鹿児島の自然と食

鹿児島の豊かな自然(風景、植物等)、食べ物、史跡を紹介します。

住吉池

2018-03-16 | 水辺の風景

姶良市の住吉池へ行きました。

 

火口湖ですが、堤防があり溜池になっています。

 

堤防の上から見た住吉池。約8200年前の火山の爆発でできた火口湖です。

対岸はキャンプ場になっており、浮桟橋が見えます。

 

洪水吐があります。洪水時に右奥から越流するようになっています。

 

前の写真の岩の上から見たものです。西南戦争の時、近くの洞窟に隠されていた西郷軍の弾薬が官軍に発見され、ここに投棄されました。

 

取水施設です。

 

対岸の小高いところに展望台があり、若夫婦が子供を連れて休憩していました。

 

展望台からの眺め。

 

湖畔のキャンプ場です。バンガローなどがあります。

 

キャンプ場の浮桟橋。釣りをやるのにいいです。

 

浮桟橋から池を望む。

 

池の南に住吉神社があります。

 

住吉神社社殿。

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上鬼燈火谷(万之瀬川源流)(2)

2018-03-14 | 風景

鹿児島市錫山の北にある上鬼燈火谷集落の続きです。

 

写真中央が万之瀬川です。

 

前の写真の大きな杉の木のすぐ上流に、湧水箇所がありました。この上流は水がなく、万之瀬川源流に到着しました。

 

湧水箇所の近くに人家がありますが、廃屋になっています。

 

やっと、人が住んでいる家がありました。ここの人に集落名を聞くと、鬼燈火谷は「ふずきがたに」というそうです。鬼燈はほおずきですが、「ほおずき」がなまって「ふずき」になったと思われます。

意味は「ほおずきの谷」ですが、どんないわれがあるのでしょうか。ネットで調べると、昔ここは隠れ念仏の里で、役人が夜、提灯を持って探索に来た時、提灯が赤いほおずきの袋に見えたことが名前の由来だそうです。

 

人家の近くに、タブの巨木があります。

 

下部。

 

枝を広げた上部。

 

人家の上の畑。ここは耕作しているようです。

 

さらに進みます。

 

前の写真の右に、小さな集落に不釣り合いな立派な納骨堂があります。左が福留家、右二つが岩元家の墓です。

 

スダジイの古木もあります。

 

4軒目の人家がありますが、人が住んでいるかわかりません。

集落の家は4軒だけで、住んでいるのが確認できたのは先ほどの家だけです。あとの2軒は廃屋です。

 

杉林の中で、マンリョウの栽培をしていました。

 

自宅の庭のクリスマスローズです。

 

うつむいて咲いています。

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上鬼燈火谷(万之瀬川源流)(1)

2018-03-12 | 風景

鹿児島市の錫山地区の北(県道を挟んで反対側)に、上鬼燈火谷という小さな集落があります。

いわくありげな名前であることと、万之瀬川の源流であることから、この集落を訪ねました。

 

錫山の県道鹿児島加世田線から北へ行くと、万之瀬川があります。以前、万之瀬川源流を訪ねたときは、ここまででした。

ここから上流へ歩いて行きました。

 

三面張り水路の川です。

 

万之瀬川流域を望む。

 

上鬼燈火谷集落に行く道です。離合もできない細い道で、万之瀬川は右下です。

 

左が集落への道、右が万之瀬川へ下る道です。

 

三面張り水路の小さな川を上流へ行きます。

 

ネットをかぶせた簡易なハウスに、植物を栽培しています。

 

マンリョウのようです。

 

水田の跡には木が植えられています。クヌギのようですが、シイタケ栽培にでも使用するのでしょうか。

 

アオキの赤い実がありました。

 

上鬼燈火谷集落の最初の家ですが、廃屋になっています。

 

木が植えられた水田跡の間を進みます。過疎化で、水田を維持できなくなったと思われます。

 

万之瀬川は、小さな流れの水路です。

 

クレソンがありました。

次回で源流へ着きます。上鬼燈火谷の集落名といわれについては、次回紹介します。

 

最近、霧島の新燃岳が爆発しています。鹿児島市の国道10号から写したものです(撮影日3月10日)。右は高千穂峰、左は韓国岳。

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増田の戦争史跡

2018-03-10 | 史跡

種子島の増田にある戦争史跡を紹介します。

 

昭和17年1月、増田に飛行場が建設されることになり、住民は移住させられました。飛行隊開隊までの2年4か月に、種子島、屋久島などの住民延べ100万人が建設に当たりました。

 

九州海軍航空隊種子島基地之碑。

 

碑から北を望む。飛行場の跡です。今はサトウキビ畑になっています。

 

飛行場跡の近くに、戸畑の煙突があります。

 

レンガ造りの煙突。兵士や施設部の人たちの浴場や炊事場として使われたものです。

高さ10mで、上部にはB29の銃撃跡があります。

 

煙の吸い込み口。

 

隣にはコンクリートの遺構がたくさん残っています。

 

浴場や炊事場の跡です。

 

航空基地作戦室跡です。

 

30人が入れる広さで、ここで作戦が行われました。

 

弾薬庫跡への道です。

 

コンクリートの壕が弾薬庫跡です。

 

内部。高さ4.3m、幅5m、奥行き10mです。入口に柵はなく、入ることができます。

 

増田港のところにある垣添隊の砲台です。岩山の中央にアーチ状の穴があります。

 

近づけないので、ズームしました。

米軍の上陸に備え、崖の途中に砲台が築かれました。建設には学生も駆り出され、米軍の機銃掃射により

、兵隊と共に学生一人が亡くなりました。

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獺貫の滝と木田用水(3)

