昨日久しぶりに動き回ったので、背中の腰のあたりの筋肉が多少重苦しい。痛いというのではないが、本日は予定通り自宅で養生予定。
私は本日は読書タイム&久しぶりにブラームスとベートーベン三昧としたい。まずはブラームスのヴァイオリン協奏曲から。
昨日久しぶりに動き回ったので、背中の腰のあたりの筋肉が多少重苦しい。痛いというのではないが、本日は予定通り自宅で養生予定。
私は本日は読書タイム&久しぶりにブラームスとベートーベン三昧としたい。まずはブラームスのヴァイオリン協奏曲から。
印刷会社を訪れ、神大のキャンパスの傍に行くために、久しぶりに地下鉄と東横線に乗車。いづれも空いていて乗客は一人おきに座っている。
電車の中では「スペイン美術史入門」と「堀田善衛を読む」を交互に読み、夕食後も同様。ともに明日には読み終わりたいとは思っている。
「ベラスケス」(大高保二郎、岩波新書)を読むつもりであったが、数ページ読んでみてすでに読んでいたことに気がついた。一昨年の8月末に感想の記事をこのブログに記載していた。
ということで、次の候補は、まだ決めていない。少し趣向を変えてみたい。
腰の痛みの再発がやはり怖いので、本日は早めに入浴・就寝。
退職者会では記念誌を発行することになった。内容はこれから部会で検討する予定であるが、取りあえず会員分+α分でいくらかかるのか、おおよその見積りを取ることにした。
普段付き合いのある複数の印刷会社から見積りを貰うことにした。見本を見せなくてはいけないので、本日は一社目を訪問、来週もう一社を訪れる予定。
どこかの「466億円の随意契約(随契)」とは違う。きちんと会員に経緯を説明できるように見積り合わせを行う。
当然現役の頃は、必ず二社の見積もりを取ってから契約をしていた。一定額以上の高額の契約の場合は、担当所属の権限ではなく、財政当局での競争入札を経て契約決定となる。これは国でも同じような扱いのはずである。
夕方には、古書店を3軒ほど回り欲しい本を探したが見つけられなかった。神大の生協は「緊急事態」が「解除」なっても大学の授業が再開しない限り、営業ははじめないようだ。1万円近い高価な本を定価で購入しなくてはいけないのかと思うと、つらいものがある。
ギックリ腰の行動自粛明けなので、あまり歩かないで早々と帰宅。しかし帰り際には雨がポツポツと降ってきた。
近くの私鉄の駅の周辺の店では、2~3週間ほど前に不織布マスクを店頭やリヤカーで幟を立てて販売していた。 50枚入り一箱で、3500円(税抜きだから実際は3850円)。ところが昨日は税込みで2000円で店の前に並べてあった。半値近くに暴落している。
しかも購入している人の姿はない。机の上に積んであるだけで、だれも見向きもしない。
こういうのが「買占め」てあったものを放出しているというのであろう。多分年寄りが心配で買いだめした品物とは違うと思われる。まだまだ値段は下がりそうである。
そして今は、夏でも暑苦しくない、という製品まで出てきている。
政府はこれはアベノマスクの効果だ、とうそぶいているという。すでに購入してしまったものを政府としては納品業者に返すことは出来ないかもしれないが、せめて配布は止めて配送費くらいは節約してもらいたいものである。違約金が発生しても節約できる金額は厖大と思われる。しかも「目視による点検」を納入業者ではなく別業者に請け負わせているという、あまりの無駄遣いに呆れるばかりである。
製品の質に責任を持つのは、納入業者である。発注した側がなぜこんな支出をしなくてはいけないのだろうか。基本的な商習慣が理解できていない官邸である。会計検査で当然指摘されるのではないか。それができないなら不適切支出として告発できるのではないか、と思う。
神奈川県では10万円の支給も、「アベノマスク」の配布もまだである。「緊急事態宣言」が解除されてもまったく支給と配布の見通しがたっていない。これもまた呆れるばかりである。
