Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

明日は熊谷守一展へ

2018年02月14日 22時59分13秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 明日は竹橋にある東京国立近代美術館に出かける予定。「熊谷守一」展で「猫」を見たいとのこと。あの「猫」の垂れ下がった尻尾、ふくよかな尻、不思議な体の曲線、そしてなぜが角張っていながら笑いを誘う顔を見たいらしい。長谷川リン二郎とはちがった眠る猫である。

 さて本日から夜のウォーキングを再開してみたい。最初は20分ほどから‥。


湯豆腐 その2

2018年02月14日 21時07分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 湯豆腐の句のつづき。こんな句もあった。

★湯豆腐に膝やはらかく崩しけり     大石登世子
★湯豆腐や澄める夜は灯も淡きもの    渡辺水巴


 第1句、湯豆腐は何も姿勢を正してかしこまって食べる者とは違う。湯豆腐と聞くと温かな湯気と温かな食事時間を思い出して、相が崩れるものである。そんな雰囲気が湯豆腐に似つかわしい。膝を崩して、心をほぐしながら豆腐のように柔らかな頭と体にリフレッシュしたいものである。
 第2句、少しセンチメンタルな気分になるのもまた湯豆腐がもらたす語感。雪の日のストーブと炬燵がよく似合う。


本日の読了「倭の五王」(河内春人)

2018年02月14日 18時25分19秒 | 読書


 本日読み終わったのは「倭の五王-王位継承と五世紀の東アジア」(河内春人、中公新書)。
 始めは有隣堂で立ち読みした時は、他の本の読書の予定に影響がありそうなので、パスしようかと考えた。
 しかしあとがきに「(中学か高校の授業で)埼玉県の稲荷山古墳で出土した鉄剣に「獲加多支鹵(ワカタケル)」と記されている。『日本書紀』では「幼武(ワカタケル)」という名の雄略天皇のことである。また『宋書』倭国伝に出てくる「武」という倭国の王は「幼武」の略であり、三つの異なる資料にその名を確認できる‥。最初はなるほどと思ったが釈然としない違和感も拭えなかった。」と記されてあった。これはまったく同感の感想である。
 1983年に稲荷山鉄剣の銘が脚光を浴びた時、私は30歳をとうに過ぎていたが、「武」を「タケル」と訓読みすることが5世紀後半に確定していたのか、万葉仮名以前に「訓読み」があったとは思えないし、それを当時の中国人が「タケル」と「武」を倭の言葉として理解して表記したなどというのはおかしいと直感したので、新聞などの報道に現われる「識者」が信用できなかった。
 「書記」が後から作られ、表記されたことと、5世紀後半の中国の資料の強引な比較というのは、依然として日本史の「権威」が、「記紀」史観から抜けきっていないことの証左のように思えたことが強く印象に残っている。
 つい当時のことを思い起こして購入した。著者は中国と朝鮮の資料を駆使しながら倭の五王の時代の東アジアの国際関係から倭の政治状況を類推しようとする。記紀に記された「天皇」と「倭の五王」との対応関係には踏み込んでいない。この姿勢を私はとても評価したい。記紀の史観からどのように抜け出そうとするのか、という視点で私なりに興味深く読んだ。
 このような視点での古代史の再構築がされることを心から望んでいる。

   

休養日&休肝日

2018年02月13日 23時29分48秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日もアルコールは抜き。二日続けてまたも休肝日&休養日。バリウムが出てしまう明日はアルコール解禁となりそう。

 先ほどは「夢」について記した。そののち思い出したことがある。このことはまたいづれ書かなくてはいけないことでもある。しかし今はまだ書く時期でもない。もうしばらくは温めておくしかない。

「夢」について

2018年02月13日 21時49分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 歳をとると同年代の友人から「叶わなかった「夢」ばかりが思い出される昨今」と云われることがある。私はいつも「夢」とはそもそも何だったんだろう、と思うようになった。
 友人が2月9日の私のブログ「私の捨てた「夢」」の記事に、「捨てた夢の数だけ希望があった」とツィートしてくれた。
 そうなのだ、私の「夢」とはいったい何だったのだろうか。少年時代までの淡い「夢」を追う時代を過ぎてから、10代末以降の夢を「大人の夢」として捉えても、実現した「夢」はない。壮大な「夢」など持ったことはない。日々の小さな目標といった程度の「夢」くらいならば持ったことはある。それ以上でもそれ以下でもない。そもそも遠い将来や人生の目標とすべき「夢」があったのだろうか。そんなことすら考える。記憶にあるのは、ただただもがき続けてきた50数年の苦しかったことばかり。家が欲しいとか、お金が欲しいとか、起業したいとか、有名になりたいとか、そのような夢はもともとなかった。ひょっとしたら社会や職場やらで、もがき続けることが、やりたいことの「核」だったのだろうか。

