Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

ギックリ腰 4 熟睡

2020年05月22日 10時48分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 

 寝る前に服用した鎮痛剤が睡眠を心地よくしてくれたのだろうか。いつもより早めの1時に寝て9時まで熟睡した。久しぶりに8時間たっぷりと寝ることができた。
 起きるときは右側の腰のあたりがまだ痛い。しかし昨晩よりはずっと楽に起き上がることができた。また直立することも出来た。昨日の午前中は便所まで這っていった。本日は家具や壁に手をついたが、杖を突かなかった。
 朝食のとき、椅子の背にもたれかかったいたが、姿勢を元に戻すときに苦労した。背中の右側の筋肉に力が入らない。ひじ掛けの両手に力を入れてようやく体を起こすことができた。まだまだ筋肉の炎症は回復しきっていない。無理は禁物のようである。

 椅子に座り続けるよりも、仰向けに寝ているほうが楽である。ときどきは横を向いたり、時には唸りながらでもうつ伏せになったりするのもいいようだ。
  これより近くの整形外科に診てもらう予定。建物は鉄筋で立派であるが、待合室はいつもガランとしている。痛み止めの薬の処方だけでもしてもらえばいい。


ギックリ腰 3 入浴は?

2020年05月21日 22時18分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕方に服用した鎮痛剤が効いているようだ。杖がなくともどうにか歩けるようになった。椅子から立ち上がるときも、便所に行くときも少しだけ楽になった。
 しかし読書する気力も湧かず、シリーズ物の時代劇と演芸番組と推理番組を見て過ごした。外に見て楽しい番組はなかった。民法のお笑い番組やワイドショーはいつも私は見ない。

 これから風呂を沸かすのだが、ギックリ腰を暖めていいのか、症状を亢進するのか、判断がつかない。坐骨神経痛の時はあたためてひどい目にあった。過去にぎっくり腰がひどくなった時、風呂に入るのをやめるように指導された記憶はない。筋肉の疲労ならば温い風呂で血流をよくすることは悪いことではないと思う。しかし神経に炎症があればあたためない方がいいと思う。
 本日のように症状が出たときと、落ち着いて回復期で、入浴の効果が違うこともあり得る。ネットで調べてもはっきりしなかった。

 とりあえず、本日は湯船をまたいで入れたとしても、ごく短時間で出てくることにした。そして早寝に徹する。


ギックリ腰 2 気がつけば夕方

2020年05月21日 18時37分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は痛みをこらえているうちに、いつの間にか18時を過ぎた。読書も進まなかった。

 痛み止めの2回目の服用。昼前に最初の服用をして、14時半ころに少しだけ効き目を感じた。しかし椅子やベッドから立ち上がる時の痛みは変らない。杖と手を慎重に動かしながら、腰が引けたままかろうじて前に進んでいる。便所が特につらい。
 昼前には、洗面所にあるタオル掛けに手をかけて壊してしまった。転ばなかったので大事には至らなかった。便所と風呂場には以前のギックリ腰の時に手すりを付けたので何とか助かっている。

 これまでの経験では、筋肉と神経が炎症を起こしているので、整形外科に行っても治療は出来ない。湿布と痛み止めを処方されるだけだと思う。
 評判のいい整形外科は、いつもの歩き方で35分歩かなくてはいけないし、そこは混雑して待ち時間がとても長い。この症状ではとても病院にはたどり着けない。タクシーの乗り降りもつらい。
 症状が多少おさまれば歩いて10分ほどの整形外科に行ってみるつもりである。この病院はいつもは行かない病院である。さらに杖を突いて団地の中を歩くのも目立つ。しかし背に腹は代えられない。

 


ギックリ腰再発

2020年05月21日 13時29分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 一昨日から少しずつ腰に痛みを感じていた。今朝起きたときには「だいぶ危険だな」と思っていたら、昼前にとうとう椅子から立ち上がれなくなってしまった。
 退職後初めての重度のギックリ腰再発である。

 パソコンの前に座っていて立ち上がれなくなり、杖をついてようやく部屋の中を移動している。杖を床に落とすと拾えない。急に立ち上がるときは杖だけではなく、反対の手を壁につかないと立てない。
 以前に整形外科で貰った痛み止めを、一時間前に服用したものの、まだ効いていない。

 ギックリ腰で外出自粛となってしまった。


涼しい、というよりも寒いくらい

2020年05月20日 22時16分30秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日から本日にかけては、「スペイン美術史入門」と「堀田善衛を読む」、「加藤楸邨句集」を交互に読みながら一日が過ぎた。

