平成から令和の時代に変わる5月1日0時は、まるで年末のような騒ぎでした。
どのテレビ番組を見てもカウントダウン一色。
「改元、おめでとう!」と4ヶ月前の新年の祝いの再来のようでもありました。
しかも、殆どのテレビ局の中継先はどこも同じでした。
渋谷のスクランブル交差点、近江八幡、大阪マハラジャ。
たぶん、祝いに熱狂している人々の画が撮りたくてそのような場所からの中継を行っていたのでしょう。
現代は、個人個人の人間関係の結びつきが弱まっている時代です。
テレビ番組を視聴しない若者たちですが、
不思議と
何かのイベントが行われる日にはテレビ中継されるような場所に集う傾向があるようです。
なんと5月4日(土)天皇の即位を祝う一般参賀には14万人も集まっていました。
朝早くから、何時間も待っての参拝。
集う人たちの中には孤独感を感じ、イベントで何かが変わることを期待するような人々も含まれていたかもしれません。
あるいは単純に人が集まる場所に引き寄せられるのかもしれません。
改元は今まで経験したことのない巨大なイベントです。
“時代”が変わる時に、一般参賀という行為を通じてこのイベントに参加しようとしているような多くの若者の姿もテレビには映し出されていました。
日本人には、<代替り>の時には全てが白紙に戻り世界が再生される<世直し>が起こるという民族心理があるそうです。
政治経済を含めて良い時代になることを願うばかりです。
下に紹介するのは前回の天皇崩御の時期に書かれた文章です。
大塚英志『物語消費論』新曜社,p.133
『朝日ジャーナル』は左翼らしく、『週刊文春』は右翼らしくそれぞれのコンセプトが明快になって商品の差別化に成功した。そんなふうにして<天皇>はこの3ヶ月でしっかりメディアに消費され、人々も言葉は悪いが<天皇>についてはなんとなく飽きてしまいつつあった。<自粛>も<戦争責任>も<かわいい天皇>も3ヶ月の間に見事なまでに消費
同じようなことが繰り返されていることを感じてしまいますね。