 最近は若い人に何でもかんでも「夢を持て」、「夢は必ず実現する」などと「夢」を押し付けることばかりである。そんなに「夢」を押し付けられたら窒息する子どもも多数出てくるのではないだろうか。「夢」を持っていなかった人間までもが子どもに「夢」を持てという。
 言い方を変えれば、友人のように「捨ててきたものをあとから見るとそれが「夢」」なのである。捨ててきたものこそが「夢」なのである。いつまでもしがみついていたらそれは「夢」ではない。しがみついていたものは、気がついたら腐ったゴミでしかない場合もある。
 私は「「夢」にしがみつくな」ということを若い人に伝えたいことばとしてあってもいいのではないか、と思う。

癌検診、取りあえず終了

2018年02月13日 17時37分40秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の検査は無事終了。といっても本日の検査でつらいのは胃癌検診のバリウム検査だけである。採血、エックス線、エコーということで楽である。
 バリウムを飲んでの胃の撮影はいつもは特につらいことはない。バリウムの排出も特に私は問題なくスムーズである。
 今年は胃の撮影で少し目がまわった。体をぐるぐる台の上で回転する時に、台も頭を下にしながら回転させられたので、車酔いのような具合になった。一瞬眩暈がして、吐き気を催したが、直立の姿勢に戻ったらすぐに治った。機械の操作、検査する人によってさまざまに癖がある。できれば少しゆっくりとした操作を願いたいものである。
 それ以外は特に問題はなかった。下剤も気持ちよく効いた。あと1回くらいでバリウムはすべて排出できそうである。これがつらい人も多いと聞く。妻はこのバリウムを飲むのがつらいという事で、今年から胃の検査は内視鏡を選択した。
 大腸の内視鏡検査は再来週の27日と決まった。こちらの方が憂鬱である。

 検査終了後、ランチは病院内の食堂でカキフライの定食。

湯豆腐

2018年02月12日 23時00分08秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 なかなか咳と痰、鼻の炎症がおさまらない。痰はそれほどには絡まずにすんなりと排出されるが、それでもすっきりとはしない。鼻も粘膜がまだ炎症を起こしているらしく、少し血が混じる。瘡蓋状の塊が朝や夕方に鼻をかむと出てくることがある。
 いづれも少しずつおさまっているようではあるが、意識しなくなるのは何時になるのであろうか。
 明日の検査に向けて22時までに食事をすませることと、就寝までは水または白湯のみ可、となっている。明日の朝も同様。
 お茶はダメとは書いていないが、水または白湯のみという事なのでダメなのだろう。いつもは寝る前に煎茶やウーロン茶を飲んでいるので、なんとなく寂しいと感じる。特にこだわりがあるわけではないが、慣れたものをダメ、といわれると急に寂しく感じる。

 本日は検査前日という事で、軽く湯豆腐で済ませた。むかしは湯豆腐鍋というのは具は豆腐だけだったと思う。濃い味の醤油ダレに鰹節やみじん切りのネギやたっぷり入れたものに豆腐を浸して食べた記憶がある。最近はあっさりとしたポン酢で食べることが多くなった。さらに豆腐だけでなく、白菜やネギ、豚肉を入れた鍋仕立てである。
 お酒を飲まず、白菜やネギも遠慮勝ちなあっさり湯豆腐、なんとなく物足りないまま、22時を超えたので、明日の検査の終わるまで食事は出来ない。何となく寂しい。

★湯豆腐や男の歎ききくことも     鈴木真砂女
★湯豆腐やいのちの果てのうすあかり  久保田万太郎


 第1句、銀座で小料理店を営んでいた鈴木真砂女、馴染み客のサラリーマンの歎き、愚痴を聞くのも仕事のうちだったと思われる。サラリーマンの歎き、愚痴は頷いて聞いてやれば、それでおしまいかもしれないが、聞くには聞くためのノウハウ、そして人生経験も、その経験に裏打ちされた受け答えも必要。誰でもが聞き上手になれるものではない。姿勢の正しい、和服の似合う小料理屋の女将像が目に浮かぶ。
 ただし、私は小料理屋で歎きや愚痴を言ってそれを聞いてもらうなどということはとてもではないがしたくない。家族にも聞かせることなどしない。愚痴や歎きは一人で飲み込むだけである。
 第2句、湯豆腐の句であまりに有名な句。久保田万太郎は鈴木真砂女の俳句の師でもある。湯豆腐を囲むどんな情景が読まれているのだろうか。読む人それぞれに情景を想定できる。それが人気の秘密だと思う。艶のある情景かもしれないし、男ひとりの情景かもしれない。鈴木真砂女の句が、歎きや愚痴を聞く立場の句なら、こちらは歎く側の句である。あるいはなにかを云おうとして無言をとおした人の句である可能性も高い。わたしなら後者の句として捉える。