さらに埼玉県深谷市のある中学校では「アベノマスク」という表現で、生徒に着用を義務付ける文書を配布したという二重に信じられないニュースが流れてきた。
他の自治体や学校でも行われた可能性があるのではないか。
どこまでも日本の政治と行政と教育は壊れていくのであろうか。そしてこの混乱の時期に4月入学を9月入学へ制度変更を影響や具体的な実施策なしに思い付きのように言い出す政治家まで出てきて、マスコミが持ち上げている。
こんな政治家や政府と付き会いたくないものである。建て直すにははやく退陣してもらわなくてはならない、と切に思う。
緊急事態宣言解除とは関係なく、一昨日からスケジュールが埋まり始めた。団地の管理組合の補助機関の会議、そして美術関係の講座二つほど。退職者会の会議はまだ入ってこないが、来月の半ばの幹事会に間に合うように、資料作りや業者との打合せが必要である。
今週後半からそろそろと動き出す予定。
「緊急事態」による「自粛」と、ギックリ腰による「自粛」から抜け出すには、助走期間が必要である。40代であれば、すぐに再起動できるが、古稀前になってしまうとそうもいかない。体だけでなく、もともと乏しい頭脳は戻るにはさらに時間がかかる。
ということで、明日からの活動再開の準備作業にそなえて、読書タイムは夜はサボり、肩の力を抜いてテレビの前に陣取った。
BS1で放送していたシネマ「どら平太」を最初から最後まで見た。2時間近くも同じ番組を見続けるというのは私にしては珍しい。自業自得ではあるが、目がとても疲れて、今もまだ部屋の中やパソコンの画面がぼやけている。
番組の解説には、以下のように記されている。
山本周五郎の小説を、日本映画界の巨匠、黒澤明、木下惠介、市川崑、小林正樹が結成した「四騎の会」が脚本化、執筆から30年後に、市川崑監督が映画化した痛快娯楽時代劇。
役人たちが悪人と手を組み悪政が吹き荒れている藩に、江戸から1人の男が町奉行として送り込まれる。役人らしからぬ振る舞いで“どら平太”と異名をもつその男は、持ち前の豪快さで悪の巣くつに乗り込んでいく…。ベルリン映画祭特別功労賞受賞。
【監督】市川崑,【出演】役所広司,浅野ゆう子,片岡鶴太郎,宇崎竜童,菅原文太,【原作】山本周五郎,【脚本】黒澤明,木下惠介,市川崑,小林正樹,【音楽】谷川賢作
外出から無事帰宅できた。途中で腰の痛みが再発することはなかった。しかし帰宅後、少しだけ背中の筋肉が張ってきたみたいであった。椅子から立ち上がるときはひじ掛けやテーブルに手をついてゆっくとり立ちあがった。
買い物を終わった妻と別れて10分ほど先にある喫茶店まで一人で歩いた。喫茶店では今年初めてアイスコーヒーを飲んだ。気温は高めだったのだが、クーラーがかかっていて風が冷たく、アイスコーヒーを注文したことを後悔。全部は飲み切れなかった。
わずか30分ほど読書タイム。「堀田善衛を読む-世界を知りぬくための羅針盤」(集英社新書)の中の「第3章-『中心なき収斂』の作家、堀田善衛」(鹿島茂)の後半、「はじめに-『方丈記私記』から」(中西進)、「第5章-堀田作品は世界を知りぬくための羅針盤」(宮崎駿)に目を通し、読み終わった。
残るは「第1章-堀田善衛の青春時代」(池澤夏樹)、「第2章-堀田善衛が旅したアジア」(義𠮷岡忍)、「終章-堀田善衛20のことば」(高志の国文学館)。
帰宅後はツイッターに目を通しているうちに目がショボショボになってしまった。
昨晩も鎮痛剤は服用せずに眠った。その前の晩のように夜間の頻尿や寝付かれずに悩まされることはなかった。
今朝ベッドから立ち上がるときの背中の痛みは昨日よりも軽くなっていた。食卓の椅子に座るときや、立ちあがるときの痛みもかなり軽減している。
先週19日(火)のときの痛み始めよりも楽な気がする。丸一週間かかって最初の症状程度まで回復したようだ。しかしまだ予断は禁物。現役時代、ギックリ腰になったとき、無理をしてすぐに再発させて、長びかせたことが何度かある。
