Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日からはじまる講座「平家物語のやさしい読みかた」

2016年04月20日 22時01分07秒 | 読書
 明日から申し込んでいた神奈川大学の市民向け講座が始まる。学校生活はもう遠い昔のことであるが、新学期のような気分を少しだけ味わったかもしれない。3月、4月とずっと講座がなくて、やっと始まった感じでもある。上半期が終わると受講し始めて4年目が終わる。
 この講座、4月2日からの申込み開始日に遅れて6日頃に申し込んだらすでにいっぱいとなっていた。人気講座でもある。さいわい辞退者が出たようで、受講することが出来た。
 講師は鈴木彰立教大学教授。平家物語のやさしい読みかた」と題しているが、取り上げるのは「源平盛衰記」。この「源平盛衰記」はなかなか見る機会もないし、まして読む機会もない。「丁寧な説明と明確でわかりやすい語り口が私にはとても嬉しい。

災害時にこそ問われる政治の質

2016年04月20日 21時10分37秒 | 天気と自然災害
★こんなニュースもある。以下一部を引用してみる。
 国が「プッシュ型」支援を進めたのは、水や食料など必要最低限の支援物資を確実に届けるためだった。
 まず全国から、大型の倉庫を持つ日本通運の鳥栖営業所(佐賀県鳥栖市)に集め、そこから自衛隊が被災地の避難所まで運ぶしくみをつくった。当初は、自治体が指定する場所に届ける予定だったが、「なかなか物資が届かない」との批判もあり、自治体とのやりとりを待たずに出荷するやり方に変えた。
 食料以外の物品や水は、福岡県内の大手物流会社の倉庫に集め、物流会社が手分けして避難所に運ぶ。
 このしくみは19日から本格的に運用が始まった。国土交通省の担当者は、「避難所側からも注文が入ってくるようになり、うまくいきつつある」と言う。物資のスムーズな運搬を妨げていた渋滞も、通行止め区間が減るのに伴い、少しずつ改善に向かっている。
 ただ、少人数が避難している場所や、自宅近くの車などに避難して寝泊まりしている人にまで行き渡っているとは言い難い。避難所ごとに今何が必要か、というニーズまで、国が知ることも難しい。きめ細かな対応には、ボランティアなどの力を使う態勢づくりも課題になる。
→【http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160420-00000014-asahi-soci

★私はこのニュースを見て、現政権の体質を如実に示していると感じた。阪神淡路の震災や中越地震や東日本大震災などでは地方自治体や地域の消防や地元の懸命な努力と全国から応援の警察・自衛隊・消防などの力がギクシャクしながらも一定の成果を上げた。支援物資の搬送についてはも民間のノウハウなどを騒動して不十分といわれながらも何とかいきわたらせることも出来た。
 今回のような大災害時にはこのような経験を最大限生かしながらより効率的・効果的な対応を蓄積していく必要があるというのは当然のことである。
★だが、今回のこの政府の対応が真実とすると、中央集権的に地方自治体の頭ごなしに、国の方針ですべて押し通そうとすることばかり考えているような気がする。憲法を変えて災害時に緊急事態条項などを盛り込むなどという報道もされている。
 大きな災害時に有効とはとても思えない。今の政権を支える政治家は、これら多くの生命が奪われた貴重な経験から何も学んでいないのではないか。芽生えた教訓を生かそうとしていないのではないか。
★私は大災害時の時ほど、地方におおきな権限を与えた方が、よりスムーズに事が運ぶと考えている。災害対応というのは日常業務の延長上にある。地方公務員として、さまざまな気象災害や、事故に毎日のように対応してきた経験からすると、日常業務の指揮命令系統を瞬間的に否定しても業務の円滑な推進は保証されることは断じてあり得ない。現場に混乱と責任をとる部署の空白を招くだけである。
 そして被災地域の自治体の経験を他の自治体は実にキチンと学んでいると思う。学んでいない自治体を指導するのが本来の国や県の役割である。
 地方自治体の職場にどんなノウハウや、機材や人材があるが把握していない国の機関が頭越しにものを運び込んでも処理などし切れない。また地元のさまざまな実情に熟知している企業と地方自治体との信頼関係を壊すようなことになりかねない。避難所設置や運営、被災者のニーズの把握は日々の混乱の中で少しずつ蓄積していくものでもある。人はそのようにして学んでいく。
★生命にかかわるさまざまなニーズに対応する具体的な瞬時の判断は、地方自治体の発信を国や県が真摯に受け止めることで培われる。地方自治体や地元では人材が限られ、人員や機動力や判断力、予算に限界がある。広域的な処理、あるいは救援活動などを他の地域や国が補完していく姿勢が必要である。
 どんな場合も智慧は現場にこそある。それを尊重しないで中央政府の判断だけでものを送りつけるだけでは何事も解決しない。中央政府のすることに随えという時代ではない。それは70年前に否定されているはずである。
 少なくとも現政権には地方に学ぶ、地方の意向を尊重する、という姿勢が欠落していないだろうか。
★こんな状況の中で派遣されて現地で懸命に作業されている警察や自衛隊の隊員にとっては、現地との軋轢は大きなストレスとなることは間違いがない。特に救援物資を運ぶ担当にとっては、集積所に運んでも受け取りがスムーズにいかなかったり、幾度も運搬し直しとなれば、士気の低下にもつながる。努力が報われないということになってしまう。歓迎される雰囲気をつくるのもまた、政治家の責任である。
★中央集権的指向の強い国を今の政権は手本にしようとしているとすれば、とんでもないことである。災害時ほど国民の力はちゃんと発揮される。それに依拠しない政権、信頼しない政権とは、国民に対して強権的に振る舞う国家となってしまうだけである。そのような国家をすでに多くの人が否定的に見ている。災害時の判断にこそ、政治家の真の力量と資質が問われるのではないか。

