鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

近都宮神社の杜

2015-07-12 | 巨樹・古木

鹿児島市油須木町にある近都宮(こんとうみや)神社の杜(もり)を紹介します。

 

うっそうとした近都宮神社の杜。社殿は見えませんが、鳥居をくぐり、階段を上がった緑の中にあります。

 

中央の一番高いのが杉、その右がヒノキ、下がカエデです。

 

杉の下部。

 

鳥居の上のカエデです。

 

下から見たカエデ。濃い緑が広がっています。

 

大正9年建設の鳥居です。

 

階段を上がって社殿へ行きます。

 

近都宮神社社殿。平成18年に改修された新しい社殿です。

 

階段横のシラスの崖に洞窟がありました。自然のものか、人工的なものかわかりません。

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花尾古道

2015-07-10 | 史跡

鹿児島市皆与志町の花尾古道を歩きました。

 

国道3号の河頭(こがしら)信号を北へ少し行くと、花尾古道の看板があります。

この付近に車を置いて、左へ入ります。

 

左へ入ってすぐに、右に入る小さな道があります。ここからが花尾古道です。

花尾古道は、鶴丸城から花尾町の花尾神社に至る古道です。

 

孟宗竹の生えた坂道を歩きます。道は荒れており、所々で竹が倒れています。

 

しばらく孟宗竹の坂道が続きます。

 

古井戸(?)がありました。

 

雑木林の平坦な道になりました。

 

マムシグサの群落がありました。秋に真っ赤に実になります。

 

看板がありました。右へ進みます。

 

広葉樹や杉林の道を進みます。

 

やや大きな道に出ました。歩くのはここまでとし、出発地点に戻りました。

歴史街道ですが、あまり整備されておらず、通る人も少ないようです。

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埒上の田の神他

2015-07-08 | 田の神

霧島市隼人町小浜の田の神を紹介します。

 

埒上にある田の神です。道路脇の一段高いところに2体の田の神があります。

 

シキを被って微笑んでいます。右手にはメシゲでも持っていたのでしょうか。

 

もう1体は、メシゲを持った坐像ですが、頭部が欠けています。

 

後姿。向こうは国道10号です。

 

前の田の神から、線路を渡って北へ行くと、交差点の隅に田の神があります。

 

大きなメシゲを持った田の神です。建立は昭和6年と新しいです。

 

横から見たものです。

向こう側の中央にある小さな森は早鈴神社で、ここにも田の神があるので訪ねました。

 

早鈴神社です。

 

社殿。

 

神社の脇に田の神があります。

 

顔は風化しています。

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おしゃま

2015-07-06 | エッセイ

おませな女の子のことを「おしゃま」という。

これは、江戸時代に流行した次の歌が語源だそうだ。

「猫じゃ猫じゃとおしゃます(おっしゃいます)が、猫が下駄はいて杖ついて、絞りの浴衣で来るものか」

この歌は、お妾さんが間男を引き入れているのが旦那に見つかり、猫じゃと言い訳したのをからかったものだそうだ。

この歌の猫とおしゃまが結びつき、猫は人に甘えたり、よそよそしくしたりすることから、おませな女の子を猫にたとえて「おしゃま」と言うようになった。

ちなみに、この歌のあとはオッチョコチョイノチョイと続き、これが「おっちょこちょい」の語源にもなっている。

 

男勝りの活発な女の子を「お転婆」という。

婆さんが転ぶでは、おてんばな女の子のイメージに合わないが、これは当て字である。

この語源は、出しゃばって早足に歩く女の子のことを「てばてば」と言ったので、これに接頭語の「お」がついて「おてんば」になったという説がある。

また、宿駅で公用に使われた御伝馬(おてんま)という馬は、餌も十分に与えられ、普通の馬より元気よく跳ね回るので、そこから来たという説もあるそうだ。

 

わがままで好き勝手に振る舞う女を「じゃじゃ馬」という。

馬はあばれ馬のことだが、じゃじゃとはなんだろう。

この語源には

芝居で見物人がどよめくのを「じゃじゃ(やんやと同じ)」と言ったことから。

幼児が駄々をこねるという意で「じゃじゃをこねる」と言ったことから。

などの説がある。

 

勇み肌で粋な若い女を「おきゃん」という。

これは漢字で御侠と書く。

侠は任侠(にんきょう)の侠である。

元々は、そういう性格の人に対して、男女を問わず侠(きゃん)と言っていたが、明治以降、これに御をつけて若い女をさす言葉になったそうだ。

 

今回は、少し変わった女に関する語源でした。

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川田神社と南方神社

2015-07-04 | 史跡

前回紹介した川田橋(鹿児島市川田町)の左岸にある史跡を紹介します。

 

川田橋の左岸に、由緒ありそうなお宅があります。

 

門のところに、釈迦三尊碑(1594年建立)と石祠があります。

 

立派な石倉の脇を通って進みます。

 

しばらく進むと、川田神社があります。

 

鳥居の手前にある「川田の庚申供養石砌塔 舟形」です。

 

川田神社社殿。川田義朗(勝軍地蔵)を祀る神社です。

 

神社の奥に、川田氏累代の墓石塔群があります。

 

川田氏26代までの墓石や、五輪塔、代々住職の墓、灯籠、石祠など多数並んでいます。

 

川田神社の隣にある、村社南方神社です。

 

鳥居の横に対の首欠け仁王像があり、向かって右のものです。

 

左の仁王像。

どちらも廃仏毀釈で破壊され、頭と両腕がありません。

 

南方神社社殿。

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川田橋他

2015-07-02 | 石橋

鹿児島市(旧郡山町)の石橋を二つ紹介します。

 

川田町にある川田橋を右岸から見たものです。上部は新しく整備されています。

 

下流から見た川田橋。川田轟滝のすぐ下流にあります。

川は、甲突川の支流の川田川で、甲突川に架かる唯一の2連アーチ橋です。

 

下流から見た近景。壁石はツタで覆われています。

 橋長:18.7m

 幅員:2.84m

 架設年代:明治34年1月3日

 

上流より見る。

 

右岸にある架橋記念碑です。

 

東俣町にある宇都太鼓橋を左岸から見たものです。

 

下流より見る。のどかな田園地帯の中にあります。

 

下流から見た近景。川は、川田川の支流です。

 架設年代:1790年

 

上流から見た内部。

 

近くに碑がありました。

寛政二年庚戌(1790年)二月吉日 奉寄進石橋 と刻まれています。

 

宇都太鼓橋の近くに前田橋があり、そのたもとに架橋記念碑があります。川は、川田川です。

 

架橋記念碑です。

 

橋の歴史が刻まれています。

 

猿田彦大神の碑もあります。

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