メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

ダムを撤去した人たち@ビッグイシュー

2019-02-21 19:13:32 | 

【THE BIG ISSUE VOL.347】



【内容抜粋メモ】

川への決定権を住民の手に取り戻す 撤去運動30年、つる詳子さん










「ダム建設前の洪水は“楽しい大水”、ダム後は“水害”に」
全長116mの球磨川は、周囲の山々が源流となり無数の支流をもつ

つるさんの本職は薬剤師
30年以上前から、患者からの相談内容が変わってきたことが気になった
「子どもの慢性病」「アトピー性皮膚炎」「アレルギー性鼻炎」・・・

調べると、水、空気、食べ物、環境問題に行き当たり
ゴルフ場開発、産業廃棄物、森林問題などに関わり始めた

1960年代半ば、球磨川の最大支流に新たなダム建設計画が持ち上がる
2008年 国交省が中止するまで地元の反対運動が続いた

球磨川にはすでに荒瀬ダム、瀬戸石ダム、市房ダムの3つがあり
下流は酷い水害で住民は苦しんでいた

「西日本豪雨」と同様
国:流入した量だけ放流するから一緒

だが、上流のダムが放流する水のスピードや水かさの増え方は全然違う
ダム湖に堆積していた泥も一気に押し寄せる

球磨川は、年に1度は洪水があった
川沿いの家は2階建て 普段から大事なものは2階に置く
水が来ると1階の畳を上げる

きれいな砂と水がくるので、1年に1度の大掃除という感覚
アユもたくさん捕れるし、“楽しい大水”と呼んでいた

ダム完成後は、大量の泥が押し寄せ“水害”という認識に変わった




1990年 自然観察指導員の資格を取得
1996年 川辺川ダム建設予定地の山にいる絶滅危惧種クマタカを調査

つるさん:
国交省の調査は、7年間で14回
私たちは毎週日曜、朝4時起きで、1年間に50回調査した

メンバーみんなが無線免許をとり、クマタカの個体データを公表すると
その山の骨材採取は中止になった

その他、アユの胃の内容物など、さまざまな調査を続けて蓄積

ダム反対運動は、特定の代表がいるピラミッド型ではなく
漁民、農民、市民が多様な運動をして、研究者、自然保護団体など関わって
広がり、世論も高まっていった

2002年 当時・熊本県知事が荒瀬ダム撤去を表明
ゲートが全開され、55年ぶりに水が流れ出し
その夏は汚臭の原因のアオコもなくなった

2018年 撤去が完了(長い時間だなあ・・・

つるさん:
最初、荒瀬ダム、その上流の瀬戸石ダムのゲートを一緒に開けたので
堆積していたヘドロが不知火海まできて、アオノリが全滅したが
2週間後、きれいな水がきて、例年の何倍も収穫できた
成長も良く、味も良くなった




「2例目の撤去事例が出ない日本 ダム撤去が進む欧米」

つるさん:
今の干潟に届く砂利などは、荒瀬ダムが50年間貯金していたもの
それが尽きると、上流からの供給がないとまたやせ細る

荒瀬ダムだけが特別な事例として扱われ、忘れ去られることを危惧している
公共事業、河川行政の在り方が変わる時代につなげたい

アメリカでは小規模ダムの1000ヶ所以上が撤去され
2013年に初めて大規模ダムのエルワ川ダムが撤去された
他にも複数の撤去が決まっていて、老朽化したダムを壊す権利を住民に与える法整備も進めている

北ヨーロッパでも5000以上のダムを撤去
東ヨーロッパでダム建設を進めようとして住民の反対運動が起きている

球磨川流域の住民の60代以下の世代はダム建設後の川しか知らない
「昔は洋服のまま川に入るとポケットにアユが入る」などと話される
失ったものの大きさを感じる

住民が自分たちで考え、決定権を取り戻すことが大切
それは自分の暮らし、生態系、すべてにつながっている




身近に見て育った「水俣病」の被害 溝口隼平さん






もとはダム撤去の研究者 荒瀬ダム撤去を見届けたいと球磨川のほとりに家族で移住
2017年に「ラフティング」(川下り)を行う会社「リボーン」を起業

溝口さん:
球磨川の河口から、ダム撤去により流れを取り戻した部分で
ダム撤去について何も知らず、楽しみに来る人に話うと驚かれる それも嬉しい

1997年 出水市で犠牲者が出る土石流災害が発生
高校生だった溝口さんは、遺品探しのボランティアに参加
砂防ダムがあったのに、なぜこんなことが起きたのかと疑問を感じた

