Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

追悼、石牟礼道子

2018年02月10日 10時50分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ツィッターに目をとおすと、石牟礼道子氏の訃報を目にした。毎日新聞は以下のように報じていた。

 人間の極限的惨苦を描破した「苦海浄土」で水俣病を告発し、豊穣な前近代に取って代わった近代社会の矛盾を問い、自然と共生する人間のあり方を小説や詩歌の主題にすえた作家の石牟礼道子さんが10日死去した。90歳。葬儀は近親者のみで営む。

 1927年、熊本県宮野河内村(現・天草市)に生まれた。家業は石工。生後まもなく水俣町(現・水俣市)に移り、水俣実務学校(現・水俣高)卒。代用教員を経て、58年、谷川雁らの「サークル村」に参加。詩歌中心に文学活動を始めた。
 59年には、当時まだ「奇病」と言われた水俣病患者の姿に衝撃を受け、「これを直視し、記録しなければならぬ」と決心。69年、水俣病患者の姿を伝える「苦海浄土」第1部を刊行。70年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、辞退した。同書は日本の公害告発運動の端緒となるなど戦後を代表する名著として知られる。74年に第3部「天の魚」を出し、2004年の第2部「神々の村」で「苦海浄土」(全3部)が完結した。
 水俣病第1次訴訟を支援する「水俣病対策市民会議」の発足に尽力する一方で、水俣病の原因企業チッソとの直接対話を求めた故・川本輝夫さんらの自主交渉の運動を支えるなど、徹底的に患者に寄り添う姿勢とカリスマ性のあるリーダーシップから「水俣のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる。患者らの怒りを作品で代弁して「巫女(みこ)」に例えられるなど、水俣病患者・支援者の精神的支柱となった。
 73年、「苦海浄土」など水俣病関連の作品で「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞。93年、「十六夜橋」で紫式部文学賞。03年、詩集「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞。02年に発表した新作能「不知火」は04年に水俣湾埋め立て地で上演されるなど全国的な話題になった。04~14年、「石牟礼道子全集・不知火」(全17巻・別巻1)が刊行された。
 水俣弁をベースにした「道子弁」と言うべき独特の言い回しや、竜などをイメージした神話的スケールの死生観など、同時代の文芸・思想界に大きな影響を及ぼした。詩人の伊藤比呂美さん、作家の町田康さん、韓国詩人の高銀さんらに慕われ、対談など文学的交流を深めた。11年には作家の池澤夏樹さんが個人編集する「世界文学全集」(全30巻)に「苦海浄土」3部作が日本人作家の作品として唯一収録された。
 02年ごろから、パーキンソン病を患い、人前に出る機会は減ったが、口述筆記などで執筆活動を継続した。句集やエッセー集を出版するなど書く意欲は衰えなかった。


 私は決してちゃんとした読者ではないが、石牟礼道子という名をとおして「水俣」を知り、少しだけだったが、「水俣」を知った。70年代半ば、「苦界浄土」を読み通すことに数度挑戦、読み通すことは読み通したが、果たしてどれほど理解しきれたか、自信はまったくない。しかし心のどこかでいつも意識していた方である。再度「苦界浄土」手に取ってみたい。


私の捨てた「夢」

2018年02月09日 21時42分23秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★純白のマスクを楯として会へり        野見山ひふみ
★熱燗の夫にも捨てし夢あらむ         西村和子


 本日も一応マスクをして出かけた。マスクをして外に出ると、眼鏡がすぐに曇ってしまう。うまくすると曇らずに何分かは過ごすことができるが、少しでも息を強めたり、息の量を多くすると途端に曇る。そんな時には二つの対処法がある。眼鏡をはずしてしまうか、逆にマスクを外すか。両極端だが、そのどちらかしか対処方法はない。大概はマスクを外してしまう。
 マスクというのは、自分と外界をさえぎるとても強い壁でもある。話し相手がマスクをしたままだと、話そのものを拒否されているようにすら思えることがある。少なくとも親身になって相手をしてくれてはいない。そんな思いを句にすると第1句のような句が出来るのだと思う。あるいは、こちらからマスクを敢えてしている図かもしれない。