過去に学ばなければ、破たんする

2016年04月19日 22時19分34秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 結局本日は午後からニュースの原稿作り。小さな囲み記事などをつくり、表面の4割程度を埋めた。裏面はまだ手付かず。しかし遅れているわけではない。軌道に乗り始めたので最終稿の入稿予定日までには何とか間に合いそうである。
 午前中眠気に襲われて眠ってしまったのは予定外であった。午後からは眼科で緑内障の点眼薬をもらい、整形外科で治療をしてもらった。整形外科はそろそろ通わなくてもよさそうな状態になってきた。
 横浜駅の地下街の有隣堂で立ち読みをしているうちに、熊本の震度5強の地震の知らせが携帯に入ってきた。ちょうど家に戻る予定の時間であった。帰宅後、ネットの情報を見たら、これまでの震源域の最南端で発生したらしい。ちょっと気になる。
 しかし先ほども記載したが、丸5日経過して、この規模の余震が起きるとは想像もしていなかった。地元の方も救援に携わる方も同じであろう。
 東日本大震災の時の支援物資を届けるためのノウハウが継承されていないようである。いくらここの団体や個人が全力を傾けても、組織的な混乱をきたしていたり、ノウハウを無視して強引なやり方をすればするほど破たんする。過去に学ばない姿勢、こんな日本にしたのは誰か?


本日も夕刻に震度5強

2016年04月19日 21時31分59秒 | 天気と自然災害


 17時52分にマグニチュード5.5、最大深度5強の地震が熊本地方で発生した。さらにまったく同じ経・緯度で先ほど20時47分にマグニチュード4.9、最大深度5弱の地震が起きた。
 震源をみると日奈久断層・布田川断層地震のこれまでの震域の最南端で起きている。気象庁が震源が南下する傾向にある、といっていたがそれほど顕著に震源の移動がないので、不思議に思っていた。しかし今回の地震はその震源域の最南端で発生している。もっと南に移動していくのであろうか。
 14日の最大震度7の地震からもう丸5日、120時間も経っている。にも関わらず深度5弱の余震が発生となった。 本日の18時までに有感地震が627回。これは未だに11分に1回の余震が発生していることを意味している。10分未満に1度発生していた時期に比べると多少は少ないかもしれないが、それにしてもおさまる傾向を示していると、断言できる状況ではないと思われる。
 なんともわかりづらい地震である。

「奇想の図譜」(辻惟雄)を手に取ってみた

2016年04月19日 12時25分30秒 | 読書
 このところすっかり熊本の地震にのめり込んでしまった。気象庁やテレビの解説者の発言を聞いてもどうしても理解できないことが多い。コメンテーターもやはり理解できていないらしく、的を得た質問を解説者にしていない。地質学者や地震学者なりにわかりきったこととして説明していないことが、素人には前提となっていないことを踏まえた突込みをもっとしてもらいたいと思う。
 「断層の動き」「応力」「ズレ」「歪み」「力の方向」「地震波の伝播」「震源の移動」‥聴いていて45年前に多少聴き齧った私でもこれらの言葉が次々に繰り出されればわからなくなる。もっともあまりに不勉強であったし、その世界からまったく離れて半世紀近く別の仕事をしていたのだし、今更理解できることなどないのはわかっている。しかし中学生と高校生の知識程度を持つものにわかるような解説をしてもらいたいといつも思う。
 先ほどこれまでの報道や気象庁の会見を聞いて疑問に思ったことをまとめてみた。発震機構に対する疑問の投げかけはとりあえずここまでにしておこうと思う。