 しかし気温が上がらない。ストーブはとっくに押入れにしまってしまったので、読書はベッドの上か、熱いお茶を片手にリビングルームで。パソコンを置いてある部屋は寒いくらいなので、長くはいない。そんな短い時間を利用してパソコンでのオンラインの美術の講座を申し込んだ。

 天気予報によるとしばらくはこの気温の低い状態が続くらしい。冬は寒いのが好きでしかも薄着、夏は暑いくらいのほうが好みである。このように中途半端な気温と、湿度の高いというのはわたしは好みではない。長袖のシャツに薄くて透けて見えるサマーセーターを着ている。


読書用メガネを注文

2020年05月20日 20時42分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 霧雨よりも細かで、微かな雨を感じる中、遠回りをして横浜駅まで歩いてみた。地下街には入らず、いつもの喫茶店に入り、1時間ほどの読書タイム。15時を過ぎていた時間、お店の中はここ1ヶ月にはないほど人が入っていた。といっても一つおきに座るように設えてある。しかし二人連れの客も多く、その客数組がかなり賑やかであった。
 読書タイムには残念ながら不向きではあったが、我慢。

 そしていつもの眼鏡店に寄り、読書用の眼鏡を注文して帰宅。メガネができるのは30日の昼とのことであった。少しでも読書が楽になれば、と思い作成を依頼した。

 雨は出かけたときと同じようであったが、横浜駅から家まで40分近く歩く気力がなくなり、地下鉄で帰宅。

 


「山脈」(加藤楸邨)より

2020年05月20日 20時16分29秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 加藤楸邨の第8句集「山脈(やまなみ)」より。「山脈」は1948年から1952年までの句を収める。楸邨が43歳から47歳にかけての年である。
 この句集は「太白抄」(1948-1949)の90句と、「山脈祥」(1950-1952)の396句からなる。前者と後者に句数に大きな差がある。前者が大田区に家を新築するが、病に臥すことの多かった年月であったとのこと。40代半ばといえば私の年齢では一番気力も充実させて極めて慌ただしかった年代である。多分多くの人にとっては社会生活上でもさまざまな場面で責任を負わされたり、自身のライフワークでも力の入れ時であったはずである。
 そのような時期に病に臥しながら、作者はどのような句をつくっていたのであろうか。

 「太白抄」より
★一方向を得て落葉群移動せり
★宙に垂れ没日と秋の蜂の脚
★油虫殺すいちめんの夕日色
★梅雨余寒瞼に翳(さ)すは妻の手か
★夏は癒えよ虹生んで水栓迸り
★大旱の蟻はしるその影の上
★蟻はしる地図の代赭はゴビの色
★夕映や梅雨の机をはかにす
★路地抜けて遠夕焼けの一世界
★蟇蜍(ひき)あるく糞量世にもたくましく
★ものの隙いま夕焼かめざめくる
★曲の出の沈みて深し水澄むや
★月の出の一挙にあがり甍重し
★鉄の刃の鉄を截りとる夏まひる
★鰯雲鞴(ふいご)の息に鉄目覚め
★石の蝶金色すべく没日まつ
★月明の石より墓を磨ぎいだす
★沼の上の月は下弦に蛇つかひ

 「油虫」、「大旱」、「蟇蜍あるく」などの句のように動物の生の営みと死の緊張の一瞬を見つめている。緊張感ある句であると思った。
 同時に絵画的な、色彩豊かな句が多いと思った。「宙に垂れ」「夏は癒えよ」「夕映や」「路地抜けて」「ものの隙」「石の蝶」「月明の」などの句は絵画的である。景色を平面の二次元世界に言葉で描き直し、言葉の特性として「時間軸」を散りばめている。私としてはとても好感のもてる句が並ぶ。



 なお「沼の上の」の句はアンリ・ルソーの「蛇使いの女」が下敷きにある句かと思った。しかし実際のルソーの絵画では下弦の月ではなく満月である。この絵画を下敷きにしているとすると、時間が静止したような絵画への親和性も感じる。ひょっとしたら、この「女へびつかい」が画面の奥から手前に幻想のように浮かび上がってくるごくわずかな時間を見逃していなかったのかもしれない。

 ただしこれはあくまでも私の勝手な妄想である。頓珍漢の可能性は大であり、違っていたらゴメンナサイである。


横浜市庁舎

2020年05月19日 22時37分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

         