2018-03-08 | 史跡

隈姫神社を後にして、木田用水を下流へ行きます。

 

木田用水と梅の花。

 

田んぼに水を落とす水門がありました。

 

川を横断します。

 

川を渡ってすぐ右に、岩屋寺跡の案内板があります。

 

かつて、ここに岩屋寺というお寺がありましたが、廃仏毀釈で破壊されました。ここから斜面を登ると史跡がたくさんあり、斜面上部に岩屋(洞窟)があります。

今回は行きませんでしたが、以前行った時の記事です。

 

用水をさらに下っていきます。

 

用水の右岸側に薬師如来像があります。

 

崖の下にお堂があります。

 

お堂の中に安置されている木造の薬師如来像。製作は1557年です。

 

さらに下流へ行きます。

 

右岸側に鴻巣園跡があります。

 

鴻巣園跡。島津家の別荘があったところです。

文禄慶長の役のとき、朝鮮の王子が連れて来られ、ここで生活しました。皇子はその後帰国したそうです。

 

鴻巣園跡の碑。

 

鴻巣園跡の下流の木田用水です。

 

用水の左岸に広がる田園地帯。350年前、池田助右衛門が隧道を掘ったおかげで、このような美田ができたのです。

木田用水はここまでとします。

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獺貫の滝と木田用水(2)

2018-03-06 | 史跡

姶良市加治木町の木田用水を下流へ行きます。

 

田んぼに水を落とす水門があります。

 

水門のところにある水神の碑。

 

用水の土手に梅が咲いていました。

 

右岸側の崖に像があります。

 

中央が十一面観音、右が蝮(まむし)神様です。

 

人家の脇の用水をさらに下っていきます。

 

隈姫神社の参道橋が架かっています。

 

参道橋を渡って神社へ行きます。

 

鳥居の横に仁王像があります。

 

両腕が破壊された仁王像。ここに、木田用水の案内板があります。

 

隈姫神社拝殿。

隈姫は人吉の相良家の娘で、島津義弘の夫人でしたが、島津家と相良家が不和となり、隈姫は離縁させられました。隈姫は川に投身自殺し、義弘公はこれを哀れんで宝現寺を建て、菩提を弔いました。

 

本殿です。

 

本殿の横の崖に、小さな稲荷神社があります。

 

神社の前の道路脇に木田の田の神があります。

 

衣冠束帯型坐像です。県内にある同型の田の神約40体の中で一番古いものです。1767年に上木田の青年組が建立しました。

木田用水をさらに下流へ行きます。

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獺貫の滝と木田用水(1)

2018-03-04 | 史跡

姶良市加治木町の獺貫(うそぬき)の滝と木田用水を紹介します。

 

谷部に宇曽木川が流れており、ここに獺貫の滝があります。

 

滝の近くにある水神の碑です。

 

滝に近づきます。

ここで、60歳で帰郷してから13年、公園として整備している作家兼農業の方とお会いし、話を聞きました。この滝は、正面に桜島を望むパワースポットだそうです。

 

前の写真の右に見える観音像と仏像。

 

獺貫の滝全景。滝つぼが丸くて広いです。岩は、硬い溶岩で柱状節理が発達しています。

 

近景。2段の滝です。

 

左岸の小高いところに展望台があり、そこから見たものです。

 

滝の下流右岸の岩盤。ここに、江戸時代に掘られた木田用水の隧道(獺貫の切通しのトンネル)があります。取水口は滝の上流ですが、行けません。

1659年、池田助右衛門は新田を開発するため、取水のための隧道工事を始めました。岩が硬く難工事で、一緒に作業するものもいなくなりましたが、たった一人で、3年7か月後に延長218mの隧道を完成させました。これによって6000石の水田が開発されました。

 

滝の下流にある堰。向こう(右岸)に宇曽木発電所の導水管が見えますが、ここに隧道の出口があります。

 

宇曽木発電所と隧道の下流側出口です。

 

隧道から水が落ちており、これが木田用水に流れます。

隧道の上に水路があります。発電所取水口が隧道取水口の上流にあるため、灌漑期には発電用の水の一部を水路に落とします。この時は、隧道出口が水に隠れて見えません。

 

隧道出口の近景。

 

隧道出口直下の水路。ここが木田用水の最上流です。

 

これから木田用水を下流へ行き、水路や周りの史跡を見ていきます。

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山ン口の坂他

2018-03-02 | 史跡

さつま町の史跡を3つ紹介します。

 

国道267号の山之口バス停近くにある山ン口の坂です。正面の看板のところが坂の入口です。

 

山ン口の坂入口の看板と案内板。この坂が開設されたのは江戸時代末期の頃です。

急勾配の曲がりくねった坂で、雨の日は川のように水が流れたそうです。

 

登り口は水による浸食を防ぐため、路面に自然石を敷き、両側に石垣を施しています。

 

地元の方の熱意で、入口だけでも保存しようと整備されました。

 

自然石の玉石です。この先は荒れており、通れません。

 

国道267号の求名下手バス停近くにある、長福寺跡古石塔群です。

1401年に鶴田氏が滅ぼされ、その菩提寺が長福寺です。

 

宝塔、五輪塔、六面地蔵塔、庚申塔などの多くの石塔が並んでいます。

 

宝塔。

 

五輪塔。

 

国道267号の大角バス停の南にある首塚です。

1401年、鶴田領主の鶴田重成と渋谷氏がこの付近で戦い(鶴田合戦)、その時の戦死者を供養する塔です。

 

県内最大級の石塔で、梵字が刻まれています。

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