 本当は、美術館めぐりや絵画の感想、美術関係の読書の感想などの記事を書きつづけたいのだが‥。美術館に行きそびれて、しばらくはCDの感想ばかりだった時期もある。そろそろもとに戻りたくなっている。
 その手始めに昨日は伊藤若冲の水墨画から「果疏涅槃図」の感想を書きかけているうちに、緊急地震速報がなって、注意がそちらに向いてしまった。
 暫くは退職者会の総会やニュースの原稿作りに追われるが、美術関係の書籍でも読みながら頭の体操をしようと思う。
 ルネサンスの絵画の世界に色濃く残っている中世の世界観を少し理解しようとして阿部謹也の本をいくつか集めて読みつづけたいと思ったが、ちょっと中断して辻惟雄「奇想の図譜」に目をとおすことにした。「奇想の系譜」はなかなか優れた論考だと感心した。引き続き刺激的な書物であることを期待したい。明日からのさまざまな作業の合間の休憩時間を利用して頭の回復をはかりたい。

 手に取って15分ほど読んでから仕事をしようと思っていたが、5分もしないうちに寝てしまった。結局お昼過ぎの今まで1時間以上寝たことになる。外の気持ちのいい陽射しがもったいないと思いつつ、仕事もしなくてはと頭の中では抵抗しているうちに、いつの間にか自分の寝息で目が覚めた。


熊本・大分地震、疑問をまとめてみた

2016年04月19日 10時19分27秒 | 天気と自然災害
 熊本の中心の内陸地震の件、解説や気象庁の記者発表を聞いてもよくわからないことばかりである。恥ずかしながら、私に能力がないので理解できない点が多い。本当は私が自分で解明しなくてはいけないものでもあるが、何しろ45年前は不勉強の極みであった。別にその不勉強は悔やむことではないと思っているが‥。
 気象庁もこれまでの経験が当てはまらないということで、かなり混乱・当惑しているようである。

1.日奈久断層、布田川断層がそれぞれどのように動いたのかがまずよくわからない。報道を聞いている限りでは、最初に日奈久断層の南側が北へ右横ずれ断層をつくり、その力を受けた布田川断層の北側が右横ずれ断層をつくった、と理解している。
 それが南阿蘇村の断層に伝播し、大分の別府-万年山断層に伝播したということでよいのだろうか。
2.1によると中央構造線は北側が、東ないし九州では北に移動しているということと理解していいのだろうか。
3.布田川断層と別府-万年山断層が北に動いたということならば、地震の移動は北ないし西に移動するはずなので、佐多岬半島に向かうと思うが、気象庁の見解は震源域が南へ、八代湾に向かっていると述べている。

 上記の3つの疑問からさらに次の疑問が湧いてくる。

4.阿蘇山が断層を突き破って存在していることを考えると、布田川断層に働いた東ないし北東向きの力が阿蘇山を超えて大分側の断層に影響した、というのは無理があるのではないか。震源が10キロという浅い個所である点を考慮すると、阿蘇という火山で力は分散したのではないか。
 大分県側の地震と、熊本県側の地震とは別の要因によって引き起こされた別の地震ではないのか。解析には別のものとして扱う必要があるのではないか。
5.そもそも最初の日奈久断層を動かした力はどこに源泉があるのか。もしも日奈久断層、布田川断層が北や北東に動かした力が働いた後に、そこを埋めるように力はさらにドミノ倒しのように南からかかるのではないか。それはどの程度の領域で考えればいいのか。熊本と鹿児島の県境で活断層はとどまっているが、その先まで想定しなくてはいけないのか。
 尺度は数十年かかるかもしれないが、初動は北に向かうがそののちに震源は南ないし南西側に移動するのではないか。

 こんな疑問が解決されないまま、私の頭の中で混乱している。これはしばらくたってからの解析本、解説書を待つしかないのだろうか。
 疑問の設定自体に誤りはあるだろうし、前提がそもそもナンセンスなのかもしれないが、今はこんな水準でおたおたしている。


阿蘇地方で震度5強(20時42分)

