種子島の増田にある戦争史跡を紹介します。
昭和17年1月、増田に飛行場が建設されることになり、住民は移住させられました。飛行隊開隊までの2年4か月に、種子島、屋久島などの住民延べ100万人が建設に当たりました。
九州海軍航空隊種子島基地之碑。
碑から北を望む。飛行場の跡です。今はサトウキビ畑になっています。
飛行場跡の近くに、戸畑の煙突があります。
レンガ造りの煙突。兵士や施設部の人たちの浴場や炊事場として使われたものです。
高さ10mで、上部にはB29の銃撃跡があります。
煙の吸い込み口。
隣にはコンクリートの遺構がたくさん残っています。
浴場や炊事場の跡です。
航空基地作戦室跡です。
30人が入れる広さで、ここで作戦が行われました。
弾薬庫跡への道です。
コンクリートの壕が弾薬庫跡です。
内部。高さ4.3m、幅5m、奥行き10mです。入口に柵はなく、入ることができます。
増田港のところにある垣添隊の砲台です。岩山の中央にアーチ状の穴があります。
近づけないので、ズームしました。
米軍の上陸に備え、崖の途中に砲台が築かれました。建設には学生も駆り出され、米軍の機銃掃射により
、兵隊と共に学生一人が亡くなりました。