 第2句、ごくごく身近な身内を見ていると、ふと「あなたの夢、どこに行ったんでしょうか」などと聞いてみたくなることがある。聞いてしまってはいけない、そんな関係もある。たとえ妻であっても、夫であっても、それを聞いてしまっては関係が崩れてしまう、というような場合がある。聞く前に踏みとどまる、ということの大切さ、大切な足踏みである。
 お互いに、さまざまな断念の果に今という時間があるのだ。触れてはいけない「核」を互いに大切にしながら、生きていきたいものである。



あわただしい日常が戻ってきた

2018年02月09日 14時14分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午前中は自宅で団地の管理組合の資料作り。そろそろ1年間の〆めの作業を始めている。夕方からは退職者会の行動と終わった後の懇親会。新しい施設の見学と現役の仲間との交流を兼ねた取組みである。

 久しぶりに外での飲み会である。たぶんインフルエンザの影響はないと思われる。明後日はまた団地の管理組合の資料作りで一日パソコン前に座りっぱなしになりそうである。




横浜では雪がちらついた

2018年02月08日 22時08分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 眼科、組合の会館での会議、理容店と予定通りこなして、本日も無事終了。本日は昨日とほぼ同じく1万2千歩ほど。私が関内駅近くにいた頃、家のあたりでは短時間だったが雪が降ったらしい。積らなかったものの、大粒の雪片だったという。その頃、私は関内駅から北方の空には低い暗い雲が覆っているのを見ていた。雨が降っていそうな雰囲気であった。まさかそれが雪だったとは想像もできなかった。
 JRで横浜駅に着いた頃には、そんな雨や雪の気配は微塵も感じなかった。

 明日は午前中は自宅で仕事。団地の管理組合の溜まっている仕事をこなす予定。午後からは出かける。

「百人百句」(大岡信)から

2018年02月08日 20時36分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 大岡信の「百人百句」(講談社)から、
★除夜の妻白鳥のこと湯浴(ゆあ)みをり      森 澄雄

 「白鳥」にはルビはないので、ハクチョウでもシラトリでもいいのだろうが、やはりシラトリだと思う。一読、ドキッとする俳句である。女性の裸身が目に飛び込んでくるようである。ロマンチックというよりも生々しさが先に立ってしまう。しかし解説を読むと違うイメージが浮かんでくる。
 大岡信は「昭和二十九年になってもまだ生活はきびしく、森澄雄は療養生活をした後、学校の先生を続けていて、身体的にもつらい時期であった。武蔵野の片隅で、板敷きの六畳一間に親子五人でくらしていた。その土間に風呂が据えてあって、妻が浴びている。土間と部屋はつながっているのだろう。貧しく厳しいが、この句はロマンチックである。一年の最後の日に、妻がほっとして夜更けに一人でお風呂場で湯浴みをしている。それを「白鳥のごと」と言いとめたところに、何ともいいようのない妻恋いの思いが現われている」と書いている。
 確かに妻を詠んだ句に惹かれる。

★妊(みごも)りて紅き日傘を小(ち)さくさす
★飲食(おんじき)をせぬ妻とゐて冬籠
★白地着てつくづく妻に遺されし
★子が食べて母が見てゐるかき氷


 第1句、「紅き日傘」を配したところ、ならびに「小(ち)さくさす」と「ち」と読ませたところが私には気に入った。
 第3句、「つくづく」も、もた読み下していくときに、「間」を意識しないだろうか。「妻」が残された私に託した思いとは何なのか、考えなくては、という間を与える。このような語を配した感性に敬服である。
 その他の句では

★蘆(あし)枯れて水流は真中急ぎをり
★ぼうたんの百のゆるるは湯のように


などが紹介されている。
 蘆原を流れる水流、そのなかほどの流れが速い、という。端ではなく、たぶん枯蘆の刺さっているあたりなのではないか。ここでいう早い、というのは現実の流れではなく、「早く思える」という意味なのだと思う。断言が心地よい、しかしその根拠は何も記されていない。

日常が戻る

2018年02月08日 10時13分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日病み上がり後の最初の外出でそれなりにつかれたのか、22時前にベッドに横になったら日付の変わった1時半まで眠ってしまった。
 慌てて起きて風呂に入り、再度ベッドに入ったものの、今度はなかなか眠れない。先日の旅行の情景を思い出しているうちにようやく寝ることができた。
 本日は緑内障の点眼薬の処方をしてもらい、午後は会議。日常が戻ってきた。会議後もアルコールの誘いには乗らず、帰宅予定。理容店に行きたいものである。
 私の日常は戻ってきつつあるが、佐賀県での自衛隊機墜落、北陸での大雪被害、そして台湾での地震被害と慌ただしい。こちらのようなことは、ふたたび起きて欲しくない。