2016年04月18日 21時45分37秒 | 天気と自然災害
 20時42分に緊急地震速報があり、深さ10キロ、マグニチュード5.4の地震が発生した。震度5強を観測したのが、熊本県阿蘇地方の産山村と阿蘇市、大分県竹田市となっている。そして49分、54分、59分と連続していづれも震度3、マグニチュード3.1、2.9、3.4の地震が、ほぼ同じ個所で発生している。さらに21時21分にはすぐ近くを震源として宇城市でマグニチュード3.9、震度4の地震と続いている。
 22時30分から気象庁の会見があるとのことである。

 このように余震が頻発する地震は、この地域に住む方にとってはとてつもなく強いストレスを与え、疲労感が強まると思われる。救援活動に従事している方も同様であろう。亡くなった方が42名にのぼる上に、未だに9名の行方不明者が存在するとの報道である。私が現地でこれを体験したらどんな振舞いをしているであろうか。
 大きな地震発生の時の咄嗟の自分の行動、命を長らえたとして非難の当たって注意点、2~3日の間の振舞い方、そしてこのように地震が頻発する時の身の処し方、避難所に駆け込んだとしてこの中での自分の役割の見つけ方や家族との関係、親族・友人との連絡の取り方、生活必需品の確保の仕方・振舞い方‥‥想定しなければならないことは山ほどある。同時にそれらを処理する気力・体力の確保の問題もある。
 今年に入って自分の体力・気力に自分なりにおおきな疑問を持ち始めた時であるが、このような長期戦に自分が耐えられるであろうか。

 こんなことを一昨日からずっと考えている。被災した方々には申し訳ないが、テレビという媒体をとおして、自分の現状を捉えかえしながら、自分なりにいろいろシュミレーションを繰り返している。


若冲「果蔬涅槃図」(再)

2016年04月18日 21時07分37秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 久しぶりに「若冲と蕪村」の図録を開いてみた。以前も取り上げた水墨画の傑作のひとつ「果蔬涅槃図」に眼が停まった。
 真ん中中央下に描かれているものをいくつか想像してみた。シイタケ、枝豆、クワイ、ミョウガ、ユリ根、ナス、山芋、シメジ、とうもろこし、柿、唐辛子、銀杏?、ヘチマ、カボチャ、米ナス?等々まではわかったが、まだわからないものもある。
 これはひとつひとつ解明していたら1時間や2時間では終わらないと思った。
 さらにここに描かれた唯一の人工物である、臥せられたザル(大根の下にあるベッドがわり)がこの絵の成立にとても重要な存在であると思った。これがないといくら大根の形が仏に見えても「涅槃図」としてはわかりにくい。
 このザルを下部として中央に円形が現われる。この円形が絵の全体のまとまりと統一性を確保している。この円形がないと、今私が着目した絵の最下部の部分が雑然としてまとまりがないものになってしまう。ザルはこの円形の座りを良くしている。
 実によく練られた構図によって成り立っているとあらためて認識した。



幹事会終了

2016年04月18日 19時19分04秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝9時30分から準備をはじめて、役員会、二つの部会を経て14時からの幹事会、16時過ぎに終了。その後、久しぶりに歩いて家までたどり着いた。夕食時間にも間に合った。現役時代の勤務時間に2時間30分ほど少ないが、それでもはやりフルコースで仕事をした気分になる。しかしそれでもたった1日でこんなに疲れた気分になるというのは、やはり体力の限界なのだろうか。単発での体力はあっても、継続した力を出し続けるということが難しくなるものだ、ということを本日は痛感した。

 ということで本日は整形外科に行くことが出来なかった。明日は是非とも行きたい。特に痛いわけでもないし、だるいわけでもないが、何となく不安である。

 明日を除いて今週と来週は日程がすべて埋まってしまった。熊本の震災の件もあるが、体力と気力の点検がどこかで必要な気がしてきた。特にこの1月以降の風邪の連続と長期化、腰痛の治りにくさから、体力に自信を失っている。せめて連休後半、5月4日以降は少しのんびりとさせてもらいたい。たぶんどこへ出かけても人出がすごいと思われる。現役の方の家族サービスを邪魔しては申し訳ないので、家でのんびり過ごすなりの静かな連休としたいものだ。


風はおさまった

2016年04月17日 21時25分44秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日横浜では最大瞬間風速29.5メートルを記録したと報道されている。未だに強風波浪注意報は発令されているが、風はおさまっている。
 現在、天頂付近には月齢10日の月と木星がしし座のレグルスの傍にあって美しい。レグルスは横浜では月の光に邪魔されて見にくい。

