さつま町の史跡を二つ紹介します。
紫尾小学校跡から紫尾温泉へ向かうと、道路脇に石造物があります。
三つの石造物が並んでいます。
中央は馬頭観音です。
3体の像が合わさり、中央の像は前で手を合わせ、左右の像は両手に剣、斧などを持っています。
中央の像の頭には、馬の顔があります。
石祠です。
中には人の像のようなものがありますが、頭部がありません。
隣にある町石(ちょういし)です。紫尾神社までの距離を表す石塔で(1町は109m)、この道に複数あります。
川内川と支流の穴川の合流地点にある大前時吉氏供養塔です。大前氏はこの地域の領主でした。
六地蔵塔です。1698年、戦で亡くなった祖先供養のため建立されました。
上の六地蔵。保存状態はいいです。
はっきりわかりますね。
六地蔵塔も美しいです。さつま町の史跡すばらしいですね。
町石 山のお寺で見rたことあるけど 6丁 5丁 って書いてあるような・・
でも【町】がほんとですね。
南の空に 三日月 と 金星が 美しく並んでいます。☆ ☾
こんにちは。
馬頭観音の形は色々ですが、これは頭に馬の顔があるから、馬頭観音と分かります。
町石というのは、高野山などあちこちにあるそうですね。
今は町という単位はあまり使わないので、なじみがないですね。
山の上にある寺社の参道では
一丁、二丁と続行きますからね。
高野山の丁石道は歩きました。
こんにちは。
町石は高野山にもあるようですね。
鹿児島では、ここ以外に見たことがありません。
その途中で馬頭観音を見る機会がたびたびありました。
でもご紹介のようなお姿の馬頭観音は初めてです。
いつごろの馬頭観音なのでしょうね。
町石についてもまったく知りませんでした。
六地蔵を街道歩きで見ることがありましたが
お地蔵さんが6体並んでいます。
ご紹介のような塔の六地蔵を見たことが無く
興味津々です。
1698年・・江戸時代初期ですから歴史がありますね。
コメント、ありがとうございます。
鹿児島には、このようなタイプの馬頭観音が他にもあります。
他に、馬に乗った形の馬頭観音もあります。
おそらく、江戸時代のものではないかと思います。
町石は、高野山などにもあるようですね。
鹿児島の六地蔵と言えば、六面に地蔵を刻んだものです。
供養塔として建てられています。