芋焼酎はいかがですか?

英国の情報交換の場であったコーヒーハウスで芋焼酎はいかがですか?

ネイキッド

2007-11-23 22:11:54 | Weblog
アクセス数を増やそうと一瞬「裸」というタイトルにすることも考えたが一時的な来客を求めるよりも狭く結びつきのある読者に向けて信用を落とさない情報を発信するために「ネイキッド」に変更。
 冬の寒さの中、誰も居ない暖かい露天風呂に入ることを想像してみよう。
「ア~ア、極楽極楽」と器に見立てた両手に入れられたお湯を顔にかける時の自分は飾り立てしていない自分自身のような気がする。
 それは、劇場から降りた弛緩の状態の私でもある。
 しかし、ずっと裸のままの自分ではいられない。
 他者の目もあるし・・。
 衣服を身にまとうという事は、単に防寒や身体の保護だけが目的ではない。
 自分らしさを表現する手段でもあるはずである。
 また、同時に本当の裸の自分を見せない為の身体装飾を目的に衣服等を纏うのかもしれない。

 <ネイキッドでないということ>
足には靴、靴下。足の爪にはぺデュキア。下半身には、下着、ズボン、スカート。上半身には、シャツ、上着にコート。手には、手袋。爪にはマニキュア。首にはスカーフやマフラー。耳には、イヤリング。口には、口紅。目にはメガネやアイシャドー。髪には、パーマネントや染色。
身体装飾には、直接ボディーへの装飾を行うタトゥもあることは周知の事実である。
 例示したこららは、自分を表現する為のモノでもあると同時にそのままの裸の自分を見せない道具でもあるのだ。
 やはり、殆どの時間を私たちは裸では過ごしていない。
 自分て何者であろうと悩むこと、自己のアイデンティティについて考えることは、身体装飾と大いなる関係があるのかもしれない。
 中学、高等学校のことを考えてみると、多くの日本の学校が制服を採用している。
 学校のアイデンティティを明確にするための制服であるのだ。
 しかしながら、校則違反はどの学校でも見られる。
 男子はズボンを腰まで下げてはいている。
 また女子はスカートを極端に短くしている。
 生徒たちの制服着用の乱れは、学生でいたいけど他の生徒と同じ身なりをしていて同じアイデンティティであると思われたくないという反抗かもしれない。
 確かに制服の乱れは、ズボンを緩める。シャツのボタンをはずす。
 リボンやネクタイを緩める。
 シャツを出す。
 ソックスのゴムを抜きルーズに・・。
 「弛緩」や「解放」がキーワードである。
そう考えてみると、ズボンを思いっきり股が痛くなるぐらいに上げて、タイトな穿き方をする反抗は見られない。
自分とは?を考える時に身体装飾ははずせないことは明らかである。

コメント
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