 夕方5時前に風がおさまったのを見てから横浜駅まで歩いてみた。団地の中はいつもケヤキの小さな枝などが落ちているが、今回は真新しい松の新芽が多数落ちていた。たぶん強い風の
為だと思われる。
 関東地方でもこの風で死者が2名とのこと。どのような状況で亡くなったのわからない。しかしこのような風では無理をして外に出ない方がいい。
 テレビで何度も放映される解体中のビルを覆っていた足場の崩壊、死者もけが人もいないのが奇跡のようなものである。一体どんな足場を作っていたのか、厳しく問われなければならないと思う。

 またNHKのニュースでは気象庁が、布田川断層に沿って南西方向に地震の震源が移るようだ、という見解を示したというが、気象庁のホームページにはこのことの記載はない。阿蘇山の噴火と同じく、もうしばらくこのことについての発言は保留としておくしかなさそうである。

 明日は退職者会の幹事会、朝から9時過ぎから資料の印刷、役員会、部会等が続いて開かれる。早寝をした方が良さそうだ。今秋からはまた忙しくなる。

熊本地震に思うこと

2016年04月17日 15時12分31秒 | 天気と自然災害
 一連の熊本の地震でとうとう死者は41名と発表となり、まだ安否確認が出来ていない方もいるという。大きな人的な被害となったしまった。
 特に16日1時25分のマグニチュード7.3の地震によって発生した南阿蘇村の土砂崩れ、斜面崩壊、断層露出地点での家屋倒壊が被害を大きくしている。
 気象庁の「平成28年(2016年)熊本地震」について(第11報)」が発表された。17日10時までの統計が資料として出ている。
→【http://www.jma.go.jp/jma/press/1604/17a/kaisetsu201604171030.pdf
 最初の震度7の地震以降、60時間で410回もの余震が続いている。1時間当たり7回もの余震ということは、10分未満の間隔で地震を感じているということである。これは恐怖を伴ったとてつもない心的ストレスを人に与える。住んでいる方だけでなく、救援作業に携わる人々にも大きな影響を与えているであろうし、救援活動そのものの遂行に物理的な障害となっていることは容易に察しがつく。
 この資料の中で私が注目したのは、2枚目3枚目にある震源域である。最初は14日21時26分の日奈久断層南側に発生したM6.5、次に15日0時3分の同じく断層南側のM6.4。これは熊本市と益城町を中心に11名の命を奪った。
 そしてふたつ目が16日1時25分に発生した日奈久断層の北側に隣接する布田川断層の北側を震源とするM7.3の最大規模の地震。これは南阿蘇村に多大な被害をもたらした土砂崩れをひき起こした。
 三つ目は阿蘇山を東に超えた別府-万年山断層を動かしたM5.3の地震。これは別府市を中心に震度5弱をもたらした。
 この三つの地震が今回輻輳して、多分連動したか、ひき起こしたかはわからないが、発生したしたと、気象庁はそのような見解に立っている。多分そういうことなのであろう。これ以上の詳しい見解は憶測の域を出ないと思われる。
 また余震の多さについても特筆に値する傾向を示している。群発地震のような様相ではないだろうか。
 特に16日の気象庁が「本震」と名付けた地震以降顕著である。「本震」発生から1週間後にどのような見解が出るか、注目である。
 ただし私は「本震」「前震」という分類が今回妥当かと疑問に感じている。3つの地震が重なっているというのであればなおさらである。仮に1.日奈久断層南側地震、2.布田川断層北側地震、3.別府地震と名付けると、1と3については収束傾向と見ることもできないことはない。この部分を差し引いた時、最大規模の2の地震の傾向が残る。こんな解析方法もあるような気がする。だが即断は禁物である。
 しかしそれにしても余震は多い。

 地震、この後の展開はとても推論などできない。多くの人が不安になっていることに阿蘇山の火山活動との関連が挙げられる。小噴火があったことに対して、気象庁は今のところ「わからない」としている。たぶん設置してある観測機器に変化はないということと理解しているが、数か月を超える尺度で見た場合、何らかの影響というのは出てくる可能性はある。
 私は「わからない」あるいは「観測機器に異常は見られない」なども含めてであるが、状況をもっと発信すべきではないかと思う。何しろ根拠のないさまざまな悪質ともいえる憶測がSNS上に、無責任なデマとして飛び交っている状況である。強権的な国家規模に寄る規制の根拠にされないために、キチンとした状況説明を行政に常に不断に発信つづけることを求めたい。

