「太陽」というと明るさやパワーをイメージすることも多いと思われます。
しかしながら、水不足で砂漠が国土の殆どを閉める国においては灼熱の太陽は決して良いイメージではありません。
太陽をイメージする会社のロゴが入った食品会社の缶詰が砂漠を有する国で全く売れなかったというのは教科書にも出てくるような有名な話です。
同様に、豪雪地帯における「雪」のイメージは決して好ましいものではないとも思われます。
雪かきの大変さや交通網の乱れ、そして連日の寒さは、そこで暮らすことの大変さ故に好ましくは思われないことも多いと思われます。
もちろん、森の中のログハウスに暮らし、
暖炉の温かさとその特有のやさしい明かりを楽しみながらコーヒーを飲むような場合は私にとっての憧れですが・・。
対して、殆ど雪が降らない地区に暮らす人々にとっての降雪は交通の乱れ等が生じるというマイナス面はありますが、
何年或いは何十年に一回ある程度であることもあり、そのイメージはロマンチックささえ想起させるものでもあります。
さて私の故郷の静岡にはめったに雪が降りません。
たぶん、15年~20年に一回程度降るかどうかです。
つまり、そこで暮らす人々はスキーに行くなどの行為がなければ、
一生涯において2回~3回程度の降雪しか経験しないのです。
多くの人たちにとって雪のイメージは良いものであると思われます。
私が子どもの頃は、
町内会(今風に言えば、地域コミュニティー)主催で子ども対象の「雪見ツアー」が実施されていました。
当時、自宅に車がある家庭は殆どありません。
自宅に電話がある家も殆どない時代です。
小学校で渡されるクラス名簿の電話欄には
(呼)と書かれている家庭が多かった時代。
かかってきた電話を隣近所に電話を取り次いであげる(呼)時代でした。
「雪見ツアー」では「子供会(町内会の子ども部会)」でバスをチャーターして、
富士山の五合目に雪を見に行きました。
雪見には、今のようなプラスチック製のモノはなく、お手製のソリも準備しました。
それは各家庭で竹を二つに割り、
その外側の丸みのある部分を雪面との設置として、
上面に廃材を利用して自作のソリに座れるように木製の座面も作りました。
かなり重いお手製の木製「ソリ」はもちろん緩やかな平面ではうまく滑りませんでしたが、
それは楽しかったよいイメージでもあります。