勤務校では10月に入ると保護者に授業を公開しています。
毎年、多くの保護者が授業見学に来校。
自由記述で授業参観をした感想を投稿されます。
それらは少し厳しめ授業に関してのコメントや学校に対しての要求が書かれていますが相互交流の一つの形としては良い試みではないでしょうか。
大学でも講義を公開している大学も見られます。
これも開かれた大学を象徴する一つの仕掛けではありますが、
受験生が実際に授業見学できる機会ともなりますし、
講義担当の大学教員にとっても良い意味での緊張や刺激ともなることが予想されます。
父親の職場見学を小学生の子供が行うこと。
この取り組みは拡大していませんが、
日常と違う父親の仕事をしている姿を子供が見ることはたいへん意味のあることです。
それによって子どもの父親感が変わるかもしれません。
もっとも親への尊敬というプラス要素を期待しての試みかもしれません。
さて、私は上記の逆パターンを経験しました。
それは子どもの仕事ぶりを親が見学するということです。
実際には保護者や地域住民に公開されている小学校の「運動会」をパートナーと見学してきました。
それは子どもには黙っての訪問。
事前に見学に行きたいと何気なく言ったところ、彼は頑なに拒絶。
最初で最後の見学にすると決めて私たちは彼に内緒で運動会を見てきました。
子どもの仕事をしている姿を見るなんて、なんて親バカなの。
そんな感想が聞かれそうですが、
20代半ばを超えた子どもの仕事をしている姿を見ることができるという幸運は誰にも与えられるわけではないという気持ちが勝りました。
彼の担当学年、クラスの演舞は「友よ」
ドラえもんの映画の主題歌のようです。
彼が朝礼台に登り、
子どもたちの踊りの指揮をとるかのごとく一生懸命に子どもたちを見ながら踊り始めました。
私はその時に不思議な感動が沸き起こりました。
涙が止まらないのです。
眼鏡の下を流れ出る涙を周りに気づかれないように手をグーにして拭いました。
年齢を重ねて涙腺が弱くなっているのか。
日頃見ない彼のひたむきさに感動したのか。
思春期に非常に手のかかったあの時期を思い出してのことなのか。
朝礼台で踊る正面で見る息子の仕事ぶりを見られた幸福感なのか。
踊りに合わせて学年の小学生たちが一生懸命に踊っている姿に感度したのか。
その理由は自分でもわかりません。
そのことを後でパートナーに話すと「やっと父親になれたとうことじゃない」という言葉。
問題を起こした代議士風に言えば「違うだろうが」となりそうですが・・。
運動会という学校「公開」に参加して本当に良い思い出になりました。