 新庁舎への引っ越しが大詰めを迎えている関内駅前の市庁舎の内部を撮影してきた。撮影といっても組合運動で関連のあった個所数か所を撮影しただけである。一階のロビーや市会棟の入り口などなど、特に珍しい箇所などではなく、ふだん称していた個所である。
 しかし市民広間に置いてあるピアノ、案内所、サンチャゴ市から送られた鐘、市民広間の壁面のタイル画などはとても懐かしいものである。
 現役の職員にとっては新しい市庁舎での執務環境のほうが気になるのであろうが、退職者会の我々にとっては旧市庁舎の懐かしい箇所のほうに興味が湧く。

 5月3日に掲載した横浜市庁舎の歴史について再度掲載しておくことにした。

1代目(1889-1911)
 本町1丁目にあった横浜電信分局を利用。レンガ造り2階建て。
2代目(1911-1923)
 魚市場跡地(現在の敷地と同じ)にレンガ造り3階建て。関東大震災で焼失。
3代目(1923-1925)
 桜木町一丁目の中央職業紹介所を臨時市庁舎として使用。
4代目(1925-1944)
 現敷地に木造2階建て。
5代目(1944-1950)
 空襲を避けて野毛山の老松国民学校(現市立老松中学校)に疎開。鉄筋コンクリート造3階建て。6代目(1950-1959)
 日本貿易博覧会神奈川会場(現在の反町公園一帯)の建物へ移転。木造2階建て。
 現在の神奈川区庁舎の敷地。
7代目(1959-2020)
 開港100周年記念で建設(村野藤吾設計)。関内駅南口。
 鉄筋コンクリート造地上8階・地下1階。2代目・4代目と同じ場所。
8代目(2020- )
 北仲通南地区。地上32階(高さ約155m)・地下2階。
 みなとみらい線馬車道駅に直結。

 私の現市庁舎の記憶はロビーのピアノとこの旧貴賓室と、そして杖を突いてひょこひょこ歩く故飛鳥田一雄氏の姿と、労働組合のさまざまな想い出とともにある。


地震が連続‥

2020年05月19日 13時32分30秒 | 天気と自然災害

★19日12時17分頃の地震。気象庁の発表は以下の通り。
震源地は、福島県沖(北緯37.5度、東経141.5度)で、震源の深さは約50km、マグニチュードは5.3。この地震による津波の心配はない。この地震により観測された最大震度は4。
宮城県  震度4  角田市 岩沼市 亘理町 山元町
福島県  震度4  相馬市 二本松市 南相馬市 国見町 川俣町 楢葉町
          双葉町 浪江町 葛尾村 新地町

★19日13時13分頃の地震。気象庁の発表は以下の通り。
震源地は、岐阜県飛騨地方(北緯36.3度、東経137.6度)で、震源の深さは約10km、マグニチュードは5.3。この地震による津波の心配はない。この地震により観測された最大震度は4。
岐阜県  震度4  高山市


 後者の地震ではテレビで緊急地震速報が鳴った。テレビでは緊急地震速報が流されたようだが、スマホは何も鳴らなかった。


二日酔い‥

2020年05月19日 12時55分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日のお酒が残って朝からボーッとしている。ウーロン茶を飲んで気分をスッキリさせようとしたが、なかなか。頭痛はしないので、二日酔いの症状としては軽い。
 朝から本降りの雨、明け方には大雨・洪水・強風・雷注意報となった。10時過ぎに雨は止んだが、大雨注意報は継続している。強風注意報は無くなったけれども風は強い。不思議なのは9時半過ぎに強風注意報が解除されたにもかかわらず、10時半過ぎに最大瞬間風速13メートルの北北西の風を記録している。
 湿度は雨が上がった後の11時で92%と極めて高い。


 ベランダに出てみると、冷たい北風と高い湿度で不快感たっぷり。夕方に出かけなくてはいけないが、それまでにもう少し快適になってほしいものである。

 


加藤楸邨の句集「起伏」から

2020年05月18日 23時22分47秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 加藤楸邨の第7句集「起伏」から。「起伏」は1948年1月から1949年6月までの句を収める。楸邨44歳である。
 私の好きな句は次の18句である。

★野の起伏ただ春寒き四十代
★元旦の機罐車とまり大きな黒
★寒に入る石を掴みて一樹根
★鮟鱇の骨まで凍ててぶちきらる
★蜘蛛の子の湧くがごとくに親を捨つ
★紙屑のごとくに死んで法師蝉
★朝の柿潮のごとく朱が満ち来
★壁越しに病問ひあふ秋の風
★あきらめて鰤のごとくに横たはる
★貨車押して片目は枯野見つつあり
★灯の街をより大いなる枯野が巻く
★今もなほ骨還りつく枯葎
★雪夜子は泣く父母よりはるかなものを呼び
★ひぐれの枯野もう誰の来るあてもなし
★こがらしやしかとくひあふ連結器
★野の中の何に口あき寒鴉
★何か待つごとく冬枯れ音もなし
★労働祭屋根の果には太き煙

