■『今日の芸術』 岡本太郎/著(光文社知恵の森文庫)
序文・横尾忠則 解説・赤瀬川原平 1999年初版、2008年24刷
「きれい」と「美しい」、「芸術」と「芸事」の決定的な違いなど、
普段、無意識に使っている言葉ひとつひとつの本来の意味をあきらかにして、
芸術を語りながらも、日本人、ヒトとしての生き方までも、分かり易い語り口調で説明してゆく。
ヘタなスピリチュアル本なんかよりずっと明解な答えがここにある。
セザンヌは当時へっぽこ画家と思われていたとか、「ひん曲がったじゃがいもみたいな顔」て!/爆
ゴッホが一般大衆のみならず、同じ芸術革新を志していた尊敬する先輩からも黙殺されていた、などなど
毎度ながら痛快な言い方、民族学、歴史の幅広い知識、まとめの第6章はジョークも多くて笑ってしまうw
「図画の授業では、むしろ子どもが大人に教えるべきだ」とか、
「これからは、すべての人が描かなければならない」、
「でたらめなら、なおいい。でも、でたらめのほうが難しい。真似ではない自身の表現だから」など、
さらに数歩進めた理論に至るまで、読むごとに頭の中が新しい真理で刷新されてゆく思いがした。
ピカソだけでなく、尾形光琳に関しても珍しくホメているので、どんな作品を創作したのか気になった。
そういえば、「白水Uブックス」のブックカバーには、笑ってしまうようなピカソのイラストが使われていたな
あとがきで赤瀬川さんが、「テニスの試合中に食べるバナナみたいに消化吸収のよい文章」だと言っていたのにも納得w
その他の著書に関してもすべて読みたいが、図書館には初版はもちろん、著書すべては揃っていないようで残念。
初版本を手に入れるには、古書街に足繁く通うしかなさそうだ
▼本文の抜粋メモ(一部)
p.16
芸術は、ちょうど毎日の食べ物と同じように、人間の生命にとって欠くことのできない絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。
p.17
なるほど人は、社会的生産のため、いろいろな形で毎日働き、何かを作っています。しかし、いったいほんとうに創っているという、充実したよろこびがあるでしょうか。ただ働くために働かされているという気持ちではないでしょうか。
このように社会の発達とともに、人間一人一人の働きが部品化され、目的、全体性を見失ってくる、人間の本来的な生活から、自分が遠ざけられ、自覚さえ失っている。それが「自己疎外」です。
p.18
施設は増えても、逆にますます遊ぶ人たちの気分は空しくなってくるという奇妙な事実があります。
p.20
そういうふうに矛盾を感じる人は、きわめて感受性のすぐれた、良心的な人なのです。
p.21
(芸術の意味とは)失われた人間の全体性を奪回しようという情熱の噴出といっていいでしょう。
p.118
鑑賞、味わうということは、じつは価値を創造することそのものだとも考えるべきです。味わうことによって創造に参加するのです。
p.119
自分自身の、人間形成、精神の確立です。自分自身をつくっているのです。すぐれた作品に身も魂もぶつけて、ほんとうに感動したならば、その瞬間から、あなたの見る世界は、色、形を変える。生活が生き甲斐となり、今まで見ることのなかった、今まで知ることもなかった姿を発見するでしょう。そこですでに、あなたは、あなた自身を創造しているのです。
p.164
描けないというのは、描けないと思っているからにすぎないのです。
あるものが、ありのままに出るということ、まして、それを自分の力で積極的に押し出して表現しているならば、それはけっして恥ずかしいことではないはずです。見栄や世間体で自分をそのままに出すということをはばかり、自分にない、べつな面ばかりを外に見せているという偽善的な習慣こそ、非本質的です。
p.165
自分が自分自身で思い込んでいる自分の価値というものを捨て去って、自分の真の姿をはっきりさせ、ますます自分自身になりきるということ、それがまた、じつは、おのれの限界を乗り越えて、より高く、より大きく自分を生かし、前進させてゆくことなのです。
p.166
せんじつめれば、ただこの「描くか・描かないか」だけです。あるいはもっと徹底した言い方をすれば、「自信を持つこと、決意すること」だけなのです。
p.174
自分の自由な感情をはっきりと外にあらわすことによって、あなたの精神は、またいちだんと高められます。
p.175
ほんとうに自由な表現の喜びというものを体得されたならば、パチンコやおしゃべり以上に、さらに素晴らしい、生命の燃焼する場所がそこにあることがおわかりになると思います。
▼分からなかった言葉の意味
ヘゲモニー(Hegemonie)=指導的な地位。支配権。主導権。
オミット=除外すること。省くこと。
フェノロサ=米国の哲学者・美術研究家。明治11年(1878)来日。東大で哲学などを教えるかたわら、日本美術を研究。岡倉天心とともに東京美術学校を創設。日本画の復興に努めた。のち、ボストン美術館東洋部長。著「東亜美術史綱」など。