出水市の水俣病被害者への差別も見て
自然が汚されるとどれほど人が苦しむか身近に見て育った

大学で環境学を専攻
卒業後は研究員としてダム撤去について研究

日本では「堰」(堤高15m未満)の轟ダム(宮崎県)が1961年撤去されたが
「ダム」(堤高15m以上)の撤去事例は皆無だった

ダム撤去は、川の再生だけでなく、分断されたコミュニケーションの修復の役割もあると言う

ダムの大きすぎるデメリット
溝口さんは、NGO団体の設立に参加
仲間とアメリカなど海外のダム撤去現場にも行った

ダム存続と、ダム撤去では、どちらが経済的価値があるか
合理的に比較検討している点が印象的だった(いかにもアメリカらしい

2002年 荒瀬ダム撤去が決定
溝口さんは名古屋と熊本を往復してフィールド調査に充てる
ダム撤去を見届けたい、と2010年、妻と八代市に移住を決め
森林整備の間伐などを手伝いながら調査を継続

溝口さん:
本来、ダム管理者は、撤去計画の中に、建設前の川に
原状回復する義務があるので、当時の写真、証言を丹念に収集した
撤去するしないに関わらず、体系的にまとめておくことはとても大事

「日本は、公共事業が事後に合理的な検証されることがほぼない」
荒瀬ダムは、電力生産の目的で、住環境の悪化などのデメリットがあまりに大きすぎたため
再整理が必要になり、それが“ダム撤去”だった

開発当時は「公共性が高い」と考えられても
結果的に地域に大きな負担をもたらしている場合は軌道修正したらいい
いわば「撤退の公共事業」

「荒瀬ダム撤去費用は約84億円 オスプレイ1機100億円より安い」
必要なのは、情報をオープンにし、共有し、議論を積み重ねること
ダム建設には「利権」が絡んで情報公開されにくい
ダム撤去は公共事業なので、予算も比較的健全

なぜ荒瀬ダムは、日本で初めて撤去を実現できたのか
1つは、熊本県民は水俣病を通して、行政が必ずしも正しいものではないという考え方がある
自然保護の感覚が根付いていたこと
もう1つは、ダムによる水害が拒絶反応を高めていたことなど、複数ある

ダム撤去、自然再生事業は、“もやい直し”
「もやい直し」バラバラになった心や絆を再びつなぎ合わせること 水俣病被害者が提唱し始めた

溝口さん:
「リボーン」では、ラフティングのほか、世代間で途切れた
川での安全な遊び方を取り戻す活動にも取り組みたい

荒瀬ダムから10km上流の「瀬戸石ダム」の撤去

溝口さん:
年老いた時に「昔の川はきれいだったんだよ」ではなく
「昔よりきれいになったんだよ」と次世代に言うのが夢


著 松岡理絵


***


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【ブログ内関連記事】

「ボブとジェームズ、東京へ行く」@ビッグイシュー

「猫のボブが私をホームレスから一人の人間にしてくれた」@ビッグイシュー

『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ(A Street Cat Named Bob)』(2016 ネタバレ注意)



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大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』 第3回 冒険世界

2019-02-21 18:54:34 | ドラマ
大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』 第3回 冒険世界

脚本:宮藤官九郎
音楽:大友良英
ナレーター:ビートたけし(噺) / 森山未來(語り)

【内容抜粋メモ】

■昭和35年(1960)
昭和と明治を行ったり来たりしながら話が進むのね

志ん生の弟子が荒川良々(今松)って!






五りんも出入りしているが家族の誰も知らず、余裕がないと反対する
五りんはオヤジの言いつけで毎朝、水浴びしなきゃいけないと
庭の池の水を浴びる(え??? 四三の子どもか?


■明治42年(1909)
四三は実次に東京高等師範学校に行きたいと相談
兄にジゴロウに抱っこされたのはウソだと明かす

実次:
とうに知ってた
乃木将軍になる夢は絶たれたが、カノウを乗り越えるとはとつけむにゃあ男たい!