本日はあの病院は行かない。どこか近くに気分よく受信できて信頼できる整形外科を探しておきたいものである。
独りで外出はやはり不安もあるので、妻と買い物に出かけることにした。
また完全に回復はしていないが、ギックリ腰の連続記事はこれで終了にしたい。
本日は13時過ぎに25.7℃にもなった。しかし1階の我が家は外よりもだいぶ室内の気温は低かったと思う。じっとしているだけなのもいけない。
ちょうど昼頃に近くのドラッグストアのほんの少し先まで出かけてみた。往復で20分ほど歩いたが、ゆっくりだったので汗もかかず、物足りなかった。だが無理は禁物。
帰りには、ドラッグストアの傍にできた小さな公園のベンチで10分ほど休憩。気持ちの良い陽射しにあたっていた。風もほとんど感じなかった。ペットボトルのミルクティーが美味しく感じられた。しかし帰宅すると寒く感じた。
明日も天気は良いようだ。気温も本日並とのこと。明日はもう少し遠くに出かけてみたい。できれば古書店で探したい本もある。神大のキャンパスの近くにある数件の古書店をまわってみたい。
昨晩は、皮膚が赤くなっていたので湿布は貼らなかった。
鎮痛剤を飲み忘れたのが原因ではないと思うが、始めはなかなか寝付かれず、3度も尿意を催した。4度目で起床時間になった。最初と2度目の間は45分しか開いておらず、その間はまったく寝ていない。
血液内科の医師からは、ふだんから水分を意識的に摂取するように言われており、排尿のあとは水を必ず飲むようにしている。それが原因かもしれないが、いつもは明け方に1度起きるだけである。
腰の痛みはまだ少し残っている。ベッドや椅子から立ち上がるとき、靴下やズボンを身につけるときに筋肉が突っ張る。
まだ無理は出来ない。この腰痛の状態を見極めながら、少しずつ柔軟体操の頻度をあげたり、歩く時間を長くしていきたい。
今回のこの腰の痛みは、5年前の坐骨神経痛のときの痛みを10とすれば、7程度だったろか。回復するまでの時間は1割くらいの程度で治まってほしいものである。
本日は、ギックリ腰の痛みはだいぶ引いている。昼食と近くのスーパーでの買い物から帰宅したときは、だいぶ草臥れたが、痛みが増すことはなかった。鎮痛剤のお陰かもしれないので、まだまだ油断はできない。
湿布薬は被れる可能性があるので、夜寝る前だけにしている。
病院の治療は昨日と同じで、電気とマイクロ波による温熱を各10分。土曜日は11時50分まで受け付け、ということでその5分前に受付をしたのだが、二つの治療が終わるとすぐに部屋と階段の電気を消されるなどまるで追い出されるように急かされて会計を済ませた。靴を履いている最中に最後まで点いていた玄関の電気まで消されてしまった。待っていてくれた妻もビックリ。
何とも嫌な病院である。月曜日にも治療に行こうと考えていたが、痛みがひどくならない限り行かないことにした。
夕方になってから四つん這いになって背中を伸ばしたり、まげたりをゆっくりと数回繰り返してみた。
本日も浴槽の中で腰をさすりながらのんびりとつかりたい。
5月も下旬、本日病院の帰り、街路樹の高木の下に植えてある紫陽花が咲いているのに気がついた。「緊急事態宣言」と「外出自粛」に振り回されている間にすでに紫陽花の季節になっていた。
「緊急事態宣言」以前は基本的には土曜日の夕食は外食、といっても家の近くの中華料理、イタリア料理、蕎麦屋、焼き鳥居酒屋、喫茶店などを順繰りに回っていた。
「緊急事態宣言」後、4月いっぱいは家でいつものように食べていたものの、5月からは土曜日の昼間にそれらの店をまわっている。
本日は時どき妻の肩につかまりながら、病院から中華料理店まで10分ほど歩いた。途中、紫陽花とさらにその下に咲いている花をスマホで撮影してみた。
お店で注文したのは、チャーハンと焼きそばを各ひとつ、半分ずつ食して、合わせて1500円。
それでもお腹いっぱいになる。もう少し若ければ、餃子の一人前でも追加注文したかもしれないが、もう無理である。