功利主義=功利(功名と利得。功績と利益。また、功績や利益を上げること。)を第一とする考え方。
序文・横尾忠則 解説・赤瀬川原平 1999年初版、2008年24刷
「きれい」と「美しい」、「芸術」と「芸事」の決定的な違いなど、
普段、無意識に使っている言葉ひとつひとつの本来の意味をあきらかにして、
芸術を語りながらも、日本人、ヒトとしての生き方までも、分かり易い語り口調で説明してゆく。
ヘタなスピリチュアル本なんかよりずっと明解な答えがここにある。
セザンヌは当時へっぽこ画家と思われていたとか、「ひん曲がったじゃがいもみたいな顔」て!/爆
ゴッホが一般大衆のみならず、同じ芸術革新を志していた尊敬する先輩からも黙殺されていた、などなど
毎度ながら痛快な言い方、民族学、歴史の幅広い知識、まとめの第6章はジョークも多くて笑ってしまうw
「図画の授業では、むしろ子どもが大人に教えるべきだ」とか、
「これからは、すべての人が描かなければならない」、
「でたらめなら、なおいい。でも、でたらめのほうが難しい。真似ではない自身の表現だから」など、
さらに数歩進めた理論に至るまで、読むごとに頭の中が新しい真理で刷新されてゆく思いがした。
ピカソだけでなく、尾形光琳に関しても珍しくホメているので、どんな作品を創作したのか気になった。
そういえば、「白水Uブックス」のブックカバーには、笑ってしまうようなピカソのイラストが使われていたな
あとがきで赤瀬川さんが、「テニスの試合中に食べるバナナみたいに消化吸収のよい文章」だと言っていたのにも納得w
その他の著書に関してもすべて読みたいが、図書館には初版はもちろん、著書すべては揃っていないようで残念。
初版本を手に入れるには、古書街に足繁く通うしかなさそうだ
▼本文の抜粋メモ(一部)
p.16
芸術は、ちょうど毎日の食べ物と同じように、人間の生命にとって欠くことのできない絶対的な必要物、むしろ生きることそのものだと思います。
p.17
なるほど人は、社会的生産のため、いろいろな形で毎日働き、何かを作っています。しかし、いったいほんとうに創っているという、充実したよろこびがあるでしょうか。ただ働くために働かされているという気持ちではないでしょうか。
このように社会の発達とともに、人間一人一人の働きが部品化され、目的、全体性を見失ってくる、人間の本来的な生活から、自分が遠ざけられ、自覚さえ失っている。それが「自己疎外」です。
p.18
施設は増えても、逆にますます遊ぶ人たちの気分は空しくなってくるという奇妙な事実があります。
p.20
そういうふうに矛盾を感じる人は、きわめて感受性のすぐれた、良心的な人なのです。
p.21
(芸術の意味とは)失われた人間の全体性を奪回しようという情熱の噴出といっていいでしょう。
p.118
鑑賞、味わうということは、じつは価値を創造することそのものだとも考えるべきです。味わうことによって創造に参加するのです。
p.119
自分自身の、人間形成、精神の確立です。自分自身をつくっているのです。すぐれた作品に身も魂もぶつけて、ほんとうに感動したならば、その瞬間から、あなたの見る世界は、色、形を変える。生活が生き甲斐となり、今まで見ることのなかった、今まで知ることもなかった姿を発見するでしょう。そこですでに、あなたは、あなた自身を創造しているのです。
p.164
描けないというのは、描けないと思っているからにすぎないのです。
あるものが、ありのままに出るということ、まして、それを自分の力で積極的に押し出して表現しているならば、それはけっして恥ずかしいことではないはずです。見栄や世間体で自分をそのままに出すということをはばかり、自分にない、べつな面ばかりを外に見せているという偽善的な習慣こそ、非本質的です。
p.165
自分が自分自身で思い込んでいる自分の価値というものを捨て去って、自分の真の姿をはっきりさせ、ますます自分自身になりきるということ、それがまた、じつは、おのれの限界を乗り越えて、より高く、より大きく自分を生かし、前進させてゆくことなのです。
p.166
せんじつめれば、ただこの「描くか・描かないか」だけです。あるいはもっと徹底した言い方をすれば、「自信を持つこと、決意すること」だけなのです。
p.174
自分の自由な感情をはっきりと外にあらわすことによって、あなたの精神は、またいちだんと高められます。
p.175
ほんとうに自由な表現の喜びというものを体得されたならば、パチンコやおしゃべり以上に、さらに素晴らしい、生命の燃焼する場所がそこにあることがおわかりになると思います。
▼分からなかった言葉の意味
ヘゲモニー(Hegemonie)=指導的な地位。支配権。主導権。
オミット=除外すること。省くこと。
フェノロサ=米国の哲学者・美術研究家。明治11年(1878)来日。東大で哲学などを教えるかたわら、日本美術を研究。岡倉天心とともに東京美術学校を創設。日本画の復興に努めた。のち、ボストン美術館東洋部長。著「東亜美術史綱」など。
功利主義=功利(功名と利得。功績と利益。また、功績や利益を上げること。)を第一とする考え方。