見事合格して、みんなに祝われて出発
この時にカノウはオリンピック参加を決めていたのか
なんだか時間の順番がごっちゃになってきた


■明治43年 春
実次とミカワは汽車に乗り、バンザイで見送られる






このOPは凝った作りで面白いから毎回観たくなる








熊本→東京までは相当の長旅
「赤ゲット」はおのぼりさんの代名詞のようなものだった
乗客が『冒険世界』を読んでいて、「天狗倶楽部」についてミカワから聞く四三




ヤヒコはスポーツ万能で、女学生が失神するほどの人気
本庄(雑誌『冒険世界』記者)に聞かれて




ヤヒコ:
スポーツはあくまで遊び
ぼかぁ~勝ち負けにはこだわらない むしろ一度負けてみたいと思っている





三島家は元薩摩士族(金持ちはみんな薩長だ
父は元警視総監、兄・弥太郎は横浜正金銀行(後の日銀総裁)副頭取
母・和歌子は女西郷と呼ばれる女傑




この三島家を描いたのが「不如帰(ほととぎす)」 当時の大ベストセラー
和歌子は底意地の悪い姑として描かれている




女中・シマ(杉咲花)にかいつまんで話せと命じる
ヤヒコ:母上は字が読めない
「心優しい」とウソをついて誤魔化すシマ


【新橋】




ようやく着いた四三ら 景色にいちいち驚く
ミカワ:市電で浅草まで行こう 日本一高いタワーから東京中が見下ろせる


【浅草】
小梅に遊ぼうと誘われる2人 四三は財布がないと騒ぎスリに遭った
その後四三は電車嫌いとなる


【寄宿舎@御茶ノ水】
舎監は鬼の永井道明
あら、猫ちゃんもいる 今はどこにでもにゃんこを入れておかないとね








「入学式で憧れのカノウ先生とは対面した」と実家に手紙を書く四三

カノウ:
海の向こうではオリンピックというスポーツの平和の祭典が開催され
いずれ諸君の中にも出場者が現れるかもしれない
柔道か剣道いずれかに所属し、ともに汗を流そう

ここでも朝から水浴びをする四三
ご飯は30回ずつ噛む

市電に乗らず、裸足で走る
「失敬」と連呼するのであだ名になる
体育で柔道日本一の徳三宝とも組んだ





もうホームシックになり、夏休みに帰省してスヤと再会
スヤは来年女学校を卒業 東京の話を聞きたがる
♪自転車節 で音痴を克服したと話す 恋唄じゃない?







実家の屋根に「順道制勝」と書いてある カノウの座右の銘
道に順(したが)って勝つ すなわず、逆らわずして勝つの意
実次は漢字が分かるんだな 四三への期待がすごい

母からスヤが女学校を卒業したらイケベさん?の跡取り見合いすると聞く四三

実次:
お前もひとかどになるには熱中することを見つけねば
家のことはオレに任せて、しっかり学んでこい

学費はどうしてたんだろう?

夏休みが終わり、帰りの汽車を自転車で追うスヤ「お達者でー!」








また浅草に行く2人
映画で「不如帰」がかけられている






劇場に和歌子とシマが来る ヤバい
鬼ババアのように描かれていて激怒する和歌子

黒塗り車からヤヒコが出てきて、通りはスターを迎える騒ぎ
ヤヒコが銃を撃つとマラソンが始まる 「大競争大会」




車夫・セイまで参加して追い出される
セイ:グルグル回るんだよ お前、マラソン知らねえのかよ

スポーツで走る学生を見て感動する四三

橘家円喬の寄席を見るミノベは、夜中にそれを真似てみる
そこに大声で歌う四三が通る




門限破りをして肋木につかまりナガイにムチで打たれるミカワ
吉原に行ったこともバレた




「10月2日マラソン大会 全員参加」という広告に目を奪われる四三




天狗倶楽部はスポーツ万能のバンカラ集団




「バンカラ」
“ハイカラをもじった語である。明治期に、粗野や野蛮をハイカラに対するアンチテーゼとして創出されたもの。
 一般的には言動などが荒々しいさま、またあえてそのように振る舞う人をいう。”(ウィキ参照

野球でも向かうところ敵なし






「いだてん劇場」いきなりイラスト!
彼らの楽しみはスポーツ後の大宴会
雨でも野球を1日4、5試合するのは当たり前
試合後はどんちゃん騒ぎ






家でも川でも越えてひたすら真っ直ぐ進むレースも計画


(今の障害物競走? 面白い

無敗を誇るヤヒコは女学生から大人気だった


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