地元のスーパーで若干の買い物をしたが、荷物は妻にすべて任せて、私は空身で後ろをひょこひょこ歩いた。
★紫陽花の蔭に目があり見ればなし 加藤楸邨
この句「野哭」の「流離抄」におさめられている。1946年の句。この句の前には「教員組合結成会議席上」の前書きのある「飢餓線といふ語うべなひ焚きけぶらす」という句もある。戦後の混乱期の、しかも新しい労働組合運動に携わる加藤楸邨にもさまざまな監視もあったと思われ、その緊張感が伝わってくる。
「目があり見ればなし」の語が緊張感をもって伝わるのは、紫陽花の厚い葉蔭は紫陽花の鮮やかな花の色と厚い葉のために暗い「闇」が控えているからである。社会の実相も、さらに作者の緊張と不安の心象をも「写し」出す「写生」である。
本日も熟睡できた。鎮痛剤の「おかげ」なのかもしれないが、8時半ころに気持ちよく目覚めた。寝る前に貼った湿布薬を剥がす際の刺激で10時過ぎの体と頭の状態に一気に進んだ。
腰に近い背筋の痛みはまだある。しかし家の中でも杖を突かなければならない状態はなくなった。椅子やベッドから立ち上がるときは、家具や壁に手を添えてゆっくり、こわごわ、をモットーにしている。体を捩じることも避けている。
四つん這いになって背筋を延ばすようにしているが、それもゆっくりと。
昨日に続いて整形外科に。本日は受付後すぐにリハビリの部屋に行くとのこと。診察室には入らないので医師には会わないとのこと。昨日帰りがけに、300円前後の支払いともいわれた。
本日の読書は「スペイン美術史入門」と岩波文庫「東京百年物語③ 1941~1967」。
「スペイン美術史入門」は序章と第1章を少々。序章は監修者でもある大高保二郎氏が執筆。副題が「雑多るものの融合と変貌、積層する視覚経験」となっており、教科書的な記述と同時にイベリア半島の歴史と風土と文化総体から美術史を見る視点を散りばめており、興味深い叙述であった。イベリア半島内にかぎらず、大航海時代以降に支配下に置いた中南米の建築史・美術史も射程に入れて、かなりの分量を裂いていた。この目配りも刺激を受けた。
この書物、残りは第1章のみとなった。
「東京百年物語③」におさめられている三島由紀夫の「橋づくし」、山川方夫の「お守り」、吉本隆明の詩「佃渡しで」の3篇を読んだ。
三島由紀夫の「橋づくし」(1956)は初めて読んだ。花柳界の女性4人の取り立てて大きな事件ではないが、残酷ともいえる突き放したような造形が鮮明である。このような花柳界の世界は私にはもともと縁のない世界であるが、それが1950年代まで残っていたこともまた思いもよらないところで私は生きていた。
山川方夫の名は初めて聞くような気がしていたが、この「お守り」(1960)という作品は中学か高校のときにおそらく文庫本で読んだと思う。
吉本隆明の「佃渡し」は私には忘れられない詩。大学生のころ、ずいぶん親しんだ吉本隆明の詩で最初に目にした作品である。
山川・吉本の東京都市風景は、わたしも共有でき、共感できる世界である。そのような世界の接していたり、あるいはその中に暮していた。三島の描く世界はやはり私にはどこか遠い、霞みの向うの捉え難い東京の都市風景である。
十数年ぶりにかかった整形外科、X線写真では以前の坐骨神経痛の原因といわれた腰椎のズレの指摘があった。私の記憶では当時の別の病院で撮影したものよりもズレは大きくなっているようにも思えたが、黙っていた。
治療は電気と温熱。ということは炎症は筋肉でおさまっていると診断されたようだ。理学療法士に聞くと、お風呂は温めで短時間のほうがいいということを言われた。数年前の坐骨神経痛の時のようにあたためることでかえってひどい症状になることはないらしい。
取りあえずは明日土曜は電気と温熱治療に通うことにした。しばらくは柔軟体操なども無理のようである。
病院の往復は杖を使わずにゆっくりと歩いてみた。急坂はときどき電柱に凭れてひと休みしながら、なんとか一人で歩いた。