山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

生きる価値を見いだせる社会を

2019-12-24 19:52:20 | 読書

 以前から注目していた経済学者・金子勝著『金子勝の仕事道』(岩波書店、2006.9)を読む。最近はマスコミに出ていないのがさみしいが、江戸っ子のようなテンポがある苦言が小気味いい。「戦後の枠組み」が国内外に崩れたのは90年代末のバブル崩壊から2003年のイラク戦争の過程だという。つまり、「人々の生き方に大きな変更を迫った」現実に直面したが、日本では「問題を先送りするばかりで生きる価値を見失ってしまった」と指摘する。

  

 先日中曽根康弘氏が亡くなってマスコミはこぞってその役割を評価していたが、金子氏は、レーガン・サッチャーの民営化・規制緩和の市場原理主義と強い政府の構築を中曽根氏が断行したが、日本経済は低迷したまま起死回生には至らなかったと手厳しい。

     

 世界の混沌はイラク戦争のパンドラの箱を開けてしまってから未だに「着地点」が見られない。その壁は同時に、日本の組織の閉鎖的同調体質にあると指摘する。それは彼の青春時代の東大闘争をはじめ研究者としても異端にあったため、壮絶な孤独・挫折・背信を味わう。

 

 そういうときこそ、時代と向き合う知性の真価が問われる。金子氏は「私はどういう時代に生きているのだろうか」をつねに問わざるを得ないとして、「人間は失敗・挫折を繰り返すたびに、相手を許せる範囲が広がっていく」と自らの経験を語る。

 そのうえで、12人の対談者と向き合う。寿司職人・落語家・歌手・医者・内部告発者・ボクサー・建築家など多彩だ。対談者の特徴をひとまとめにすれば、仕事を極めることで社会の壁にぶつかり、それと格闘・煩悶する、そしてそれを革新・凌駕することで到達した世界がある。

 金子氏はそれを「格闘するものをもっているだけ幸せな生き方」だと感心する。そこから、「生きる価値をもてる生き方」を見出す。つまり、学校・職場・地域など、あらゆるところでそれを感じられ模索できる社会を築いていかなければならないと結ぶ。もちろんその先頭に政治家がいなければならないけど、本質的には「自分から」「一人から」ということだね。

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