本日の読書は2冊を交互に

2018年02月12日 20時54分48秒 | 読書
 本日の読書は、「『快楽の園』を読む-ヒエロニムス・ボスの図像学」(神原正明、講談社学術文庫)と「倭の五王-王位継承と五世紀の東アジア」(河内春人、中公新書)の2冊。午後から喫茶店で交互に読んで時間を過ごした。
 「『快楽の園』‥」はずいぶん長くかかっている。旅行-インフルエンザによる中断で、やっと4割ほどを読み終わった。図像学、言語学的な解釈など詳細に過ぎ、説の紹介だけに終わっているような部分もある。私の興味と少しズレガあったかもしれない。しかし最後まで目はとおしたい思う。
 地下街の喫茶店だったのでざわついていた。できれば地下街ではない場所の喫茶店にしたかったのだが、そちらがめずらしく(たまたまというべきか)満席だったので断念した。席が空くまて少し待った方が静かに読めたかもしれない。


明日は癌検診

2018年02月12日 11時19分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日は年に1度の癌検診。病院では気を利かせてくれて、妻と同一日にしてくれた。本日の夜はアルコールは禁止。明日の朝8時半に病院へ行くよう指示されている。
 大腸の内視鏡検査は毎年受けるようにとの「指導」もあり、ついでに胃・肝・胆・膵・肺・前立腺の癌検診も受けている。血圧やコレステロールなどでかかりつけ医に心電図・各種血液検査をしてもらっているので、これが私にとっては年に一度の健康診断でもある。
 大腸の内視鏡検査は50歳のときから毎年続けている。なかなかつらいものがある。事前に飲む腸管洗浄剤と内視鏡を入れる辛さは毎年受けていても慣れることは出来ない。恥ずかしさという抵抗感は薄れてきたが、それでも毎年検査室に入ると恥ずかしさと辛さを思い出して緊張する。明日は大腸内視鏡については検査の日程を決めるだけである。



ウォーカー・エヴァンズ「ブルックリン橋」

2018年02月11日 23時52分57秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日19時から、山下公園傍の店で私にとっては最後の新年会であった。時間前に横浜美術館によって、購入しようとかねてから考えていたポストカードを1枚購入。
 ウォーカー・エヴァンズの「ブルックリン橋」(1929年)という作品である。造形写真について齧ったことのある人で、知らない人はいない。教科書的な作品で、みんなこのアングルからの写真に挑戦した記憶があると思う。
 この橋の量感、下から写した圧倒的な存在感に昔はおおいに惹かれていた。
 つい数か月前までは、この作品が横浜美術館にあるとは知らなかった。



「天の病む」

2018年02月11日 14時24分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★祈るべき天とおもえど天の病む
★さくらさくらわが不知火はひかり凪
★坂道をゆく夢亡母とはだしにて
★花ふぶき生死のはては知らざりき
★わが干支は魚花みみず猫その他


 第1句、「天の病む」とはまた思い切ったいいである。昨日「美」と「醜」をことさら言い立てる対比がちょいと苦手」と記した。しかしこの「天の病む」という断定、言い切りは実に気持ちがいい。天に向かって、神ともいえるものに向かって堂々と胸を張って自己主張する、その潔さは心地よい。力ある権威や、権力に対する啖呵である。
 第4句、人生一歩踏み出した時の強さ、もう逡巡し、ためらいがちに後ろに意識が向かうことは許されない、という決断をしたものの外連味の無い言い切りは心地よい。人生にはこのような瞬間が必ずある。その時に人はその価値をはかられるものである。

石牟礼道子の俳句

2018年02月11日 09時22分23秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 今朝、ネットで「石牟礼道子 俳句」で検索をしてみた。次の記事が目に入った。【⇒http://blog.goo.ne.jp/sikyakuhaiku/e/520c81eb6a734eaf833e9a384db70304】。2013年3月28日と記されている。
 その中に石牟礼道子の俳句が9句掲載されていた。第5句は今朝の朝日新聞の天声人語にも取り上げられていた。水俣病の患者との交流の中で詠まれた句として紹介されている。