         

すさまじい風が吹き抜けている

2016年04月17日 13時55分49秒 | 天気と自然災害
 横浜では強風・雷・波浪注意報が発令されている。昨晩から強い風であったし、午前中の風も強かった。ところが13時ころからそれを上回るとてつもない風が吹き荒れている。
 団地なので東西に4重にも号棟が並んでいるので、普段はいくら強い南北の風が吹いても、大体は東西の風として団地内を吹き抜けていく。
 ところが本日は北西の風が上空から地上に吹き付けるように強烈な風である。北側の窓も大きく揺れながら悲鳴を上げている。南側のベランダの窓も音を立てている。南側の芝生は西北西から東南東に向かって波打っている。さらに風が時々舞うように吹き付け、ベランダ内にも殴り掛かるように風が吹き込んでくる。
 風に倒れないように植木鉢や箒やサンダルを脇に寄せていたが、それでも倒れたり、サンダルが風で踊り始め、数分後にひっくり返ってしまった。
 風の音は台風の時よりも甲高い音である。どこかでこの風による被害が予想される。高いビルの足場が倒れる画像がテレビに出ていた。詳細は記憶にないが‥。被害が最小限であることを祈るのみ。
 雨は小降りで時々太陽が顔を出している。

 とてもではないが、外を歩く気になどならない。

 気象庁のデータは直近のはまだ出ていない。正午前に12.5メートルとなっている。ひょっとしたら30メートル超えのような感じもする。

映画『無伴奏』

2016年04月17日 13時38分47秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 この映画、見に行きたいと思いつつ忘れていた。都内での上映は来週の22日まで、ということなので鑑賞できる可能性は低くなってしまった。
 友人のツイッターで【https://twitter.com/cafeavant/status/721527383929454592】取り上げている。
 この「無伴奏」は私も1970年から75年まで通い続けた。コーヒー1杯で午後3時位からずいぶん長時間聴いていた。読書タイムでもあった。
 学生大会やデモでも一緒になる同学年ではあるが、学部が違う人が幾人かアルバイトをしていた。仙台の駅前と一番町を結ぶ中央通りから少しだけ脇に入った地下の喫茶店である。特に72年から74年は週に3回は入っていたと思う。試験前は毎日、ここが一夜漬けの場所であった。
 この記事によると1981年に閉店したと記載してある。確かにその頃に無くなっていてあったと思われる場所をうろうろと探した記憶がある。
 果たしてどのような出来であるのだろうか。ただし同時代というのは穴に入ってしまいたいほどのテレもあるし、うまく感想が書ききれるだろうか。

