夏目漱石没後100年となるが、このところそれを記念したドラマ・映画・ドキュメンタリーが静かに「上梓」されている。
ロンドンで見た先進国の繁栄とその裏側、さらには続く戦勝に歓喜する日本の危うさ、それを初めて覚醒した文学者でもある。
漱石が抱えていた煩悶と隙間はいまだに問題提起のまま100年を迎えてしまった。
つまり、同じ問題に解決策を実現できないままの現在がある。
漱石のいくつかの小説を読んだもののうわべだけの読書だった。
「近代の奈落」を内外で見てしまった漱石の憂いを行間から読み取れなかった。
自虐的に見える諧謔からユーモアとか談論風の風刺しか感じなかった。
経済成長神話は古事記や日本書紀のようにいまだ時代の主流だ。
しかし経済成長は永遠に続くものではない。
原発やカジノやTPPなどのカンフル剤を打っても体幹が弱っている。
欲望拡大の経済成長ではなく持続可能な「幸せの経済」を具体的に模索するときだ。
漱石の投げかけた提起に応えていく内発的な生き方を実現していくことだ。
それがアジアから信頼されていく筋道でもある。
「遅れてきた青年」日本は、中国・朝鮮という大国に古代からついこの間まで学びながら自己形成してきた。
その謙虚さ・「学ぶ力」が日本の成長を支えてきた。
観光立国の狙いは経済面で語られることが多いが、「人間力」「里山」の素晴らしさを充足すべきなのだ。
といいながら、長い昼寝から起きられない。
ロンドンで見た先進国の繁栄とその裏側、さらには続く戦勝に歓喜する日本の危うさ、それを初めて覚醒した文学者でもある。
漱石が抱えていた煩悶と隙間はいまだに問題提起のまま100年を迎えてしまった。
つまり、同じ問題に解決策を実現できないままの現在がある。
漱石のいくつかの小説を読んだもののうわべだけの読書だった。
「近代の奈落」を内外で見てしまった漱石の憂いを行間から読み取れなかった。
自虐的に見える諧謔からユーモアとか談論風の風刺しか感じなかった。
経済成長神話は古事記や日本書紀のようにいまだ時代の主流だ。
しかし経済成長は永遠に続くものではない。
原発やカジノやTPPなどのカンフル剤を打っても体幹が弱っている。
欲望拡大の経済成長ではなく持続可能な「幸せの経済」を具体的に模索するときだ。
漱石の投げかけた提起に応えていく内発的な生き方を実現していくことだ。
それがアジアから信頼されていく筋道でもある。
「遅れてきた青年」日本は、中国・朝鮮という大国に古代からついこの間まで学びながら自己形成してきた。
その謙虚さ・「学ぶ力」が日本の成長を支えてきた。
観光立国の狙いは経済面で語られることが多いが、「人間力」「里山」の素晴らしさを充足すべきなのだ。
といいながら、長い昼寝から起きられない。