そこゆけば逢魔ヶ原ぞ 姫ふりかえれ
鬼女ひとりいて後ろむき 彼岸花
薄原分けて舟来るひとつ目姫乗せて
前の世のわれかもしれず薄野にて
祈るべき天とおもえど天の病む 『天』
わが酔えば花のようなる雪月夜   『天』
さくらさくらわが不知火はひかり凪   『天』
童んべの神々うたう水の声   「水村紀行」
坂道をゆく夢亡母とはだしにて   「水村紀行」
女童や花恋う声が今際にて   「水村紀行」
花ふぶき生死のはては知らざりき   「水村紀行」
わが耳のねむれる貝に春の潮   「創作ノートより」
わが干支は魚花みみず猫その他   「創作ノートより」
   

 今朝はまだ鑑賞出来ていない。とりあえず、句を列挙してみた。午前中の会議終了後、また目をとおしてみたい。

本日の作業は終了

2018年02月10日 23時17分35秒 | 読書
 本日の作業は終了。明日は10時から会議である。夜からは新年会。
 天気予報どおりに19時過ぎから雨が降り始めた。21時過ぎには時間当たり20ミリほどの本降りとなり、現在はほぼ止んでいる。
 娘夫婦が年末年始のメキシコ旅行のおみやげや写真を持参して来宅。先ほど帰宅。美味しいお酒をもらいご満悦。

 1日中パソコンと睨めっこの上、写真データをテレビに映し出しものを注視し、目が疲れた。昔に較べて本当に視力が落ち、眼が衰えたと思う。早めに風呂で暖まり、明日にそなえたい。


「寒さ」という季語

2018年02月10日 18時18分56秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 明日の会議の資料作り。そろそろ団地の管理組合も年度末を控え、来年度の総会の議案づくりなどを始めなくてはいけない。明日の会議には通常の経過報告ととともに議案書の経過報告部分の概略を盛り込んだものを取りあえず作ってみた。いつもよりも資料作成に時間がかかる。

 結局本日は一歩も外に出ないでパソコンの前と今の間をうろうろとしただけ。東京新聞の夕刊は石牟礼道子氏の特集を組むと、ツィッターに書かれていたが、購入できずにいる。

★葱(ねぶか)白く洗ひたてたる寒さかな   芭蕉
★鯛は美のおこぜは醜の寒さかな       鈴木真砂女
★父死して厠の寒さ残しけり         有働 亨


 第一句、このような句を見ると芭蕉という人は「すごい人だな」と思う。葱の白に寒さを連想するだけではない、「洗ひ立てたる寒さ」と記すところが何ともすごいと思う。商品価値を高めるためだろうが、きれいに洗って白さを強調しようとする努力は江戸初期からあったのだろう。白さが際立つ。
 第二句、私はこの句のように、「美」と「醜」をことさら言い立てる対比がちょいと苦手だ。鈴木真砂女の他の俳句にはこのような強さは感じられないが、この句はどうしてこんなに違いを言い立てるのだろうか、という疑問が先に立ってしまう。鯛=美、おこぜ=醜という決めつけが私には向かない。鯛の美しい煌びやかな鱗の眩しさの中に、ちょっとした傷を見つけて愛おしんだり、オコゼの姿に美を見つけて感心したり、そんな美と醜の入れ替わりや相対化が私には嬉しい。葱の泥の向こうに隠れたハッとする光景を見つけた芭蕉の意識との落差に驚く。
 第三句、父の死にさまざまな感慨があるだろう。殊更対立したわけでも、尊敬しきった父であったのか、そんなことではないのではないか。ごく普通の父であり、子であり、家族であったことを匂わせたところが、この句の優れたことのように思える。それが「厠」を持ってきた優れた点なのではないか。有働亨、経歴はとてもすごい人である。
 

朝のシャワー

2018年02月10日 16時09分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりの外飲みで、帰宅後とても眠くなってしまった。情けなくも、風呂にも入らず、そのまま寝てしまった。今朝になってシャワーを浴びた。浴室はよく冷えているので、シャワーを3分ほど出しっ放しにして浴室を暖めた。暖まったのを見極めておもむろに昨日から着たままの服を脱いでシャワーを浴びた。やっとさっぱりした気分。
 だが、頭はまだ動き出さない。反応の悪くなってきたこの頭、どこかでオーバーホールに出したいような気分である。心配なのは、分解すると元に戻らなくなってしまう懸念が強いこと。次第に自虐ネタが増えてきた。これも高齢者独特の現象らしい。