世界平和アピール七人委員会の最新アピール(2018.02.07)

2018年02月07日 20時20分25秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 世界平和アピール一人委員会が本日、以下のアピールを発表した。いつものとおり、このブログにも転載する。

★米国の「核態勢の見直し」と河野外相談話との撤回を求める  2018.02.07
                       世界平和アピール七人委員会
                         武者小路公秀 大石芳野 小沼通二
                         池内了 池辺晋一郎 高村薫 島薗進

 米国のトランプ政権は、昨年から検討を進めてきた「核態勢の見直し(NPR)」を2月2日(日本時間3日)に公表した。その内容は2010年のオバマ政権の「核態勢の見直し」を否定し、歴史の流れを逆行させるものである。特に、小型核兵器を開発し、通常兵器など核兵器以外による攻撃に対しても核兵器使用がありうるとしたのは、世界の核軍拡を加速させ、相手の核攻撃も誘発させるものである。これでは他国の核兵器の放棄を実現させようとの政策と整合性がない。
 この度の政策は、昨年成立した核兵器禁止条約に真っ向から挑戦するものであり、米国も加盟している核兵器不拡散条約の、核軍備競争の早期停止と核軍縮についての誠実な交渉の約束にも明らかに違反するものである。
 核兵器による放射能被害は小型化しても全世界に及ぶものであって、核戦争により安定した平和をもたらすことはできない。どのような条件の下でも、すべての核兵器は使用も威嚇もしてはいけないのである。
 ところが河野太郎外相は、直ちに「高く評価する」との談話を発表した。これは、広島と長崎の被爆以来、被爆者を中心にして日本国民が一貫して追求してきた核兵器廃絶を目指す努力を否定するものである。さらに毎年8月に行われて来た広島と長崎における式典時やオバマ大統領の広島訪問時の、安倍晋三首相自身の発言とも明らかに矛盾する。
 私たち世界平和アピール七人委員会は、トランプ政権と安倍政権に抗議し、「核態勢見直し」と河野外相談話との撤回を求める。


          【⇒http://worldpeace7.jp/?p=1081

 

煙に巻くわけではないが‥

2018年02月07日 18時29分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 煙に巻くわけではないが、特に記すこともなかったことが本日の収穫。

 昼前に玄関を出たときは、足元がおぼつかないというか、不安もあったが、最寄りの地下鉄駅のホームに立つ頃には足元の不安は消えた。組合の会館傍のコンビニの税込み298円也の小さな弁当とお茶125円と野菜ジュース108円、併せて531円にて購入。食欲はもどったようだ。
 書類の整理をしてから喫茶店でお茶と読書。だが、すぐに寝入ってしまったので3ページほどしか読んでいない。
 帰り際、理髪店に行くつもりがすっかり記憶から消えていた。いつもの内科で降圧剤を処方してもらった。
 1万歩ほどの外歩き、意外とシャキッと歩くことができた。治りかけとなれば以降は、少しずつ歩く距離を伸ばしていくだけである。ただし咳はときどき出る。マスクをまだ手離せない。早く歩いて呼吸が早くなると、マスクでは眼鏡が曇ってしまう。当面はゆっくりと歩く。
 以上、実に何の変哲もないが、それなりに自信の回復した本日の外歩きであった。

予後

2018年02月07日 10時05分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今朝の痰は昨日と違って粘度が高くなった。喉の炎症も回復に向かっているのであろう。咳をしても喉が切れるような鋭い痛みは消えた。
 問題は左の耳の上部の神経に時々ビリッと痛みが走ることである。これも一昨日とは較べようのないくらい楽である。
 坐薬で出た両脇腹の発疹は昨日から紫色にかわり、かれ始めているのがわかる。あと数日後には消えると思われる。

 咳止め、痰を出しやすくするという薬は本日1日分で一応終了。鎮痛・解熱剤は追加で貰ったのであと5日分、坐薬は2回分ある。

 昨晩はお風呂で金曜日以来剃っていなかった髭を剃り、さっぱりした。先月末に行こうとしていた理髪店にはまだ行っていない。本日行くことが出来ればいいのだが‥。


「湯豆腐のかけらの影のあたゝかし」(飴山実)

