メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『世界の歴史14 アメリカとゆれうごく世界 大恐慌の時代』

2010-05-07 20:07:10 | 
『世界の歴史14 アメリカとゆれうごく世界 大恐慌の時代』
監修:木村尚三郎 立案・構成:岩田一彦 シナリオ:柳川創造 漫画:古城武司 集英社

第一次大戦によってアメリカは戦争の被害をほとんど受けずに経済的に大発展し、世界を指導していく大国となった。
世界経済の中心はロンドンのロンバード街からニューヨークのウォール街に移る。
自由の国を求めてヨーロッパ、中国、日本から大勢の移民がやって来て、アメリカ人の職を奪ったため、1924年移民の数を制限。
ベルトコンベアでの流れ作業により、大量生産&大量消費が可能になり、「分割払い」によって電化製品、車が飛ぶように売れた。


禁酒法:酒が犯罪をおこすもとであるとして、1920年からすべての酒の製造、販売、輸入、運搬が禁じられた。
そのため、ニューヨークやシカゴのギャングが酒の密輸、密造、密売で儲け、結果として犯罪は逆に増えたため1933年に廃止された。
アル・カポネ:イタリアのナポリで生まれ、アメリカに渡った移民。シカゴのギャングとして全国で力を持った。

・KKK団:アメリカの習慣や伝統を守り、アメリカで生まれ育った白人だけでアメリカを築こうとした「アメリカニズム」が流行し、その中の一部が秘密結社を作り、黒人・ユダヤ人・共産主義者・カトリック教徒・白人移民なども攻撃した。

大恐慌
個人の株の売買が盛んになり、大金持ちになる人が増えた。
大量生産のしすぎで在庫が増え、値段が下がり、失業者が増え、1929年、突然株価が暴落。
1932年までに500の銀行が倒産、工場の閉鎖が相次ぎ、1500万人もの失業者が溢れた。
資本家はヨーロッパに貸していた金を引き上げたため、ソビエト連邦を除く全世界に広がり世界恐慌となった。
フランクリン・ルーズベルト:第32代アメリカ大統領。「ニューディール」(新しい政策)を提唱。銀行などに政府の援助をし、失業者に仕事を与え、農家に補助金を出し、禁酒法を廃止し、アメリカを恐慌から救った。


▼インドの独立
ガンジー:インドの豊かな家に生まれ、19歳でロンドンに留学、弁護士となる。南アフリカでの黒人・インド人差別を体験し、「国産品を愛用」し、「非暴力・不服従」で戦う運動を広める。
・ネルー:豊かな家の出身で、イギリス留学ののち、インドの初代首相となった。
第一次世界大戦の際、イギリス政府は「戦争に参加してくれたらインドの独立を認める」と約束したが守らなかった。
「塩の行進」:インドで塩は政府だけの専売商品だったが、ガンジーが何千人という大衆とともに26日かけて360km歩き、海岸で塩を作った。投獄されると断食をして世界に訴えたため、政府はガンジーを釈放し、塩の専売をやめた。
1935年ついにイギリスはインドの自治を認めたが、それまでも対立していたヒンズー教徒vsイスラム教徒の争いが激化し、
1948年ガンジーは狂信的なヒンズー教徒の青年によって暗殺された。(79歳)


▼中国の革命
第一次世界大戦で日本は山東省の青島(チンタオ)を占領し、袁世凱に21か条の厳しい要求を飲ませた。
・陳独秀(ちんどくしゅう):中国の思想家・政治家。新しい思想を若者に伝えるため、雑誌「新青年」を発行する。
魯迅(ろじん):中国の作家・思想家。これまで文語(文章だけに使われる言葉)で書かれていたのを、白話(話し言葉)で初めて「狂人日記」を著した。

「五・四運動」:講和会議で青島の返還を訴えたが無視され、天安門広場に学生が集まり日本製品を焼いた。
孫文:中国の政治家。辛亥革命を起こし、清朝を倒したが、袁世凱に敗れ日本に亡命していた。肝臓ガンになり、「革命いまだ成功せず」と遺言を残して59歳で死去。
中国共産党:農民と労働者が支配する国をめざし、陳独秀が党首となる。
蒋介石:中国の軍人・政治家。日本の陸軍士官学校を卒業。辛亥革命の時は孫文のもとで活躍した。軍閥を倒して、中国統一を目指した。国民党+共産党で武漢(ウーハン)を占領、新政府「国民政府」を樹立。
周恩来:共産党員。のちに中華人民共和国首相となった。
毛沢東:中国の政治家。豊かな農民の家に生まれ、農民問題を研究した。のちに中華人民共和国首席となった。

「上海クーデター」:1927年。蒋介石の命令で300人以上の共産党員が殺され、南京政府を打ち立てた。


次第に近代になって、記憶に新しい人物や出来事が取り上げられてるため若干読みやすい。
映画の歴史も紹介されていた。

1889年 エジソンが映写機を発明。
1895年 フランスのリュミエール兄弟がシネトグラフという映写機を発明。現在の映画のもととなる。
1905年 アメリカに初めて映画館ができる。
1914年 ハリウッドで初めて映画撮影が行われる。
1918年 カラー映画ができる。
1927年 トーキー映画ができる。
1932年 ディズニーが初めてカラーのアニメーションをつくる。
1939年 カラーの大作『風と共に去りぬ』が公開され、世界中で評判になる。

ハリウッド:1910年代から多くの映画会社が集まり、アメリカ映画の大部分が創られた。規模が大きくなるにつれ、広大な土地と、1年じゅう天気がよいハリウッドで撮影が行われるようになった。
・チャールズ・チャップリン:イギリス出身の喜劇俳優・映画監督。

ほかにも、アメリカでは野球・ボクシング・アメフト・バスケなど、新しいスポーツがたくさん考え出され、楽しまれていった。

・ベーブ・ルース:プロ野球選手。1927年に1シーズンで60本のホームラン、1935年に引退するまで714本のホームランを打ち、12回のホームラン王になった。
・デンプシー:1919年から1926年にジーン・タニーに敗れるまで、7年間もヘビー級のチャンピオンだったボクサー。

・チャールズ・リンドバーグ:セントルイスとシカゴの間を往復する郵便飛行機のパイロット。ニューヨークからパリまで単独無着陸飛行に成功。「翼よあれがパリの灯だ!」と言った。

本書の裏表紙にサッチモと思われる黒人トランペッターのイラストあり

コメント