 「鮟鱇」の第4句、「朱が満ち来」る第7句は有名な句である。私には第12句の「骨還りつく」、第16句の「口あき寒鴉」も印象深い。

 


またも雨の一日

2020年05月18日 22時00分58秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 朝出かけたときは途中から雨が降り始め、組合の会館に着いたときは本降りになっていた。仕事が終わり、会館を出たときは雨は上がっており、帰宅したときもふっていなかった。
 本日はもう降ることはないと勝手に思い込んでしまった。夜のウォーキングに出ようとしたら残念ながら雨。
 初夏というよりもすでに梅雨入りしたような気分である。

★走り梅雨山の匂ひを近うせり      岩田沙悟浄
★寢る前の窓に顔出す走り梅雨      岡本 眸
★走り梅雨ほどの濡れ衣なりしかな    坂本京子


会議&作業は無事終了

2020年05月18日 20時34分12秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は午前中から午後にかけて二つの会議とメール作業。10時に資料の印刷やメール作業のための諸準備を開始した。全部が終了したのが15時半過ぎ。結局昼食は食べそこなった。
 1100部に6種類の文書を入れる作業はいつものことながら、集中力が必要である。さいわいにもこのような状況下にもかかわらず、30人ほどが集まってくれた。会議の定足数も超えた。とてもありがたい会である。
 終了後、ひさしぶりに10人ほどで近くのいつもの店で飲み会。明日から入院・手術する人も参加。
 実に何か月かぶりに市営地下鉄に乗車して帰宅。本来ならばラッシュアワーの刻限であったが、人はまばら。ターミナル駅でも、座席は一人おきに座る程度。

 問題は、夕食は家で食べると宣言していたにもかかわらず、飲み会で十分に食べてしまったこと。

 


明日は会議&作業日

2020年05月17日 22時04分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日27.5℃もあり、7月上旬の暑さであったらしい。明日は23℃の予報で夜からは雨との予報である。

 本日買い物につきあい、郵便物を受け取りに郵便局まで往復。かなり歩いた。買い物をしたスーパーではかなりの人出で混雑。しかも14時近かったけれど、通りかかったハンバーガーのチェーン店の店内はぎゅうぎゅう詰めで店外まで間隔を開けずに並んでいた。
 サンドイッチを注文した喫茶店は空いていたので助かった。我が家では子どもが小さい頃も、フライドチキンもハンバーガーも食べさせなかったので、これほど切実な食べ物とは理解できなかった。当時も今も、それらへのこだわりを示すおとながいることに違和感を覚えている。

 明日は久しぶりに退職者会の会議。メール作業がある。ニュース外印刷物4種類ほどを同封する予定。40名が集まれば作業もそれほど時間はかからないが、今の新型コロナの感染状況下では集まる人数も少なくなる見込みである。少し時間がかかるが、やむを得ない。100人近く入る広い会場で間隔をあけて陣取るしかない。
 傘もリュックに入れていくことになりそうである。

 


夏めく

2020年05月17日 17時35分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連

★夏めくや庭土昼の日をはじき      星野立子
★蜂ぶらと脚下げて飛ぶ夏めく日     上野章子
★仰ぎ見る窓みなやさし夏めく日     飯田龍太

 「夏めく」には少し日が立ち過ぎたかもしれない。あるいは立夏の期間だから今の季節という主張もある。何を「夏めく」とするか、が俳句だという逆転の指摘もある。

 第1句、土は光を吸収するものなのだが、ある角度から見ると反射光が眩しいことがある。多分梅雨前の湿気の少ない日、地面も乾燥しているときに感じる「夏めく」。

 第2句、第1句よりもこちらの句のほうが私には「詩」を感じる。この蜂は青空と白い雲を背景に飛んでいる。観察の細やかさと同時に、孤独な蜂の営みが空をバックに浮き出てくる。鉢に作者は自分の人生を重ねて見ている。何も事件は起こりそうもない情景に孤独の影が浮かんでくる。

 第3句、梅雨明けの強烈な太陽の陽射しは、仰ぎ見る人を刺す。この時期の窓の反射光には受け入れてもらえそうな気がする。読む人にとっては、「窓」はひょっとしたら「社会」の喩かもしれない。

 本日はわたくしの勝手読みの3句である。