2018年02月06日 22時22分51秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 久しぶりに本を読んでみようと、読みかけの本に手をかけたが、どうも読み切れない。字を追っても意味が頭に入ってこない。
 何気なく、これまでにも取り上げた大岡信「百人百句」を再びめくってみた。読み慣れた本がこういう時にはいいのかもしれない。もう立春を過ぎたが、季題ごとに並んでいる百句の冬の部の最後に

★湯豆腐のかけらの影のあたゝかし    飴山 実

があった。
 大岡信は飴山実という俳人(農学者)を高く評価しているのがわかる。
「繊細きわまる感覚を幻のこどくにとらえている。食事が進むにつれて湯豆腐はだんだんかけらになってぷかぷかとお鍋の中に浮かび、火を落すとかけらは底に沈む。そのかけらが灯に照らされて影をおとしている。その影そのものを「あたゝかし」と見ることによって、湯豆腐というものを視覚との独特な関りにおいてとらえている。ことことが、「湯豆腐」という季語を生かすことの意味でもある。彼の作品には、真剣に考え抜かれた季語の世界がある。」
と評している。
 私も「湯豆腐」の句を見た時、観察の細かい作者だなと思うとともに、なべ底に小さく敷いた出汁用の昆布と豆腐以外には多分具はないであろう透明な鍋の中で、対流に沿って豆腐のかけらが上から下に動く様子を思い浮かべ、科学者らしい観察に親近感を覚えた。その対流の動きが「あたゝかい」のだという。豆腐のかけらが生き物のように振る舞い、食べた者の体の中でも動き回り、そして食べた者の気持ちを暖かくする。

 大岡信の取り上げたこの作者の他の句の中では、

★小鳥死に枯野よく透く籠残る       飴山 実

もまたいい句だと思った。
 小鳥が生きているときは、籠を覗けば、小鳥に焦点が自然に合い、飼うものと飼われるものの関係が複雑に反映する。しかし小鳥が死して籠を覗いても不在の小鳥に焦点が合うわけではない。そのまま籠の向こうに冬ざれの枯野が見えるだけという。作者の小鳥を亡くした心象風景が「枯野よく透く」に端的にあらわされていると感じた。
 両句とも、湯豆腐のかけらの動き、小鳥不在の籠という対象をキチンとしぼり、その対象を分析的に観察したという事がよくわかる。その観察に人の温もりが寄りそっていると思った。

お試し外出

2018年02月06日 17時52分01秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 午後になってから歩いて20分位のスーパーまで買い物のお供をした。ときどき咳が出るのでマスクをし、人にうつしてしまわないように店内には入らず、店の外にあるビニールで囲った乾物コーナーで待機。風も入らず日が当たり暖かく気持ちよかった。店内の方が肉や魚コーナーがあり寒かったのではないだろうか。帰りには喫茶店で隅っこに座っておとなしくコーヒーを飲んだ。注文したコーヒーが出てくるまではマスクを外さず、飲んだらすぐにマスクをして店外に。注文も会計も妻任せであった。
 往復約6000歩、ゆっくり歩いたので疲れることもなく、咳き込むこともなく無事帰宅。だいぶ回復を実感した。わずか丸3日間の病臥であるが、1週間ほども家に籠っていたような気分である。症状がひどい内は不安もあり、時間の流れはゆっくりだが、回復を始めるとわりとアッという間に時間は過ぎていく。
 明日はひとりで石川町駅経由で組合の会館まで行くことになっている。この分では多分問題なし。

 そろそろインフルエンザB型の闘病日記は、明日以降症状がこじれなければ終了予定。本日は外を歩いても自分の足元以外は目に入らなかった。明日は街の様子をできるだけ見つめてみたい。見つけられる自信はまったくない。眼と感性がすっかり退化しているみたいだ。


