小学生の頃、「方言撲滅運動」というのがあり、学校で方言を使うことは禁止されていた。
就職で都会へ出てから方言で差別されないように、との配慮だったと思われる。
このように、方言は差別の対象だった。
だが、方言はその地方の歴史や風土に根ざしたものであり、もちろん差別されるべきものではない。
日本語とイタリア語とどちらが優れた言語か、比較することに意味がないのと同じである。
私は東北地方に10年間住んだが、津軽や庄内の女性の言葉など味があった。
最近、方言を新鮮な言葉として、積極的に使う若者が増えたそうだが、いいことだと思う。
種子島の方言をひとつ紹介すると、妻のことを「バキー」という。
妻は馬より貴重だから「馬貴」が語源だ、という説があるが、これでは妻を労働力としてしか見ていないわけで、それはないだろうと思っていた。
原人さんによると、「脇」が語源だという。
種子島に、浜津脇(はまつばき)という地名があり、脇をバキと発音することがある。
また、妻のことを家内、奥さんというように、いる位置で称することが多い。
夫の脇にいる女性だから、バキーというわけである。
家内や奥さんには、妻は家に閉じこもっているもの、という思想が感じられるが、バキーにはパートナーという意識が感じられる。
ところで、道路標識で浜津脇に「はまつわき」とローマ字で読みが振ってあるが、これは地元の言い方を尊重してもらいたい。
「はまつばき」は浜椿にも通じ、語感もいい。
熊本県の田原坂(たばるざか)に「たはらざか」と読みを振ったら、地元の人は怒るであろう。
就職で都会へ出てから方言で差別されないように、との配慮だったと思われる。
このように、方言は差別の対象だった。
だが、方言はその地方の歴史や風土に根ざしたものであり、もちろん差別されるべきものではない。
日本語とイタリア語とどちらが優れた言語か、比較することに意味がないのと同じである。
私は東北地方に10年間住んだが、津軽や庄内の女性の言葉など味があった。
最近、方言を新鮮な言葉として、積極的に使う若者が増えたそうだが、いいことだと思う。
種子島の方言をひとつ紹介すると、妻のことを「バキー」という。
妻は馬より貴重だから「馬貴」が語源だ、という説があるが、これでは妻を労働力としてしか見ていないわけで、それはないだろうと思っていた。
原人さんによると、「脇」が語源だという。
種子島に、浜津脇(はまつばき)という地名があり、脇をバキと発音することがある。
また、妻のことを家内、奥さんというように、いる位置で称することが多い。
夫の脇にいる女性だから、バキーというわけである。
家内や奥さんには、妻は家に閉じこもっているもの、という思想が感じられるが、バキーにはパートナーという意識が感じられる。
ところで、道路標識で浜津脇に「はまつわき」とローマ字で読みが振ってあるが、これは地元の言い方を尊重してもらいたい。
「はまつばき」は浜椿にも通じ、語感もいい。
熊本県の田原坂(たばるざか)に「たはらざか」と読みを振ったら、地元の人は怒るであろう。