 都内の上映は以下の通り。神奈川県内では上映していない。
→【http://cinema.pia.co.jp/title/168893/schedule/13/

 以下、朝日新聞記事その他を紹介する。
→【http://www.asahi.com/articles/ASJ47655TJ47UNHB00T.html
 小池真理子さん(63)の半自叙伝的小説が原作の映画「無伴奏」が公開中だ。舞台は四十数年前、学生運動が燃え上がったころの仙台で、一番町に実在したバロック喫茶「無伴奏」。若者たちはここで恋に落ち、時代に抗(あらが)い、孤独と向き合っていた。
 店主は木村雅雄さん(70)。東北学院大の学生だったが、雇われて働く気はなく、さりとてやりたいことも見つからず、卒業後に始めたのが「無伴奏」だ。銀行だったビルの地下の元金庫室を安く借り、最低限の内装に、米国製スピーカーを据え付け、買いためたLPレコードをかけた。
 バロック音楽専門で、店の名はバッハの「無伴奏チェロ組曲」から。スピーカーを埋め込んだ壁を向き、教室のようにイスが並ぶ。「静かにお話しください」と紙が貼られ、コーヒー1杯100円。いつもたばこの煙が満ちていた。
 開店した1969年、全国の大学に全共闘運動が広がっていた。一番町や青葉通りではデモ隊と機動隊が激しく衝突。その帰り、学生たちは「無伴奏」で熱を冷まし、パッヘルベルのカノンを聴き、吉本隆明や三島由紀夫を語った。
 木村さんは、よく店の入り口左手に座り、つんと澄ましていた少女を覚えている。宮城三女高(現・仙台三桜高)生だった小池真理子さん。高校で制服廃止を呼びかけアジビラをまき、勾当台公園の反戦フォーク集会に背伸びをして出かけた。仙台一高生のボーイフレンドと店で待ち合わせることも。未来の直木賞作家になるとは、木村さんは知る由もない。
 歌人の小池光さん(68)も、デモと「無伴奏」の空気を吸っていた一人。東北大では大学本部を占拠し、夜行列車で東京の学生集会にも出かけた。
 「燃えるような共通体験を持ちながらも、誰もが孤独で、不安で、自分を見つめていた。そんな時代だった」と振り返る。店で何時間も過ごし、ノートに詩を書き連ねた。現在は仙台文学館館長だ。
 70年代に入ると、大学紛争は下火になる。木村さんは12年半続けた「無伴奏」を81年に閉じた。バロックの響きに魅入られ、川崎町にチェンバロ工房を開いて移り住み、楽器製作を続ける。「無伴奏」でやりたいことを見つけたのだった。
 東京の大学に進んだ小池真理子さんは作家になり、90年に小説「無伴奏」を発表。後にこんな風に書いている。「思春期の私に与えられた刺激のすべてが『無伴奏』という店にあった。……作家になる芽があったのだとしたら、それはまさしくあの頃、仙台という街で培われたものだ」
 二人は2008年、仙台文学館の企画で対談し、約40年ぶりの再会を果たしている。
 時は流れ、人は年齢を重ねた。
 街なかの至る所にあった昔風の喫茶店は、多くが姿を消した。震災を経てビルが次々建ち、通りはこぎれいになった。ただ、今も仙台は学生が多い街。ときどき、小さなデモもある。(石橋英昭)
 〈小説と映画「無伴奏」〉 小説は新潮文庫、集英社文庫刊。小池真理子さんがあの時代の仙台を背景に、自身をモデルにして秘められた恋を描いた。矢崎仁司監督が映画化し、池松壮亮、成海璃子、斎藤工(写真左から)らが当時の若者たちを演じる。元店主の木村さんの協力を得て、セットで「無伴奏」を再現。最後のシーンで、かつての「指定席」に座った小池さんが一瞬だけ登場する。「フォーラム仙台」で上映中。

 次のような解説もある。
→【http://www.cinra.net/news/20150727-mubansou


関内桜通りと横浜公園

2016年04月16日 22時40分18秒 | 山行・旅行・散策
 腰の痛みは本日になり和らいだ。病院は休みの日だが、天気は明日は雨ということで、再度関内桜通りと横浜公演を訪れた。やらなくてはいけないこともあるので、ごく短時間だったが、目の保養になった。来週になったら再度散り頃の八重桜を楽しめるかもしれないと期待をしている。
 横浜公園は「よこはま花と緑のスプリングフェア2016」ということで花壇展のテントが立ち並び、大勢の人出で残念ながらゆったりは出来なかった。

               

熊本地震‥参考までに保存

2016年04月16日 18時33分55秒 | 天気と自然災害
 一昨日からの熊本の一連の連続した地震によって37人もの方が亡くなったと報道されている。これからの雨もあり、さらに退職者会規模な土砂崩れ、また強い地震が想定される。
 参考にしたマスコミ報道はいくつもあるが、とりあえず以下は参考にしたい。

★朝日新聞より
「震源、じわじわと東に」 別の活断層に影響の可能性
 今後の地震活動について、専門家はさらに別の活断層が動く可能性を指摘する。九州を東西に横断する別府・島原地溝帯沿いには多数の活断層が存在し、四国や紀伊半島を通る中央構造線断層帯に連なる。
 川崎一朗・京都大名誉教授(地震学)は「震源はじわじわと東に移動している。断層が動くと、その延長線上の断層も動きやすくなる」と話す。地震が発生すると、周囲の断層への力のかかり方が変化して、地震を起こしやすくなることがあるからだ。
 地震予知連絡会会長の平原和朗・京都大教授(地震学)も「大分の地震は震源地から100キロ近く離れており、余震とは考えにくい。大分県の別府―万年山(はねやま)断層帯が誘発されて動いた可能性もある。今後、何が起こるかは正直わからない。仮に中央構造線断層帯がどこかで動けば、長期的には南海トラフ巨大地震に影響を与える可能性があるかもしれない」と話す。
 東北大の遠田晋次教授(地震地質学)は「地震活動が南へ拡大する可能性も忘れてはいけない。日奈久断層帯は北部で地震が発生したが、南への延長部分では地震が起きておらず、注意が必要だ」と話す。
→【http://www.asahi.com/articles/ASJ4J34VYJ4JULBJ00G.html