経口補水液

2018年02月06日 11時56分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ツイッターで経口補水液OS-1というものを紹介された。存在は知っていたが、調剤薬局でしか見たことが無いので、口にしたことはなかった。今回購入してみた。
 エネルギーはスポーツドリンクの3割ほど。カリウムやマグネシウムなどの含有量はそれよりもかなり多いようだ。ナトリウム量は、記載表示がナトリウム単体の量と、食塩換算量なので比較できない。高校生の化学の教科書があれば、すぐにでも比較できるのだろうが、それが無い今は、自信もないので記載はしない。
 飲んでみて、スポーツドリンクほどの甘さがないので私などにも飲める。いつもスポーツドリンクは倍に薄めて飲んでいる。ペットボトルで購入すれば、空の容器を使って倍の量にする。粉末を購入しても1リットル用の袋で2リットル作る。経口補水液は、スポーツドリンクとは目的は違うのだろう。エネルギー補給にはスポーツドリンクがいいのかもしれないが、私は好みではない。
 そういった意味で、私好みのものを紹介してもらったと思った。これまでは病後の水分補給にはスポーツドリンクが病院からも推奨されていたが、よく考えれば目的が違うので、成分も当然別のものにすべきなんだろう、と思えるようになった。

 本日、熱は36.5℃ほど。おもったよりは熱は下がっていない。それでも明け方3時近くになってかなり汗をかいたので、パジャマと下着を取り換えた。その時の体温は35.3℃であった。寝起きの体温が35℃台になって私の場合は「完治」なのかもしれない。
 用心をして11時まで寝ていたが、退屈な気分を取り戻したのでパソコン前に座って、この記事を作っている。寝起きの背中の筋肉の強張りは残っているが、起きてしまえばすぐに強張りは感じなくなる。昼食後調子が良ければ、団地の周りでも歩いてみたいものである。


水枕の効用

2018年02月05日 20時59分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食後の体温は36.3℃。落ちついている。頭痛もおさまっている。咳と痰は出るが痛みやつらさはともなわなくなった。

 書きそびれていたが、今朝方の3時過ぎに、妻が水枕にしてくれた。あまりに頭痛がひどくなり唸っていたためである。水枕というのは水で体温の上昇を抑えるという迷信のようなものと思っていた私は、水枕が家にあること自体にビックリした。しかし痛むところを冷やすと、炎症を起こしていると思われる神経の興奮を抑えるかのような働きがあることがわかった。
 明け方まで4時間ほど熟睡できた。だが、8時近くに目覚めて体温が37℃になっても水枕が外せない。水枕がないと痛みが再発する。
 その後あたらに処方された座薬で痛みを抑えることができたことは先に記載した通り。

 水枕の効用がこういうところにあるというのは知らなかった。あらためて小さい頃のことを思い出した。しょっちゅう熱を出す幼児期であったが高熱で頭痛に苦しめられたというのがあまり記憶にない。それは水枕の効用だったのだろう。

空中浮揚?

2018年02月05日 15時09分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 10時半過ぎに病院より戻ってからの熱は36.1℃で変化せず、落ち着いている。座薬を使用してからは頭痛も起きていない。しかしどこか空中浮揚をしているようで、変な感じがする。薬で熱と頭痛を抑え込んでいるという感覚である。まだまだ油断できない。
 昼食時にうどんを作ってくれたが、味がよくわからなかった。いつもなら、味が気に入らなくとも食べてしまう最後に残った一口分のうどんが喉を通りそうもないので、残した。昨日残ったサラダの残りにも箸は動かなかった。
 医師からは水分補給をしっかりするようにあらためて念をおされたので、ツィッターで教えてもらった経口補水液OS-1を二本購入して枕元においてある。スポーツドリンクよりも飲みやすい。

 熱が再度上がらなければ、そして妻にうつらなければ、何とか明日一日寝ていれば回復になるかもしれない、という期待が出てきた。楽観的過ぎるだろうか。

やっと熱が下がり、頭痛もなくなる

2018年02月05日 12時33分35秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
昨晩は38.8℃まだ上がり、朝は36.8℃まで下がった。しかし左耳の上あたりの神経の痛みがかえってひどくなり、耐えられなかった。今朝一番で内科へ。
医師からは、インフルエンザの場合、
・解熱剤、痛み止めは強いのを出すと、インフルエンザ菌を抑え込めない、
・B型は1週間かかるときもある、
・熱はもう上がらないと思われる、
の3点をいわれた。その上で
・頭痛を抑えるのが急務だが、ロキソニンだとアレルギーが出るということなので、座薬を使ってみてはどうか、
といわれ、処方してもらった。
座薬の効き目は早い。今までの頭痛が嘘のように消えた。