秋も深まり紅葉シーズン真っ盛りです。先日、仕事を休んで鬼怒川温泉側の「龍王峡」という観光スポットに行きました。その目的は紅葉狩りだったのですが、まだその色づきは期待していたものとは程とおく、色づき始めたという表現がマッチする風景でした。そこには、滝があり、渓谷があり、川周辺には遊歩道もあります。何度か、虹見橋からの鬼怒川の自然とその風景を堪能したことはあったのですが、今回は一人で遊歩道を1時間程かけて探索してみました。
龍王峡には、あまり観光客がいません。それは、この時期は紅葉がりに日光東照宮や華厳の滝、そして中禅寺湖に行く観光客が圧倒的だからです。この時期は、道路の大渋滞。地元のタクシー運転手も商売上がったりであると愚痴をこぼしていました。
それに反して、龍王峡は寂れた観光地の臭いが漂っています。駐車場周辺には、いまどき、どんだけと思うような売店が軒を連ねています。ジョン・アーリの『場所を消費する』という書籍がありますが、まさに龍王峡は消費されてしまった観光地なのかもしれません。ジョンによると「国際的なツーリストによって、年間2090億ドルが投下され、少なくとも6000万人分の雇用が生み出され、1050万人分のホテルのベッドが一杯になっている。」そうです。まさに観光は経済と結びついているのです。消費されてしまった後の観光地のそばには、廃墟となった巨大なホテルが点在して、その町の疲弊した姿を象徴しています。まさに、鬼怒川温泉もその現象が現れているのです。
かつてこのプログでも紹介したオーストラリアの十二使徒のある国定公園には売店はまったくありません。公衆トイレのみが用意されているのみです。自然を売りにしている観光地には、売店はいらない。何処どこへ行ってきました。その証拠の品としての土産は、ディズニーランドに代表される人工的な遊園地に任せておけばいいのではないかと思う。龍王峡を「遣い捨て社会」における飽きられた観光地にしておくにはもったいない。でも、龍王峡にあまり多くの観光客が殺到しても迷惑である。私しかしらないとはとても言い切れないが、それに近い感覚。子供の頃に楽しんだ秘密基地に似たものを感じる場所である。
龍王峡には、あまり観光客がいません。それは、この時期は紅葉がりに日光東照宮や華厳の滝、そして中禅寺湖に行く観光客が圧倒的だからです。この時期は、道路の大渋滞。地元のタクシー運転手も商売上がったりであると愚痴をこぼしていました。
それに反して、龍王峡は寂れた観光地の臭いが漂っています。駐車場周辺には、いまどき、どんだけと思うような売店が軒を連ねています。ジョン・アーリの『場所を消費する』という書籍がありますが、まさに龍王峡は消費されてしまった観光地なのかもしれません。ジョンによると「国際的なツーリストによって、年間2090億ドルが投下され、少なくとも6000万人分の雇用が生み出され、1050万人分のホテルのベッドが一杯になっている。」そうです。まさに観光は経済と結びついているのです。消費されてしまった後の観光地のそばには、廃墟となった巨大なホテルが点在して、その町の疲弊した姿を象徴しています。まさに、鬼怒川温泉もその現象が現れているのです。
かつてこのプログでも紹介したオーストラリアの十二使徒のある国定公園には売店はまったくありません。公衆トイレのみが用意されているのみです。自然を売りにしている観光地には、売店はいらない。何処どこへ行ってきました。その証拠の品としての土産は、ディズニーランドに代表される人工的な遊園地に任せておけばいいのではないかと思う。龍王峡を「遣い捨て社会」における飽きられた観光地にしておくにはもったいない。でも、龍王峡にあまり多くの観光客が殺到しても迷惑である。私しかしらないとはとても言い切れないが、それに近い感覚。子供の頃に楽しんだ秘密基地に似たものを感じる場所である。