★西日本新聞より
専門家「これ以上の本震が今後あるかもしれない」 地震連鎖可能性否定出来ない
震源が阿蘇・大分方面に移動
 14日の熊本地震を上回るマグニチュード(M)7・3を観測した16日未明の地震は、強い揺れを引き起こし、九州に甚大な被害をもたらした。熊本地震について政府は15日、日奈久(ひなぐ)断層帯(約81キロ)の北端付近が引き起こしたと判断。ところが16日の地震は、熊本県の阿蘇外輪山から宇土半島付近に延びる布田川(ふたがわ)断層帯(約64キロ)のずれだと専門家はみている。その後、震源域は北東側に大きく移動してきており、地震が次の地震を呼ぶ連鎖が懸念されている。
<写真>地震で崩落した阿蘇大橋
 気象庁は、マグニチュードが大きい16日午前1時25分の地震を「本震」と位置づけ、熊本地震をその「前震」に格下げした。
 本震をもたらした今回の震源は、日奈久断層帯北端の北側、布田川断層帯に乗っている。東京大地震研究所の古村孝志教授(地震学)は「16日の地震は、熊本地震をきっかけに布田川断層帯が約30キロにわたってずれたことによる地震だ」と指摘する。
 震源の深さは約12キロと浅い。マグニチュードも「九州の内陸部地震では、この100年で最大だった」(福岡管区気象台)ことが、各地の被害を大きくした。
 さらに、その後の地震が特徴的な動きを見せている。14日までは熊本地震で震度7を記録した熊本県益城町が余震の主な震源域だったが、16日未明の地震以降、北東の同県阿蘇地方、大分県方面に移動し始めている。
 専門家「これ以上の本震が今後あるかもしれない」 地震連鎖可能性否定出来ない。これ以上の本震が今後あるかもしれない
 もともと、大分県の別府湾から阿蘇山などを経て長崎県の雲仙に至る区間は、地盤間の溝(別府-島原地溝帯)が走っているとされる。溝を境に南北方向に引っ張る力が岩板(プレート)にかかり、この地域にある活断層が「横ずれ」と呼ばれる動きを見せるのはこのためだ=イラ  古村教授は「地溝近辺ではこれまで、大きな揺れがなくエネルギーがたまっているエリアが多い。地震が次の地震のきっかけになる連鎖が起きる可能性は否定できない」と注意を促す。
 「本震の後に余震が続き、やがて収束していく『本震余震型』の地震のパターンだけではない」と指摘するのは、鹿児島大の井村隆介准教授(地質学)。2日前から前震が確認されていた東日本大震災(2011年)がまさに「前震本震型」だったという。
 井村准教授は「今回の地震が本震なのかどうか、まだ分からない。これ以上の本震が今後あるかもしれず、余震が数カ月続くことも考えられる」という。
→【http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160416-00010013-nishinp-soci

 さて、中央構造線が活動を中止しておらず、生きているということは昔から当然のことであった。それは今回の熊本の地震によって明らかである。
 そんな危険な巨大断層帯の上に伊方原発、川内原発を建てていること自体が間違っていると私は判断している。
 原発というのは即時運転停止が出来るわけではない。熊本の一連の地震が発生し、本日の1時25分の時点で運転について再検討の時間はあったと思う。高速道路の寸断、新幹線の全線不通等を考えれば事故時の避難や復旧作業におおきな支障をきたすことは目に見えている。
 稼働していない伊方原発にしても、燃料棒の存在が現にあるはずである。停止中であるから安全であるはずはない。
 そもそも中央構造線上になぜ立てたのか、私にはとても理解ができない。「地震による異常はない」から「運転を停止しない」という規制庁の言は、いただけない。異常があったらまずいのである。地溝帯での直下型地震の破壊力を受けたらそれは致命的である。震度7を想定はしていない。
 気象庁の青木元地震津波監視課長も16日午前の記者会見で、熊本、阿蘇、大分へと北東方面に拡大していく地震現象について「広域的に続けて起きるようなことは思い浮かばない」と述べ、観測史上、例がない事象である可能性を示唆。「今後の(地震)活動の推移は、少し分からないことがある」と戸惑いを見せている。さらに阿蘇山の小規模噴火についても地震との関連については「わからない」と述べている。→【毎日新聞 http://mainichi.jp/articles/20160416/k00/00e/040/246000c
 これまでの経験則が当てはまらない事態ということをキチンと踏まえなければいけない事態ではないのか。